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(くだん)は、古くから日本各地で知られる妖怪。「件」の文字通り、半人半牛の姿をした怪物として知られている[1][2]

その姿は、古くはの体と人間の顔の怪物であるとするが、第二次世界大戦ごろから人間の体と牛の頭部を持つとする説も現れた。

幕末頃に最も広まった伝承では、牛から生まれ、人間の言葉を話すとされている。生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる、とされている。また件の絵姿は厄除招福の護符になると言う。

別の伝承では、必ず当たる予言をするが予言してたちどころに死ぬ、とする話もある。また歴史に残る大凶事の前兆として生まれ[3]、数々の予言をし、凶事が終われば死ぬ、とする説もある。

江戸時代から昭和まで、西日本を中心に日本各地で様々な目撃談がある。

件の如し[編集]

西日本各地に伝わる多くの伝承では、証文の末尾に記される「件の如し」という慣用句は「件の予言が外れない様に、嘘偽りがないと言う意味である」と説明されることもあるが、実際には件が文献に登場するはるか前より「件の如し」は使われている[3]

怪物「件」の記述がみられるようになるのは江戸時代後期であるが、「件の如し」という決まり文句は既に『枕草子』などにも見え、これは民間語源の一種と考えられる。

目撃の歴史[編集]

この怪物の目撃例として最古と思われるものは、文政10年(1827年)の越中国立山でのもの。ただし、この頃は「くだん」ではなく「くだべ」と呼ばれていた。ここで山菜採りを生業としている者が、山中でくだべと名乗る人面の怪物に出会った。くだべは「これから数年間疫病が流行し多くの犠牲者が出る。しかし自分の姿を描き写し絵図を見れば、その者は難を逃れる」と予言した。これが評判になり、各地でくだべの絵を厄除けとして携帯することが流行したと言う。江戸時代後期の随筆『道徳塗説』ではこれを、当時の流行の神社姫に似せて創作されたものと指摘している[4]

倉橋山の件を描いた天保7年の瓦版

「くだん」としての最古の例は天保7年(1836年)の日付のある瓦版に報道されたもの。これによれば、「天保7年の12月丹波国・倉橋山で人面牛身の怪物『件』が現れた」と言う。またこの瓦版には、「宝永2年12月にも件が現れ、その後豊作が続いた。この件の絵を貼っておけば、家内繁昌し疫病から逃れ、一切の災いを逃れて大豊年となる。じつにめでたい獣である」ともある。また、ここには「件は正直な獣であるから、証文の末尾にも『件の如し』と書くのだ」ともあり、この説が天保の頃すでに流布していたことを示す[4]

因みにこの報道の頃には天保の大飢饉が最大規模化しており「せめて豊作への期待を持ちたい」という意図があってのものと思われる。

幕末に入ると、件は突如出現するとする説に代わって、人間の飼っている牛が産んだとする説が広まり始める。慶応3年(1867年)4月の日付の『件獣之写真』と題した瓦版によると「出雲の田舎で件が生まれ、『今年から大豊作になるが初秋頃より悪疫が流行る。』と予言し、3日で死んだ」という。この瓦版には「この瓦版を買って家内に貼り厄除けにして欲しい」として人面牛身の件の絵が描かれており、件の絵画史料として極めて貴重なものである。

明治42年(1909年)6月21日の名古屋新聞の記事によると、十年前に五島列島の農家で、家畜の牛が人の顔を持つ子牛を産み、生後31日目に「日本はロシアと戦争をする」と予言をして死んだとある。この子牛は剥製にされて長崎市の八尋博物館に陳列されたものの、現在では博物館はすでに閉館しており、剥製の行方も判明していない[5]

明治時代から昭和初期にかけては、件の剥製と称するものが見世物小屋などで公開された。小泉八雲も自著『伯耆から隠岐へ』の中で、件の見世物をする旅芸人についての風説を書き残している。それによると、明治25年、見世物をする旅芸人が美保関行きの船に件の剥製を持ち込んだ。しかしその不浄の為に神罰が下り、その船は突風の為に美保関に上陸できなくなったという。

昭和に入ると、件の絵に御利益があるという説は後退し、戦争や災害に関する予言をする面が特に強調された。1930年(昭和5年)頃には香川県で、森の中にいる件が「間もなく大きな戦争があり、勝利するが疫病が流行る。しかしこの話を聞いて3日以内に小豆飯を食べて手首に糸を括ると病気にならない。」と予言したという噂が立った[6]1933年(昭和8年)にはこの噂が長野県で流行し、小学生が小豆飯を弁当に入れることから小学校を中心に伝播した。ただし内容は大きく変わっており、予言したのは蛇の頭をした新生児で、諏訪大社の祭神とされた[7]

第二次世界大戦中には戦争や空襲などに関する予言をしたという噂が多く流布した。昭和18年(1943年)には、岩国市のある下駄屋に件が生まれ、「来年4、5月ごろには戦争が終わる」と予言したと言う。また昭和20年(1945年)春頃には松山市などに「神戸に件が生まれ、『自分の話を信じて3日以内に小豆飯かおはぎを食べた者は空襲を免れる』と予言した」という噂が流布していたという。

牛女[編集]

第二次世界大戦末期から戦後復興期にかけては、それまでの人面牛身の件に代わって、牛面人身で和服を着た女の噂も流れ始めた[8]。以下、これを仮に牛女と呼称する。

牛女の伝承は、ほぼ西宮市甲山近辺に集中している。例えば空襲の焼け跡で牛女が動物の死骸を貪っていたとする噂があった。また、芦屋市・西宮市間が空襲で壊滅した時、ある肉牛商の家の焼け跡に牛女がいた、おそらくその家の娘で生まれてから座敷牢に閉じ込められていたのだろうという噂などが残されている。

小説家小松左京はこれらの噂に取材して小説『くだんのはは』を執筆したため、この牛女も件の一種とする説もある。 が、幕末期の件伝承と比較すると、

  • 件は牛から生まれるが、牛女は人間から生まれる。
  • 件は人面牛身、牛女は牛面人身。
  • 件は人語を話すなど知性が認められるが、牛女にはそれが認め難い。

といった対立点があり、あくまでも件と牛女は区別すべきと言う主張もある。

件が登場・関係する作品[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

映画[編集]

ゲーム[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 松山ひろし 『壁女-真夜中の都市伝説』 イースト・プレス、2004年、73-74頁。
  2. ^ 木原浩勝・岡島正晃・市ヶ谷ハジメ 『都市の穴』 双葉社〈双葉文庫〉、2003年、249頁。
  3. ^ a b 松山ひろし 『壁女-真夜中の都市伝説』 イースト・プレス、2004年、74頁。
  4. ^ a b 常光徹 『学校の怪談』 角川書店角川ソフィア文庫〉、2002年、159-161頁。ISBN 978-4-04-364901-3
  5. ^ 斉藤小川町他 『日本の謎と不思議大全 西日本編』 人文社編集部編、人文社〈ものしりミニシリーズ〉、2006年、123頁。ISBN 978-4-7959-1987-7
  6. ^ 永井圭「くだん」『ドルメン』第2巻第7号 岡書院 1933年
  7. ^ また、長野県で流行した噂の起源は、昨年(1937年)の暮れに北海道で阿弥陀仏が現れて予言した内容とも、80歳の老婆が出産した子供の予言だとも言われていた。(「小豆飯の厄除け」『ドルメン』第2巻第4号 岡書院 1933年)
  8. ^ 松山ひろし 『壁女-真夜中の都市伝説』 イースト・プレス、2004年、72頁。

関連項目[編集]