仙台駐屯地

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仙台駐屯地
JGSDF Camp Sendai
Sendai garrison1.JPG
所在地 宮城県仙台市宮城野区南目館1-1
主要部隊 東北方面総監部
東北方面警務隊
自衛隊仙台病院 ほか
開設年 1941年昭和16年)(旧陸軍)
1960年昭和35年)
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仙台駐屯地(せんだいちゅうとんち)は、宮城県仙台市宮城野区南目館1-1に所在する陸上自衛隊駐屯地。方面総監部をはじめとする方面直轄部隊・機関が多数駐屯しており、東北方面隊の中核となる駐屯地である。

最寄の演習場は、王城寺原演習場駐屯地司令は、東北方面総監部幕僚長が兼務。

駐屯部隊・機関[編集]

防衛館[編集]

戦国時代から昭和までの陸戦や陸上自衛隊に関する写真・資料を展示している博物館

  • 開館時間:9:00-16:00
  • 休館日:祝日年末年始
    • 休館日でも事前申し込みにより開館可。

沿革[編集]

大正時代までの仙台市域は概ね仙台城下町を基礎にする市街地のみであったが、1926年大正15年)郡制が完全廃止となると、1928年昭和3年)の原町等を皮切りに1941年昭和16年)の岩切村等まで、隣接する宮城郡名取郡町村を仙台市は次々編入合併し、市内に旧宿場町農村地帯を抱え込んで人口も増加した[1]

一方、1927年昭和2年)に内務省が土地区画整理審査標準を定めたことで土地の造成が容易になった。これにより仙台市は、仙台市街地東郊の新市域において、1932年(昭和7年)に東北本線東仙台駅が新設されたのに伴って、宮城野原練兵場の東側に広がる田圃等を住宅地や工業地域として順次開発していった。その一角に工場である陸軍造兵廠(のちの仙台駐屯地)も設置された。

占領期に陸軍造兵廠が進駐軍キャンプに転用されてからは同区画のみ軍事施設として使用され続け、現在も仙台駐屯地となっている。他方、同駐屯地以外の開発地域は、国道4号仙台バイパスの建設・開通に合わせて、さらに周囲の土地も含めて流通・工業地区(東部流通団地東部工業団地)等への開発が行われた。また、宮城野原練兵場および周辺の軍事施設は、公園病院学校・合同庁舎等に転用された。なお、仙台市電原の町線戦後の開通である。

東京第一陸軍造兵廠仙台製造所[編集]

キャンプ・シンメルフェニヒ[編集]

仙台駐屯地[編集]

  • 1958年(昭和33年)3月:南仙台駐屯地開設。第2特科群新編。
5月:北仙台駐屯地開設
6月17日:第22普通科連隊編成。
8月12日:南北駐屯地を併合。仙台駐屯地」となる。
  • 1961年(昭和36年)8月10日:第22普通科連隊が多賀城へ移駐。
  • 1971年(昭和46年)8月2日:自衛隊仙台病院が開設される
  • 1976年(昭和51年)4月1日:仙台市電廃止に伴い、原町駅前電停廃止。
  • 2006年(平成18年)3月27日:方面混成団、方面後方支援隊及び方面衛生隊を新編
  • 2008年(平成20年)3月26日:第305保安中隊を東北方面警務隊隷下に編成替え
  • 2009年(平成21年)3月26日:東北方面情報処理隊を新編
  • 2010年(平成22年)3月26日:第2特科群を東北方面特科隊に改編

最寄の幹線交通[編集]

その他[編集]

アクセス[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 『流行歌「ミス・仙台」~郷土・仙台の近現代史散歩~』(著者:石澤友隆、出版:河北新報出版センター ISBN 4-87341-196-3)には、よりアメリカ英語に近い「キャンプ・シメルフィニヒ」と記してある。
  2. ^ 『仙台市史』資料編5(近代現代1 交通建設)の220頁では「キャンプ・シメルフェニー」。
  3. ^ 第二次世界大戦中にアメリカ陸軍第11空挺師団に所属し、フィリピン戦死した将校の名前に因んで名付けられたとされる。因みに、南北戦争時の北軍Alexander Schimmelpfennigという名の将官もいた。

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]