今井啓介
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| 広島東洋カープ #62 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 新潟県長岡市(旧:栃尾市) |
| 生年月日 | 1987年5月24日(22歳) |
| 身長 体重 |
183cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2005年 高校生ドラフト2巡目 |
| 初出場 | 2009年7月18日 |
| 年俸 | 550万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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今井 啓介(いまい けいすけ、1987年5月24日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。新潟県長岡市出身。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] プロ入り前
刈谷田中時代から頭角を現し、「栃尾に剛腕投手が現れる」と話題になる。当時の中学校の監督の紹介で、中越高等学校で当時監督を務めていた本田仁哉が直々にスカウトし、同校に推薦入学。ストレートは高校1年時から最速137km/hをマークするなど、身体能力は非凡だった。1年の夏からベンチ入り。今井、坂爪、五十嵐の140km/hトリオで有名だった。
3年時には最速146km/hにまで球速が上昇。スライダーを覚えたことで投球の幅が拡がり、2005年夏の県大会では計42回1/3を投げて50奪三振を記録。打者としても決勝で3ラン本塁打を放つなど、センスの良さを見せた。しかし決勝で新潟明訓に敗れ、結局3年間で甲子園に出場することはできなかった。
同年、高校生ドラフト2巡目で広島に入団。
[編集] プロ入り後
1年目の2006年は主に身体作りを中心としたトレーニングを行い、二軍戦ではリリーフを中心に登板した。
2年目の2007年は二軍の開幕先発ローテーションに抜擢されるも制球難でひと月でローテを外される。それからシーズン終盤までの間を新しいフォーム固めに費やした。
3年目の2008年は初めて二軍で一年間先発ローテーションを守りぬいた。チーム最多の6勝、リーグ最多の104回1/3を投げたが、四死球が66個と多く制球力に課題を残した。秋季キャンプでは初の一軍練習に参加。まだまだ粗さと課題が多いものの将来のエース候補として期待されている。
4年目の2009年は春季キャンプとオープン戦序盤は一軍に帯同したが、開幕二軍スタートとなる。二軍では先発で勝ち星こそなかなか付かなかったが、前年より安定した投球を見せたことで7月18日に一軍初登録。同日初登板を果たした。
なお、バレーボール選手の今井啓介とは同姓同名の別人で、縁故関係も全く無い。しかし、しばしば書籍・インターネット上などでは混同されて紹介されていることがある。
[編集] 詳細情報
[編集] 背番号
- 62 (2006年 - )
[編集] 個人記録
- 初登板:2009年7月18日、対東京ヤクルトスワローズ10回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島) - 6回表から登板
- 初奪三振:同上、6回表にジェイミー・デントナから
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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