仁科関夫

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仁科関夫(にしな せきお、1923年4月10日 - 1944年11月8日)は、日本海軍軍人、最終階級は海軍中尉(死後二階級特進で少佐となる。)。大東亜戦争太平洋戦争)の際に使われた、人間魚雷と呼ばれる「回天」の創案者。

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[編集] 人物

仁科関夫は大東亜戦争中、黒木博司大尉とともに人間魚雷「回天」を創案、完成させた。彼は「回天」の訓練中殉職した黒木大尉の意志を受け継ごうとし、自らの出撃まで熱心に「回天」の開発、改良に勤めた。昭和19年11月8日、菊水隊(伊47潜)として出撃。また美男子でもあり、剣道の達人でもあった。才気煥発の黒木大尉に対し沈思黙考の仁科中尉であった。

[編集] 略歴

  • 大正12年4月10日 - 滋賀県大津市に生まれる
  • 昭和17年11月14日 - 海軍兵学校71期を優秀な成績で卒業し、戦艦「長門」で乗艦実習
  • 昭和18年1月 - 空母「瑞鳳」乗り組み
  • 昭和18年6月 - 海軍潜水学校普通科学生になる
  • 昭和18年10月 - 特殊潜航艇「甲標的」講習員(第六期)としてP基地に着任し、黒木中尉(当時)とともに人間魚雷構想を幾度も請願
  • 昭和19年9月1日 - 回天大津島基地を開隊
  • 昭和19年11月8日 - 菊水隊(伊47潜)として出撃 

[編集] 戦果

菊水隊(伊47潜)として出撃した際に定かではないが米油漕艦「ミシシネワ」を撃沈したと思われる。ミシシネワは2万トンを超える当時の最新鋭大型タンカーである。米側戦死者は約70名であった。

[編集] 仁科関夫が登場する作品

  • 「回天菊水隊の四人」
  • 「続ああ伊号潜水艦」板倉光馬 光人社NF文庫

 大津島基地司令による鎮魂血涙の一書であり、回天を知る為の必 読の書。黒木大尉、仁科中尉に心服され、黒木大尉はその遺書の 中で血書を一通贈る旨記している。

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