京セラミタ

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京セラミタ株式会社
KYOCERA MITA Corporation
Kyocera Mita (Head Office).jpg
本社
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
540-8585
大阪府大阪市中央区玉造一丁目2番28号
JR西日本大阪環状線 玉造駅前)
設立 創業:1934年昭和9年)11月
設立:1948年(昭和23年)7月(三田工業株式会社)
2000年平成12年)1月18日 京セラミタ株式会社へ社名変更
業種 精密機器
事業内容 プロフェッショナル向け印刷機・複写機・その他の情報機器の製造販売
代表者 代表取締役会長 川村誠
代表取締役社長 駒口克己
資本金 120億円
売上高 2,390億円(京セラミタグループ連結売上 2011年3月期実績)
従業員数 14,667 人(京セラミタグループ全体 2011年3月末時点)
主要株主 京セラ株式会社 100%
主要子会社 京セラミタ ジャパン株式会社(販売会社) 他
関係する人物 稲盛和夫
外部リンク http://www.kyoceramita.co.jp/
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京セラミタ株式会社(きょうセラミタ)は、大阪府大阪市中央区に本社を置く情報機器メーカーである。

目次

[編集] 概要

1934年(昭和9年)に創業した三田工業(1948年(昭和23年)に改組)を前身に、主として業務用の複写機、印刷機の製造販売を行っていた。複写機のデジタル化への遅れや粉飾決算事件、放漫的な同族経営等が影響して1998年会社更生法を申請し、一度倒産したが、2000年(平成12年)1月18日東証1部上場で電子機器会社・京セラが運営母体となって新社名「京セラミタ」として再出発。京セラが受け持っていたエコシスプリンターなどの印刷機、入出力機器事業を集約した。なお、これらのブランド名については2004年(平成16年)以降順次「京セラ」で統一(製造・販売は従来どおり京セラミタが行う)することになった。

その他、三田工業の出版部門として、三田出版会があった。三田出版会は科学技術分野で質の高い本を出版していたが、親会社の倒産により出版活動を停止した。しかし、書籍が絶版になることを危惧した出版文化社版権等を継承し、三田出版会の書籍を継続して販売している。

[編集] 沿革

  • 1934年(昭和9年)11月 創業。
  • 1948年(昭和23年)7月三田工業株式会社設立。
  • 1998年(平成10年)8月10日、大阪地裁に会社更生法適用申請、事実上倒産、京セラ支援表明。
  • 2000年(平成12年)1月18日、更生計画認可決定・京セラミタ株式会社に商号変更。
  • 2002年(平成14年)3月5日、更生手続終結決定。
  • 2008年(平成20年)3月、本社敷地内に「京セラミタR&Dセンター」竣工。
  • 2008年(平成20年)4月、年内に複写機やプリンターの国内生産から一部を除き、年内に事実上撤退する方針を明らかにした。量産品の製造は中国の工場に移管する。

[編集] 事業内容

モノクロおよびカラープリンター、モノクロおよびカラーデジタル複合機、デジタル広幅複合機、アナログ複写機、ソフトウェア、その他パソコン用周辺機器等の製造販売。また、それらに付随する各種サービス

[編集] 国内関連会社

[編集] 海外関連会社

[編集] CM

前身の三田工業時代だった1980年代女優ジャズシンガー阿川泰子が歌うジャズをバックに、アメリカで撮られた老朽化したビルをダイナマイト爆破解体してゆくシーンを立て続けに放送するCMが話題を呼んだ。もともとこのCMのコンセプトは「明日は変わるでしょうか。コピーは変わるでしょうか。」という城達也ナレーションが指し示すように”技術の革新”をテーマにしたものであり、シュールな内容ではあったものの、テレビでは大いに反響を呼び、売り上げを伸ばすことになった。同年代、正月三が日のテレビ各局の特別番組では筆頭スポンサーの常連であった。その他には同じ阿川の出演で街中に突如空母を登場させるバージョンや、更にはプロレスラージャイアント馬場を起用した「馬場、馬場、馬場~。馬場ごと丸撮り」の歌が流れるCMもあった(これと同時に「コピーは三田」のキャッチフレーズも世間に定着している)。

2011年(平成23年)1月現在
その他には在阪テレビ局制作のお正月スペシャル番組などに提供される事が多い。基本的にはスポットCMが中心。

[編集] スポーツ協賛事業

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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