井川祐輔
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| 井川 祐輔 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 愛称 | イガ | |
| カタカナ | イガワ ユウスケ | |
| ラテン文字 | IGAWA Yusuke | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1982年10月30日(26歳) | |
| 出身地 | 千葉県成田市 | |
| 身長 | 182cm | |
| 体重 | 74kg | |
| 血液型 | A型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | 川崎フロンターレ | |
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 4 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2001-2003 2003-2004 2004-2005 2006-現在 |
ガンバ大阪 サンフレッチェ広島 名古屋グランパスエイト 川崎フロンターレ |
1 (0) 21 (1) 23 (0) 22 (0) |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2007年10月4日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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井川 祐輔(いがわ ゆうすけ、1982年10月30日 - )は日本のプロサッカー選手。Jリーグディビジョン1(J1)・川崎フロンターレ所属。ポジションはディフェンダー。
目次 |
[編集] 来歴
千葉県成田市出身であるが、3歳から大阪で育った。
2001年、ガンバ大阪ユースからトップチームに昇格。「ポスト宮本」との呼び声も高かったが、出場機会を求めて2003年シーズン途中からサンフレッチェ広島に期限付き移籍、すぐにレギュラーをつかみ、広島のJ1昇格に貢献した。2004年途中からは名古屋グランパスエイト、2006年からは川崎フロンターレに期限付き移籍、その後2008年シーズンより完全移籍で所属となっている。
2006年9月20日のナビスコカップ準決勝第2戦ではベンチスタートで、ピッチ上への出番が来る前に審判へ執拗な抗議をして、後半0分退場を命じられた。ピッチ上にいない選手が退場となる非常に珍しいケースであった(退場だがチームは数的不利にはなっていない)。チームは2-3で敗れた。(チーム内で前年の森勇介に続き2例目)。
[編集] プレースタイル
ユース時代から年代別代表に選出され、将来を嘱望されていた選手。 カバーリングや狙い済ましたインターセプトなどに長けたセンターバックであるが、 1対1の守備にはまだまだ難があり、たびたび手を使用したファールなどで相手を止め、 チームを自陣ゴール近くのセットプレーの危機に頻繁に晒す。 また、ユーティリティ性が高く、サイドバック、ボランチ、ウイングバックなどでの出場経験もある。 むしろ本人が本職と言うセンターバックよりもそちらの方が生きる事が多い。
[編集] 学歴
- 吹田市立南竹見台小学校
- 吹田市立竹見台中学校
- 大阪府立北千里高校
- 関西大学→桐蔭学園横浜大学[1]
[編集] 人物
- 本人曰く「秋葉原に通ってる」らしい。ちなみに2007年の川崎フロンターレのファン感謝デーではヲタ芸(フロンターレでは「ンタ芸」と呼ばれている)を踊った。
- 2007年に体重が10キロ近く増えてしまい「メタボ」と呼ばれていたが、ダイエットに成功した。しかしチームメイトからは未だに「メタボ」と呼ばれている。
- また、2008年から川崎フロンターレの携帯サイト「モバイルフロンターレ」内でブログ「脱・メタボ日記」を開設した。
- 年ごとに頻繁に髪形を変える選手としても知られていて、名古屋時代にドレッドヘアーにして試合に出たことがある(これは、当時のチームメイト、クライトンの通訳に頼んだもの)。2008年ごろには、ユニフォームの背番号のところまでかなり長かったが、翌年には短髪になり、さらに短くなり坊主になった。
[編集] 所属クラブ
- 吹田千里FC
- ガンバ大阪ジュニアユース
- ガンバ大阪ユース
- 2001年 - 2003年8月 : ガンバ大阪
- 2003年8月 - 2004年6月 : サンフレッチェ広島*レンタル移籍
- 2004年7月 - 2005年 : 名古屋グランパスエイト*レンタル移籍
- 2006年 - 現 在 : 川崎フロンターレ*(2006年-2007年はレンタル移籍、2008年から完全移籍)
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2001 | G大阪 | 25 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 |
| 2002 | G大阪 | 25 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2003 | G大阪 | 25 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | |
| 広島 | 37 | J2 | 15 | 1 | - | 3 | 0 | 18 | 1 | ||
| 2004 | 広島 | 19 | J1 | 6 | 0 | 2 | 0 | - | 8 | 0 | |
| 名古屋 | 3 | J1 | 11 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 14 | 1 | |
| 2005 | 名古屋 | 3 | J1 | 12 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 17 | 0 |
| 2006 | 川崎 | 4 | J1 | 22 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 26 | 0 |
| 2007 | 川崎 | 4 | J1 | 19 | 1 | 4 | 0 | 3 | 0 | 26 | 1 |
| 2008 | 川崎 | 4 | J1 | 30 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 35 | 1 |
| 2009 | 川崎 | 4 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 101 | 2 | 21 | 1 | 7 | 0 | 129 | 3 | |
| 日本 | J2 | 15 | 1 | - | 3 | 0 | 18 | 1 | |||
| 総通算 | 116 | 3 | 21 | 1 | 10 | 0 | 147 | 4 | |||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2007 | 川崎 | 4 | 5 | 0 |
| 2009 | 川崎 | 4 | ||
| 通算 | AFC | 5 | 0 | |
[編集] 経歴
- Jリーグ初出場 2001年10月20日 J1・2nd 第10節対浦和レッドダイヤモンズ戦(万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 2003年9月6日 J2第32節対ヴァンフォーレ甲府戦(広島ビッグアーチ)
- 先発出場 52分ゴール
- J1初得点 2007年9月15日 J1第25節 大分トリニータ戦 (等々力陸上競技場)
[編集] 代表歴
- U-20日本代表(2001年)
- U-22日本代表(2002年)
[編集] 脚注
2010 FIFAワールドカップ南アフリカ最終予選で岡田監督から代表メンバーに招集された。
[編集] 関連項目
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