五稜郭 (テレビドラマ)

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年末時代劇スペシャル
五稜郭
ジャンル 時代劇
原作 杉山義法
企画 清水欣也
田中正雄
脚本 杉山義法
監督 斎藤光正
出演者 里見浩太朗
森繁久彌
田村高廣
三浦友和
渡哲也
十朱幸代
浅野ゆう子
野村宏伸
ナレーター 鈴木瑞穂
音楽 川村栄二
言語 日本語
製作
製作総指揮 岩淵康郎
プロデューサー 須永元
初川則夫
井上健
松岡明
菊池昭泰
佐藤丈
今井正夫
編集 河合勝巳
制作 日本テレビ
製作 ユニオン映画
放送
音声形式モノラル放送
前編
放送期間1988年12月30日
放送時間金曜 20:03 - 23:00
放送枠年末時代劇スペシャル
放送分177分
回数1回
後編
放送期間1988年12月31日
放送時間土曜 20:03 - 23:00
放送枠年末時代劇スペシャル
放送分177分
回数1回
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五稜郭』(ごりょうかく)は、1988年12月30日12月31日日本テレビで放映された日本テレビ年末時代劇スペシャルの第4作で、「昭和」最後の作品。放送時間は2回とも20時03分 - 23時(JST)で、20時 - 20時03分(JST)では予告番組『五稜郭のみどころ』が別途放送された。

概要[編集]

戊辰戦争、特に箱館戦争を通して榎本武揚の半生を描いた作品である。主演は里見浩太朗で、田村高廣三浦友和が特別出演している。

「年末時代劇スペシャル」の人気が高い時期の作品で、局側の力の入れようも相当であり、製作費は約10億円といわれる。本編時間も、前年の『田原坂』よりやや短縮されていたが、約4時間50分という堂々たる時代劇大作であった。前々年の『白虎隊』のストーリーの後日譚的部分もある。『白虎隊』、『田原坂』と合わせ「幕末三部作」を完結させる作品としていた[注釈 1]

DVDが発売・レンタルされており、またビデオ版もレンタルされている。

あらすじ[編集]

オープニングナレーション(ナレーター:鈴木瑞穂
慶応4年(1868年)、現在の北海道で戦いがあった。徳川260年の幕藩体制を壊滅させた維新の戦いは戊辰戦争をもって終結したわけではなかった。事実は、この蝦夷地に諸外国も認めた一つの政権が誕生し、それを制圧して維新の大業が完成を見るには、翌明治2年(1869年)の夏まで待たなければならなかったのである。当時その男達は夢を見た。鳥羽・伏見の戦いで始まる戊辰の戦いに敗れた一握りの幕臣たちは見果てぬ夢を追った。我々にはまだ蝦夷がある。蝦夷には広大な新天地がある。ある者は武士としての意地から、ある者は新政府に対する批判から。この男達は様々な思いを秘めて一隻の船に夢を託した。その船の名を開陽丸といい、北斗の星にも似た彼らの夢の城を五稜郭といった……
前篇 第一部 「江戸最後の日」―男たちの選択―
文久2年(1862年)からオランダに留学していた榎本釜次郎(武揚)は、開陽丸に乗って慶応3年(1867年)に日本へ帰国。直後に佐藤泰然の孫娘・多津と結婚。しかし、彼が力を尽くそうとしていた徳川幕府はすでに崩壊の時を迎えようとしていた。長崎海軍伝習所時代の先輩勝海舟が新しい時代を迎えるために幕府の幕引きを務める中、留学期間中の国内の情勢も知らないまま最強の幕府海軍を率いる榎本は、戦争を回避して薩摩・長州などの倒幕派に樹立された新政府と協力しようとする勝に反撥する。幕府や薩長の狭い視野を抜けて日本の将来を憂える勝の考えは理解されず、榎本は同様の不満をかかえる新選組副長土方歳三ら多くの幕臣達と共に北の果ての大地、蝦夷に向かう。そこには榎本らの夢があった。だが、蝦夷地の気候を甘く見た榎本らは旗艦・開陽丸を座礁させてしまった。
後篇 第二部「幻の蝦夷共和国」―箱館戦争―
日本初の選挙によって蝦夷共和国総裁に選ばれた榎本は、蝦夷を独立国とすべく新政府に嘆願するも一蹴される。一方開陽を失った軍事力を恢復するため、土方らは宮古湾へ向けて出航する。明治新政府が誇る最新艦甲鉄(ストーンウォールジャクソン)号をアボルダージで奪うためである(宮古湾海戦)。しかし政府軍参謀黒田清隆はこの作戦を察知。アボルダージは失敗に終わり、やがて、蝦夷地に新政府軍が上陸。次第に劣勢に追い込まれた蝦夷軍は、じわじわと追い詰められる。榎本の考えを理解しつつあった土方や中島三郎助も戦死。切腹しようとする榎本を松平太郎大鳥圭介大塚霍之丞らが押しとどめて降伏を説得。黒田ら政府軍の一部も、榎本ら蝦夷共和国軍の中の人材が失われることを惜しんで降伏を待っていた。箱館病院長高松凌雲の仲介の下、蝦夷共和国軍は降伏した。
エピローグ ウラルを越えて
榎本は逆賊として捕えられたが、黒田や福澤諭吉、それに義理の祖父佐藤泰然らの尽力により数年で赦され、周囲からも才覚を期待されて政府に仕官する。やがて、樺太千島交換条約批准のため、ロシアへの全権大使として黒田から推薦されサンクトペテルブルクへ赴いた榎本は、帰路シベリアに立ち寄る。蝦夷に似たシベリアの広大な大地を目にした榎本に去来した想いは何だったのか……

キャスト[編集]

榎本家の人々[編集]

榎本家
親戚たち

蝦夷共和国[編集]

共和国首脳
函館病院
フランス人士官
元新選組
艦長たち
その他

旧幕府軍関係[編集]

幕臣
新選組
徳川家
会津藩
桑名藩

新政府関係[編集]

長州藩
薩摩藩
佐賀藩

その他[編集]

スタッフ[編集]

特殊撮影スタッフ

制作[編集]

杉山義法は、『忠臣蔵』『白虎隊』『田原坂』に続き、『年末時代劇スペシャル』4作目の脚本執筆となる。忠臣蔵・白虎隊・田原坂が日本人の好む「滅びの美学」「自裁の美学」を強調した内容であったので、杉山は「(脚本家の立場として)私としては、もう主役が死ぬ内容の脚本を書きたく無い」という思いから、主要人物が死なない題材を探していたところ、箱館戦争に行き着いたという[1]

軍艦・回天丸のオープンセットは、琵琶湖畔に実際の大きさを再現して造られた。これに人々は「劇場映画でも見たことがないほどの豪華さ」と驚いたという[2]

特撮[編集]

  • 当時の東宝特撮を率いていた川北紘一が特技監督を務めた[3]。照明の斉藤薫は、映画『ガンヘッド』の制作が控えていたため、川北から特撮スタッフとの顔合わせも兼ねて本作品への参加を勧められた[3]
  • 主要な特撮シーンには、開陽丸などの軍艦、弁天台砲台、五稜郭があり、ミニチュアにより表現された。
  • 海戦シーンには東宝撮影所の大プールが使われた。
  • 近景の水柱はプールに火薬を仕込んで撮影されており、遠景の水柱はフロンガスを使って噴き出す形で表現されている。この撮影技法は次回作の「奇兵隊」でも同様である。

地方局の放送状況[編集]

前編の放送された1988年12月30日は金曜日、翌12月31日は土曜日で、一部のクロスネット局などでは、該当時間帯では他系列の番組を編成する局[注釈 2][注釈 3]もあったが、他系列の番組の差し替えせず、日本テレビと同時ネットで放送された。

その一方、九州地区におけるフジテレビ系列とのクロスネット局および、テレビ朝日系列を加えたトリプルネット局だった4局(系列は当時のもの)では、以下の対応が取られた。

前編は金曜日のプライムタイムの通常編成が日テレ系同時ネット枠だったため、同時ネットで放送されたが、後編は土曜日のプライムタイムの通常編成がフジテレビ系同時ネット枠の関係で、1989年1月2日午後に放送された。
当時の通常編成における金・土曜の20時台はどちらも日テレ系同時ネット枠だったが、両日とも本作を同時ネットせず、日テレ同時ネット枠の20時台は単発番組で穴埋めし、21時以降は他系列の番組[注釈 5][注釈 6]を放送したため、前編は1989年1月2日、後編は翌3日午後のローカル枠でそれぞれ放送された。
30日の20時台は日本テレビ系列の海外ドラマ『探偵レミントン・スティール』で穴埋めし、21時からはTOS同様にフジ系同時ネット[注釈 5]。31日はKTN同様、土曜日のプライムタイムの通常編成がフジ系同時ネット枠のため、第一部は1989年1月1日、第二部は翌1月2日午後のローカル枠で放送された。
前編はKTN同様に金曜日のプライムタイムの通常編成が日テレ系同時ネット枠だったため、同時ネットで放送されたが、31日のプライムタイムは別番組を放送[注釈 7]したため、後編は1989年1月2日午後に放送された。

クロスネット局含めて、日本テレビ系列の放送局が存在しない沖縄県では、TBS系列局琉球放送(RBC)が約1年遅れで1989年12月29日(金)の15時から前編、翌30日(土)の正午から後編を放送した。

関連作品[編集]

同シリーズ第2弾。本作の会津戦争関係描写と大きく関連している作品。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 実際は次回作、次々回作も幕末物が続いた。
  2. ^ 当時、テレビ朝日系列とのクロスネット局であった山形放送(YBC)では、TBS系列局テレビユー山形(TUY)が未開局(1989年10月開局)だったため、金曜21時台はTBS系列の『ナショナル劇場』を、22時台はテレビ朝日系の木曜21時台ドラマの遅れネットを通常編成していた。なお、本来の日テレ系列の番組である『金曜ロードショー』は、当時フジテレビ系列の山形テレビ(YTS)が『火曜ロードショー』として火曜21:00に遅れネットしていた。
  3. ^ 青森放送(RAB、当時はテレ朝系とのクロスネット)・秋田放送(ABS・日テレ単独加盟局)およびYBCでは、通常編成では22:00からテレビ朝日系の『土曜ワイド劇場』を1時間遅れで放送していた。なお、テレビ信州(TSB、当時はテレ朝系とのクロスネット)・テレビ大分(TOS、後述)では『土曜ワイド劇場』はテレ朝系同時ネットで放送されていた。
  4. ^ a b クロスネット時代のKTNおよび、UMKはNNSには非加盟。
  5. ^ a b TOS・UMKとも、30日の21時以降はフジテレビ系列同時ネット枠として『男と女のミステリー OL三人旅』を放送した。
  6. ^ 31日の21:00 - 22:48はテレビ朝日系で12月29日(木)に放送された『ご存知!旗本退屈男Ⅱ』を放送した。当時のTOSの土曜21:00 - 22:54はテレ朝系同時ネットだったが、クロスネットの関係により、テレ朝系の年末特番を同時ネットできず、同番組を放送したため、期せずして他系列の時代劇スペシャルドラマの遅れネットとなった。
  7. ^ クロスネット時代のKTSの土曜20時台は日テレ同時ネット枠だったが、TOS同様、本作後編を同時ネットせず、20:00 - 20:54は単発の穴埋め番組を放送。通常編成ではフジ系同時ネット枠だった21時台以降も、KTN・UMKとは異なり、フジ系の年末特番を同時ネットせず、KTSでは単発の2時間スペシャルドラマを放送した。

出典[編集]

  1. ^ 新人物往来社刊、『別冊歴史読本ビジュアル版・イラストでみる箱館戦争』1988年8月25日発行より
  2. ^ 『テレビ夢50年 番組編4 1981〜1988』日本テレビ50年史編集室、2004年、6 - 7頁。 
  3. ^ a b 「破之壱 『ゴジラVSビオランテ』」『平成ゴジラ大全 1984-1995』編著 白石雅彦、スーパーバイザー 富山省吾双葉社〈双葉社の大全シリーズ〉、2003年1月20日、104頁。ISBN 4-575-29505-1 

参考文献[編集]

日本テレビ 年末時代劇スペシャル
前番組 番組名 次番組
田原坂
(1987)
五稜郭
(1988)
奇兵隊
(1989)