二尊院
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| 二尊院 | |
|---|---|
| 所在地 = 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27 | |
| 位置 | 北緯35度1分16.42秒 東経135度40分4.37秒 |
| 山号 | 小倉山 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 本尊 | 釈迦如来・阿弥陀如来(重要文化財) |
| 創建年 | 承和年中(834年 - 847年) |
| 開基 | 円仁、嵯峨天皇(勅願) |
| 正式名 | 小倉山 二尊教院 華台寺 |
| 札所等 | 法然上人二十五霊跡17番 |
| 文化財 | 木造釈迦如来立像・阿弥陀如来立像、絹本著色法然上人像ほか(重要文化財) |
二尊院(にそんいん)は、京都市右京区の嵯峨野にある天台宗の寺院。山号は小倉山。詳しくは、小倉山二尊教院華台寺という。二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像による。
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られる。また、奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家の時雨亭跡とされる場所がある。
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[編集] 歴史
平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。
[編集] 伽藍
- 本堂 - 永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建。
- 勅使門(唐門) - 永正18年(1521年)、三条西実隆によって再建。
- 総門 - 伏見城の薬医門を移築したものとされる
- 八社ノ宮 - 室町時代建立
- 弁財天堂
- 鐘楼
境内には公家の二条家、三条家、四条家、三条西家、鷹司家の墓地のほか、伊藤仁斎・伊藤東涯父子、角倉了以・角倉素庵父子の墓などがある。また境内奥には土御門天皇、後嵯峨天皇、亀山天皇の分骨を安置する三帝陵がある。
[編集] 文化財
[編集] 重要文化財
- 木造釈迦如来立像・阿弥陀如来立像
- 本堂に安置。鎌倉時代の作。像高は両像とも78.8センチ。向かって右に発遣(ほっけん、現世から来世へと送り出す)の釈迦如来、左に来迎(西方極楽浄土へ迎え入れる)の阿弥陀如来が並び立つ。像表面は現状では黒ずんでいるが、金泥塗りとし、截金で文様を表している。両像はよく似ているが、下半身の衣文の形式などに変化をつけている。釈迦如来像が右手を上げ、左手を下げる一般的な印相を示すのに対し、阿弥陀像は右手を下げ、左手を上げる形に造り、両像は左右対称形となっている。また、通常の阿弥陀如来像は親指と人差し指(または中指、薬指)で輪をつくる印相を示すが、当寺の阿弥陀如来像は下げた右手の指を5本とも真っ直ぐ伸ばしている点が珍しい。
- 絹本著色逍遥院実隆像・称名院公条像
- 絹本著色浄土五祖像
- 絹本著色十王像
- 絹本著色釈迦三尊像
- 絹本著色法然上人像 - 鎌倉時代。通称「足曳きの御影」。画面の損傷が激しいが、法然の画像としては最古級のものである。
- 法然上人七箇条制法 附:蒔絵箱
- 法門名義 巻第一