二宮町 (栃木県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
二宮町
廃止日 2009年3月23日
廃止理由 編入合併
二宮町真岡市
現在の自治体 真岡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 栃木県
芳賀郡
団体コード 09341-6
面積 55.45km²
総人口 16,173
推計人口、2009年3月1日)
隣接自治体 栃木県
真岡市小山市下野市
茨城県
筑西市桜川市
町の木 サクラ
町の花 イチゴ
町の鳥 ヒバリ
二宮町役場
所在地 321-4592
栃木県芳賀郡二宮町石島893-15
二宮町役場
外部リンク 二宮町
座標 北緯36度23分12秒
東経139度58分10秒

二宮町 (栃木県)位置図

― 市 / ― 町

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

二宮町(にのみやまち)は、栃木県南東部に位置し、芳賀郡に属していた真岡市への通勤率は20.6%(平成17年国勢調査)。町名は二宮尊徳にちなむ。2009年3月23日、真岡市に編入。

地理[編集]

鬼怒川左岸に位置し、茨城県と境を接する。町内には他に五行川小貝川が流れている。

隣接していた自治体[編集]

歴史[編集]

二宮の地に人が住み始めたのは縄文時代、土器や石斧などが出土。古墳時代の豪族の墳墓が各地にみられ、当時大和朝廷の支配下におかれ、物部地区は物部氏の領地であったことがうかがえる。平安時代後期、平将門の乱で将門を討った藤原秀郷下野守に任じられ、その一族が下野国において勢力拡大。秀郷の子孫の小山政光の次男宗政が1184年寿永3年)長沼地区に長沼城を築き長沼姓を名乗る。戦国時代には下館城水谷蟠竜斉が、久下田地区と隣接する筑西市樋口に久下田城を築城し、木綿織を奨励するなど、後の久下田町の基礎を築く。江戸時代真岡藩下館藩土浦藩笠間藩小田原藩などの領地となる。江戸後期1823年、疲弊し荒れ果てた桜町(現在の二宮町物井、真岡市東郷の一部)に小田原藩主大久保忠真の命により、尊徳37歳のときに赴任、疲弊した領内を復興させた。以後26年間に渡り、桜町を拠点とし、周辺諸国の復興を行う。現在は桜町陣屋。久下田町遊郭(くげたまちゆうかく)1901年(明治34年)開設。

年表[編集]

町内には西から鬼怒川、五行川、小貝川と3本の一級河川が南流している。 二宮尊徳が36年間過ごした陣屋跡が「史跡・桜町陣屋跡」として国指定の史跡になっており、周辺は史跡公園として整備されている。尊徳資料館が隣接している。 また、浄土真宗の開祖としてしられる、親鸞が建立した専修寺があり、こちらも「史跡・高田山専修寺境内」として境内全体が国指定の史跡となっている。

行政区域変遷[編集]

  • 変遷の年表
  • 変遷表

行政[編集]

町長[編集]

Linux への移行[編集]

独立行政法人情報処理推進機構の「自治体におけるオープンソースソフトウエア活用に向けての導入実証」に参加。2006年2月から役場内の事務用パソコンOSを、他の官公庁、自治体との間でのデータ交換用を除き、ほとんどすべてWindowsからLinuxに移行している。 またこれに伴い、オフィスソフトやメールソフトなども、オープンソース・ソフトウェアに移行している。

経済[編集]

産業[編集]

いちごは平成元年から17年連続日本一を誇り、生産額は50億円を突破している。400世帯の農家により年間4800トンの収穫量。主力商品は甘みの豊かな「とちおとめ」である。

地域[編集]

教育[編集]

名称は廃止当時のもの。現在はすべて真岡市立。

  • 二宮町立久下田中学校
  • 二宮町立長沼中学校
  • 二宮町立物部中学校
  • 二宮町立久下田小学校
  • 二宮町立長沼北小学校
  • 二宮町立長沼南小学校
  • 二宮町立物部小学校
  • 二宮町立物部小学校高田分校(2008年3月閉校)

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]

催事・祭事

  • 高田山専修寺の針供養(高田の夜祭り)(8月1日)
  • 久下田町のいたどまち(11月下旬)
  • 二宮夏祭り・花火大会(尺玉連発)(8月下旬)
  • にのみやいちごまつり(イチゴ狩り)(5月下旬)
  • 泥んこバレーボール大会(7月下旬)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 9 栃木県』、角川書店、1984年 ISBN 4040010906より
  2. ^ 日本加除出版株式会社編集部『全国市町村名変遷総覧』、日本加除出版、2006年、ISBN 4817813180より

関連項目[編集]

外部リンク[編集]