亀田三兄弟

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亀田三兄弟(かめださんきょうだい)は父・亀田史郎がトレーナーを務めていた兄弟であり、亀田興毅亀田大毅亀田和毅の3人を指す。商標登録されている。単に亀田兄弟と呼ばれることも多い。

目次

[編集] 概要

父・亀田史郎が、「3人を(ボクシングの)世界チャンピオンに育てる」と公言。2000年頃からTBSが密着取材をし、独特のトレーニング方法等を取り上げた特集番組が放映される。2005年5月、興毅が協栄ボクシングジムに移籍し、4人が上京をした辺りから他のメディアでも多く取り扱われるようになる。

「亀田三兄弟」として取り上げられることが多いため、3人兄弟と思われがちだが、実際には和毅の下に妹が1人いる。

[編集] 人物

長男 - 亀田興毅(かめだ こうき、1986年11月17日 - )
キャッチコピーは「浪速乃闘拳(なにわのとうけん)」。対戦相手を過激に挑発するパフォーマンスや言動がしばしばメディアで取り上げられ、賛否両論がある。左利きである。2006年8月WBA世界ライトフライ級王座に就く。

2009年11月29日WBC世界フライ級王者内藤大助を判定で下し、日本人史上7人目の2階級制覇を達成した。

次男 - 亀田大毅(かめだ だいき、1989年1月6日 - )
キャッチコピーは「浪速乃弁慶(なにわのべんけい)」。試合の勝利後にリングで歌う等のパフォーマンスをすることが多い。兄と同じく、対戦相手に対して激しい挑発などのパフォーマンスをよく行う。内藤大助戦において数度の反則行為を行い、2007年10月から1年間のライセンス停止の処分が下された。翌年11月復帰を果たした。
三男 - 亀田和毅(かめだ ともき、1991年7月12日 - )
キャッチコピーは「亀田家最終兵器、エル・メヒカニート」興毅・大毅曰く「兄弟の中で一番センスあるのは和毅」。2008年北京五輪を目指していたがアマチュア機構側との衝突により断念。(かねてより「北京オリンピックに出る」と宣言していたが、父である史郎がオリンピック参加資格年齢を数え間違えていたため、和毅が北京オリンピックに出られないことがわかった。史郎は和毅を出場させるために機構側に年齢引き下げを要求したが断られた。)中学校時代からほぼボクシングに専念しており、不登校状態の時期が長い。そのため満足な義務教育を受けているとは言えず、保護者であり父親である亀田史郎への批判も強い。卒業後は「武者修行」と称してメキシコにて活動。2008年メキシコでプロデビューを果たす。

[編集] 亀田プロモーション

株式会社亀田プロモーション(かぶしきがいしゃかめだプロモーション)は、2006年に設立された亀田三兄弟の個人事務所。代表取締役社長は亀田史郎。スポンサー契約、ジムとの契約など、主にリング外での亀田三兄弟の活動についてサポートする。

[編集] 亀田ジム

亀田ジム(かめだジム)は、2008年に設立された亀田兄弟の所属ボクシングジム。会長は五十嵐紀行。ジムは、東京都葛飾区にある亀田兄弟の自宅に隣接する(既存の道場を使用)。

2008年5月9日付で協栄ボクシングジムとの契約を解除した亀田兄弟の新所属先として、2008年8月11日、東日本ボクシング協会に加盟。

会長の五十嵐紀行は、亀田プロモーションのチーフマネージャー(ボクシング未経験者だが特例で承認された)。またトレーナーとなる元ワタナベボクシングジムの吉井真二が管理責任者に就任。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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