海援隊

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海援隊旗
二曳(にびき)と呼ばれていた

海援隊(かいえんたい)は、江戸時代後期の幕末に、土佐藩脱藩の浪士である坂本龍馬が中心となり結成した組織である。1865年から1868年まで3年余りに亘り、私設海軍・貿易など、薩摩藩などからの資金援助も受け、近代的な株式会社に類似した組織、商社活動としても評価されている。運輸、開拓、本藩の応援、射利、投機、 教育(修行科目 政法・火技・航海・汽機・語学等)等、隊の自活運営、政治・商事活動を行った。出版も手掛け和英通韻伊呂波便覧閑愁録藩論などがある。中岡慎太郎が隊長となった陸援隊と併せて翔天隊と呼ばれる。

沿革[編集]

亀山社中(現亀山社中記念館)

1865年閏5月、幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て長崎の亀山(現在の長崎市伊良林地区・北緯32度44分55.52秒 東経129度53分12.53秒 / 北緯32.7487556度 東経129.8868139度 / 32.7487556; 129.8868139)において前身となる亀山社中(かめやましゃちゅう)が結成され、当初は、貿易を行い、交易の仲介や物資の運搬等で利益を得ながら、海軍、航海術の習得に努め、その一方で国事に奔走していた。

神戸海軍操練所時代に考えていた実践でもあり、目的はこれらの活動を通じて薩長の手を握らせることにもあった。 グラバー商会などと取引し、武器や軍艦などの兵器を薩摩藩名義で購入、長州へ渡すなどの斡旋を行い、険悪であった薩摩と長州の関係修復を仲介する。1866年3月、薩摩の西郷隆盛(吉之助)・長州の木戸孝允(桂小五郎)を代表とする薩長同盟の締結に大きな役割を果たす。

1866年6月の第二次幕長戦争(第二次長州征伐)においては長州藩軍艦ユニオン号で、下関海戦に参加、幕府軍を相手に戦い、長州の勝利に大きく貢献する。

1867年4月には坂本龍馬の脱藩が許されて隊長となり、土佐藩に付属する外郭機関として「海援隊」と改称される。海援隊は土佐藩の援助を受けたが、基本的には独立しており、脱藩浪人、軽格の武士、庄屋、町民と様々な階層を受け入れ「海援隊約規」には「本藩を脱する者、および他藩を脱する者、海外の志のある者、この隊に入る」「運輸、射利、投機、開拓、本藩の応援」とあり、射利つまり利益の追求が堂々と掲げられていた。会社と海軍を兼ねた組織であり、航海術や政治学、語学などを学ぶ学校でもあった。

いろは丸沈没事件においては、紀州藩賠償金を請求する。 また慶応三年七月に中岡慎太郎は陸援隊を組織する。

倒幕運動に奔走するが大政奉還、内戦回避の坂本と薩摩・長州の武力倒幕では意見が相違した。 同年11月15日12月10日)、京都近江屋で坂本が陸援隊隊長の中岡とともに暗殺されると求心力を失って分裂し戊辰戦争が始まると長岡謙吉らの一派は天領である小豆島などを占領し菅野覚兵衛らは佐々木高行とともに長崎奉行所を占領し、また小豆島も治めた。長岡兼吉が慶応4年4月土佐藩より海援隊長に任命されたが、同年閏4月27日6月17日)には藩命により解散される。土佐藩士の後藤象二郎は海援隊を土佐商会として、岩崎弥太郎九十九商会三菱商会・郵便汽船三菱会社(後の日本郵船株式会社)・三菱商事などに発展させる。

坂本は蝦夷地北海道)開発事業に着手する計画を持っていたといわれ、のちに親族の坂本直寛が遺志を継ぎ明治時代に北海道空知管内浦臼町に入植している。

主な海援隊士[編集]

海援隊士集合写真。1867年1月頃撮影
  • 土佐
    • 坂本龍馬 - 海援隊隊長。
    • 沢村惣之丞
    • 佐々木高行 - 土佐藩上士。戊辰戦争において海援隊の指揮を執った。龍馬死後は戦闘面では実質的に二代目の隊長であった。
    • 長岡謙吉 - 海援隊の事務全般を執り行い、龍馬死後は二代目の隊長となる。土佐藩の医者の家出身で鳴滝塾にてシーボルトに医学を学んだ経歴を持つ。維新後は三河県知事。
    • 石田英吉 - 医師の家に生まれ緒方洪庵に師事し、医術を学んだ経歴を持つ。維新後は秋田県令・千葉県知事はじめ、多くの県知事職を歴任。海援隊時代の同士であった陸奥宗光が農商務大臣になったとき次官に招かれ、陸奥を補佐した。長岡とともに逸材とされ、「二吉」と賞される。
    • 坂本直(高松太郎) - 龍馬の甥であり、子のなかった龍馬の家を継ぎ、坂本直と改名した。
    • 菅野覚兵衛 - 土佐で庄屋業をしていた。維新後海軍少佐。西南戦争時には薩摩に滞在していた。
    • 新宮馬之助 - 龍馬の近所で生まれ、幼馴染。龍馬の姉乙女宛ての手紙に頻繁に名前が出てくる。維新後は海兵団に所属、海軍大尉。
    • 池内蔵太[1] 
    • 安岡金馬
    • 野村維章(野村辰太郎) - 土佐藩白札格出身で砲術教授役をしていた。明治維新後は佐賀県権参事・参事を歴任後、初代茨城県令に就任。その後、控訴院検事を歴任し、東京控訴院検事長・大阪控訴院検事長。
    • 中島信行(中島作太郎) - 土佐の郷士。維新後、板垣退助とともに自由民権運動を指導した。初代衆議院議長。
    • 近藤長次郎[1] - 生家は龍馬の家の近くで饅頭屋をやっていた。薩長同盟の時には、伊藤博文・井上馨とともに長州藩の軍艦兵器の買い付けに多大な功績があった。長州藩の勧めで英国留学する予定であったが他の同士から脱退をとがめられ、自刃した。
    • 吉井源馬
    • 山本復輔(洪堂)
    • 坂本清次郎(三好清明) - 龍馬の親戚。維新後、自由民権運動に参加。
  • 越前
  • 越後
  • 讃岐
  • 紀伊
    • 陸奥宗光 - 紀州藩士。維新後、知事・県令等歴任。その後、農商務大臣・外務大臣。外務大臣として、条約改正・日清戦争講和・三国干渉などにつきすぐれた手腕を発揮した。
  • 下関
  • 長崎
    • 小曽根英四郎 - 長崎の商人でもあり、海援隊の活動を支える。豪商小曽根乾堂の弟。
    • 大浦慶 - 長崎の商人で日本茶輸出貿易の先駆者。海援隊の活動を支える。
    • 中江兆民 - 海援隊士ではなかったが、海援隊宿舎で居候をしていた。後年、当時の龍馬について語っている。
    • 岩崎弥太郎 - 海援隊士ではなく土佐藩の長崎留守居役であったが、海援隊の経理を担当していた。のちに三菱財閥を起こす。

運用船舶[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 亀山社中が海援隊と変わる以前に死亡しているため、厳密には海援隊の隊士ではない

関連項目[編集]

外部リンク[編集]