乾元大宝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
乾元大宝(東京国立博物館所蔵)

乾元大宝乹元大寳、けんげんたいほう)は、958年天徳2年)に、日本で鋳造、発行された銭貨である[1]皇朝十二銭の最後に鋳造された。

概要[編集]

直径19mm前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で乾元大寳と表記されている(実際には「乾」の字のへんが「卓」つくりが「乚」になっている)。裏は無紋である。量目(重量)2.5g程度の銅の鋳造貨である。

乾元大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用されたと考えられている。小型で鉛が75%、あるいはそれ以上を占めるものもあるなど品位は非常に低く[2][3]、また製作も悪く銭文の文字が読めないものも少なくなく、流通範囲も狭かったらしい。だが、当時の平安貴族には貨幣流通不振の理由が分からず、『日本紀略』によれば天徳2年4月8日には伊勢神宮以下11社に新造の乾元大宝を奉納して流通を祈願している[4]

963年応和3年)に、朝廷発行の最後の貨幣として鋳造を終了している。以後自然貨幣として輸入銭や民鋳銭と混用されることとなる。

銭文の作者[編集]

銭文について、本来であれば当時の代表的な能書家であった木工頭小野道風が書くべき所、既に65歳となっていた道風は眼病(老人性白内障とされる)が進行して細字を書くことができなかった。さらに、道風に次ぐ能書であった大内記紀文正も触穢と称して拒絶したため、やむなく図書允・阿保懐之が書くことになった[5]

脚注[編集]

  1. ^ 「改銭貨文延喜通寳、為乾元大寳」『日本紀略』天徳2年3月25日條
  2. ^ 甲賀宜政 『古銭分析表 考古学雑誌』第9巻第7号、1919年
  3. ^ 齋藤努・高橋照彦・西川裕一 『金融研究 古代銭貨に関する理化学的研究 「皇朝十二銭」の鉛同位体比分析および金属組成分析』 日本銀行金融研究所、2002年
  4. ^ 榎村寛之 「平安時代中期の京内銭貨幣流通についての一考察」栄原永遠男・編『日本古代の王権と社会』塙書房、2010年
  5. ^ 『日本紀略』天徳2年4月7日条