中野竹子
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中野 竹子(なかの たけこ)、嘉永3年(1850年)または弘化4年(1847年)? - 慶応4年8月25日(1868年10月10日))は、幕末の女性。
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[編集] 概要
会津藩江戸詰勘定役中野平内の長女として江戸で生まれた。聡明で学問に長じ、また薙刀の名手であった。戊辰戦争が始まると会津若松城下に戻り、学問や薙刀を教える。官軍が城下に侵攻した際、母こう子らと共に娘子軍を結成し奮戦したが被弾。首級を敵に与えることを潔しとせず、母の介錯[1]により果てた。首級は農兵の手により法界寺に埋葬された。享年18[2]。
[編集] 辞世
「武士の猛きこころにくらふれは 数にも入らぬ我が身なからも」