中華民国

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中華民国
中華民國
中華民国の国旗 中華民国の国章
国旗 国章
国の標語: 民族、民權、民生
国歌: 中華民国国歌(三民主義歌)
国旗歌:中華民国国旗歌
中華民国の位置
公用語 国語 (中国語)
首都 台北市
最大の都市 新北市
政府
総統 馬英九
行政院長 呉敦義
面積
総計 36,189.505km2134位
水面積率 10.3%
人口
総計(2011年 23,22,4912人(46位
人口密度 636.82人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(xxxx年 xxx,xxx新台湾ドル(NT$)
GDPMER
合計(2007年 3,833.07億ドル(24位
GDPPPP
合計(2011年 8,864億ドル(11位
1人あたり 37,932ドル
建国
 - 革命成功日付
 - 建国日付
 - 国民政府成立日付
 - 台湾光復日付
 - 台北遷都日付
 
1911年10月10日
1912年1月1日
1928年6月9日
1945年10月25日
1949年12月7日
通貨 新台湾ドル(NT$)(TWD
時間帯 UTC +8(DST: なし)
ISO 3166-1 TW / TWN
ccTLD .tw
国際電話番号 886
PREFIXはBV BM BN BO BP BQ BU BW BX
注:このリストは中華民国政府が実効支配している地域のものである。
中華民国
繁体字 中華民國
英語
英語: Republic of China

中華民国(ちゅうかみんこく)、東アジア太平洋沿岸に位置する民主共和制国家。現在は台湾島と周辺の島嶼群、南沙諸島の一部などを実効支配し、日本フィリピン中華人民共和国などと領海を接している。

中華民国を正式に国家として承認している国は少ないが、それ以外の多くの国とも事実上独立した地域として国交に準じた関係を結んでいる。

目次

[編集] 概要

1920年代の上海
中国の歴史
元謀藍田北京原人
神話伝説三皇五帝
黄河長江遼河文明
西周
東周 春秋
戦国
前漢
後漢
三国
西晋
東晋 十六国
南北朝 北魏
西魏 東魏
北周 北斉
 
 
五代十国
北宋 西夏
南宋
北元
後金  
満洲 中華民国
 
中華人民共和国 中華民国
台湾
* 中国の歴史年表
* 朝鮮半島を中国とみなす記述
Portal:中国

1912年1月1日に、革命家孫文を臨時大総統(大統領代理)として、中国大陸を中心とする中国を代表する国家として成立した。

同年2月12日には、清朝皇帝である宣統帝が退位することによって、その後袁世凱が大総統(大統領)に就任した。その後、袁世凱と対立した孫文は1919年中国国民党を創建し、1921年には後の国民政府の基となる革命政府を広州で樹立したものの、1925年に死去した。

蒋介石(左)と孫文(右)(1923年)
蒋介石と妻の宋美齢

1924年には中国共産党との間で第一次国共合作をおこなったが、南京事件が起こったことで1927年4月に国共合作を解消すると、孫文の後継者となった蒋介石の指揮下で上海武漢などの各地方で中国共産党員を掃討する運動、いわゆる上海クーデターを起こした。その後国民政府は蒋介石の南京国民政府と、これに反対する汪兆銘等の「武漢国民政府」に分裂するが、間もなく両者は合流、また、北方軍閥の張作霖日本軍によって爆殺された後、張作霖の息子の張学良が蒋介石の傘下に入る。

その後、日本の後援により、愛新覚羅溥儀を執政に擁き東北地域に満州国が設立され、さらに1937年に起きた盧溝橋事件を契機として、中華民国は日本との全面戦争状態に入った。これに対抗して日本軍は、国民党の反蒋介石派であった汪兆銘を首班とした新たな国民政府(汪兆銘政権)を樹立することになる。その後、日本は、中華民国と友好関係にあったイギリスアメリカ合衆国などと1941年12月に開戦し第二次世界大戦に突入したため、中華民国は連合国の主要国として枢軸国と対峙した。

1945年9月2日ポツダム宣言調印により、中華民国は第二次世界大戦での勝利が決定した。そして、主要勝戦国の1国として国際連合の設立メンバーとなり、またGHQからの委託に基づき、1945年10月15日台湾島に進駐。1945年10月25日に台北で日本側の安藤利吉台湾総督・第十方面軍司令官が降伏文書に署名し、中華民国は光復式典を行って台湾の実効支配を開始した。日本が台湾などを中華民国へ返還することは1943年12月1日カイロ宣言に謳われているが(ただし、この宣言に有効性はないとする説もある)、この時点では行政権を中華民国に移譲しただけであり、国際法上、台湾島地域は依然として日本の領土であった。 しかし、アメリカ合衆国政府が支援する中国国民党と、ソビエト連邦政府が支援する中国共産党との間の内戦において、ヨーロッパにおけるソビエト連邦との間の冷戦朝鮮半島での緊張に気を取られたアメリカ政府による支援が減ったことなどにより、1949年初めには中華民国の実効支配地域が縮小し、1949年10月1日には中国共産党により中華人民共和国が樹立。 この1949年の12月7日蒋介石総統率いる中国国民党政府が、首都を中国共産党に実効支配された南京から、臨時首都として台湾島の台北に移転したことにより、台湾島地域及び金馬地区などのみを実効支配する国家として、1950年までに再編成された。また同時に戒厳体制が発布された。

日本は、1951年サンフランシスコ講和条約および1952年日華平和条約において台湾島地域に対する権原を含める一切の権利を放棄したが、それらの帰属先が明言されていないため、台湾島地域の国際法上の領有権は現在でも未確定であるという見方(台湾地位未定論)がある。

冷戦下の1971年に、中ソ対立の中でアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国と、ソビエト連邦をはじめとする東側諸国との間で政治的駆け引きが行われた結果、国際連合における「中国の代表権」が、アルバニア決議によって中華人民共和国に移され、中華民国は国連とその関連機関から脱退した。さらに、1972年にアメリカのリチャード・ニクソン大統領北京を訪問し、中華人民共和国を承認する意向を見せると、日本は中華人民共和国を承認し中華民国と断交。その後1979年にアメリカが最終的に中華人民共和国を「中国の代表権を持つ正統政府」として承認すると、アメリカの影響下にある多数の西側国家がこれに同調した。

冷戦が終わり、ソビエト連邦が崩壊すると、1987年に蒋介石の息子で総統職を世襲した蒋経国が戒厳を解除。続いて李登輝政権下の1996年に、国民党一党独裁による寡頭共和制は終わり、複数政党制と大統領制を主体とした民主共和制に変わった(総統民選期の中華民国)。また、その経済貿易規模も大きいことなどから、日本やアメリカ、イギリスフランスなどをはじめとする主要国とは形式上国交こそないものの、非政府組織を通じて外交業務を行っているため、事実上の国交があると言える状態にある。また、世界貿易機関 (WTO) のように、主権国家ではなく、領域を代表するものとして中華民国政府の加盟を認めた国連機関もある。

21世紀初頭では、大統領制の議会制民主主義を主体とした民主共和制国家として、台湾海峡を挟んで中国大陸と接している台湾島・澎湖諸島(台湾省・台湾地区)、および福建省沿岸の金門島馬祖島(金馬地区)、南シナ海東沙諸島および南沙諸島太平島を実効支配している。

また、アメリカは、第二次世界大戦勃発以来、中華民国と事実上の同盟関係にあり、中華民国が軍事的脅威にさらされた場合は台湾関係法に基づき、適切な行動を取ることとなっている。実際に、1996年に行われた総統選挙に伴い、中華人民共和国の人民解放軍(共産党軍)が選挙への恫喝として軍事演習を強行し、基隆沖海域にミサイルを撃ち込むなどの威嚇行為を行った際には、アメリカ軍はこれに対して台湾海峡に空母打撃群を派遣し、同国のウォーレン・クリストファー国務長官は「アメリカは必要な場合には、台湾を助けるために台湾に近づく」と中華人民共和国に対して警告した。また、2008年3月に行われた総統選挙の際も近海に空母2隻を派遣した。

[編集] 歴史

中国大陸統治時代
中台両地域統治時代(国共内戦
台湾の歴史
台湾の歴史
台湾史年表
先史時代
オランダ統治時代 (1624-1662)
鄭氏政権 (1662-1683)
清朝統治時代 (1683-1895)
台湾民主国 (1895)
日本統治時代 (1895-1945)
中華民国 (1945-現在)
政治史
経済史
文化史
社会史
教育史
メディア史
軍事史
交通史
両岸関係史
台北の歴史
高雄の歴史
台湾古跡一覧
遺跡
参考
中国の歴史
中華民国の歴史
その他台湾に関する記事
文化 - 経済 - 地理
政治 - 教育 - 軍事
人口 - 言語 - 交通
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台湾国民政府時代
台湾総統民選時代

[編集] 国名

中国語北京語正体字表記)での正式名称は、中華民國(チュンホァミンクォ、漢語拼音:Zhōnghuá Mínguó、ウェード式:Chung-hua Min-kuo、注音符号:ㄓㄨㄥㄏㄨㄚˊ ㄇㄧㄣˊㄍㄨㄛˊ)であり、国内では中華民國のことを中華と表記することもある。また、公式の英語表記は、Republic of China (リパブリク・オヴ・チャイナ)で、略称は R.O.C. である。

[編集] 国名表記を巡る諸問題

中華民国の国名表記は、中華民国政府が「全中国 (China) を代表する主権国家」であるという認識に基づいている。そのために、1971年に国際連合で中華人民共和国が「全中国を代表する主権国家」として承認されてからは、国際連合の影響下にある国際機関では中華民国のことを『中華民国』 (Republic of China) と称するケースが減少し、オリンピック1984年冬季大会以後)などのスポーツ大会や各種国際機関においては、Chinese Taipeiチャイニーズタイペイ、中華台北)という名称が使用されている。これは、国際連合ならびに同加盟国の多くが、中華民国政府を「全中国を代表する主権国家」として承認しない一方で、中華民国政府との非公式関係を維持していることによる。なお、世界貿易機関 (WTO) に関しては、Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu台湾・澎湖・金門・馬祖個別関税領域)という名称で加盟しており、Chinese Taipei とともに中華民国の名称として使用されている。

一方、中華民國という国名や Chinese Taipei という名称について、20世紀末以降は台湾地域を中心として反発が生じるようになり、李登輝元総統(任期:1988年 - 2000年)を始めとする泛緑連盟の構成員・支持者達が、中華民國という現在の国号を「台灣」(臺灣)という名称に変更しようという台湾正名運動を興している。しかし、「中国の政党」であると自認する中国国民党を始めとした泛藍連盟の構成員・支持者達は国号変更に反対しており、この件に関する国論は二分されている。それと同時に、中華民国の一般住民の国に対する意識も1990年代から変化し始めていると喧伝される。

この様な背景もあり、中華民国政府は2003年9月以後、中華民国旅券に、中華民国の正式名称とともに TAIWAN を付記して発行するようになった。なお、2004年9月7日中華民国外交部スポークスマンは「国交を持たない国に対しては「台湾」を強調することを最優先課題にし、将来的には国交を持つ国との間でも条約文書などで Taiwan を使用し、中華人民共和国との混同を避けるようにしたい」と話し、また、「9月7日の時点で中華民国行政院日本の内閣に相当)は、自国の略称として第一に R.O.C. 、第二に Taiwan 、第三に Taiwan,R.O.C. 、第四に R.O.C. (Taiwan) 、第五に TPKM (台湾[Taiwan], 澎湖[Penghu], 金門[Kinmen], 馬祖[Matsu]) を使用しているが、陳水扁総統の指示があれば使用順位を入れ替えて Taiwan を第一とする。」とも話した。その為、中華民国の対外的な略称が R.O.C. から Taiwan へと変更される可能性はあるが、仮に変更したとしても政権交代等が発生すれば元に戻される可能性もある。

[編集] 日本における国名表記

日本語表記は中華民国

マスコミでは「台湾」という表記・呼称を使用し、中華民国と他の国々を総称する際は「国及び地域」と表記している。なお、中華民国を「」、「台湾」を「」と略称する例もある。スポーツ関連では上記の通り「チャイニーズタイペイ」を使用することが多い。

日本政府は、1972年以降は中華民国を国家として承認していないが、サンフランシスコ講和条約において台湾島一帯の領有権放棄後の帰属については言明していない。また、日中共同声明でも、日本政府は「中国の立場を十分に理解し尊重する」と表明はしたが、中華民国及び台湾島一帯の地位について明確にしたわけではないため、あくまでも独立国として承認していないと同時に、中国の領土と認めているわけでもない。そのため、マスコミでも中華民国を「独立国」と扱わない他、国旗を掲載しないなどの「配慮」を行う一方で、雑誌新聞ニュースドキュメンタリ番組からクイズ番組、バラエティ番組に至るまで、中華人民共和国とは別の「国家」として扱う上に、「中国の一部」という表現は行っていない。

[編集] 国旗

中華民国の国旗青天白日満地紅旗と呼ばれ、平等を表す白、自由を表す青、そして革命に献身した人々の血と友愛を象徴する深紅があしらわれている。

ただし台湾独立派(中国人国家の中華民国体制を解体し台湾人国家の建国を目指す人の事)は青天白日満地紅旗を外来政権の旗と捉えて国旗と認めていない人もいる(中華民国の国旗及び国旗を参照)。

[編集] 地理

中華民国の主張する国土の総面積は 11,418,174km² である。このなかには現在中華人民共和国政府が実効支配している区域(香港マカオを含む)に加え、外蒙古(モンゴル国ロシアトゥヴァ共和国)、清朝ロシア帝国に割譲させられた領土(江東六十四屯(現在はロシア領)、パミール高原(現在はタジキスタンパキスタンアフガニスタン領に分かれている))、インドのアルナーチャル・プラデーシュ州、それにミャンマー北部の地域(ミッチーナ以北の地域、胡康河谷江心坡及びに南坎)、ブータンの東の一部も含まれている。これは、中華民国が清朝の全てを継承した国家という認識によるものであり、中華民国は国交が無いモンゴル国の独立を公式的には承認していない(詳細は対モンゴル国関係を参照のこと)。当然2004年に中華人民共和国がロシアと確定させたアムール川の現国境線も認めていない。さらに、日本の主権下にある尖閣諸島1969年、「青天白日旗」を掲揚し、付近海域の石油採掘権をアメリカ企業に与えた上に、1971年6月以降は中華人民共和国による同様の主張に対抗するべく、領有権を主張している。また、東沙諸島および南沙諸島の全域の領有権も主張している。

建国当初の中華民国は中国大陸を領有する国家であり、1895年に日清間で締結された下関条約により、清朝から日本に割譲された台湾島一帯はその版図に含まれていなかった。しかし前述の通り、第二次世界大戦中の1943年に出されたカイロ宣言において同地域は中華民国に返還すべきとされている。

中華民国は、1945年日本の敗戦により、台湾島一帯を「中国の一部」として実効支配下においた。その後、国共内戦の結果、中華民国は1955年までに台湾省1947年成立)、福建省の一部以外の領地を全て喪失し、1912年の建国から一貫して統治している地は福建省の金馬地区のみとなっている。しかし「『中国』における唯一正統な政府」を自認する中華民国は大陸部の統治権を放棄せず、中華民国政府が発行する官製地図『中華民国全図』には前記地域を中華民国国土として掲載している。しかし2004年1月、内政部は、実効支配地域外を含めた『中華民国全図』の新規発行を停止する決定を発表し、今後公式な国土範囲にも変化を来たす可能性が示唆されている。

現在の中華民国が実効支配する範囲は台湾島(台湾)一体と金馬地区(金門県)、東沙諸島南沙諸島の一部から成り立っており、日本や中華人民共和国、フィリピンなどと領海を接している。なお、詳細については台湾の地理を参照のこと。

[編集] 領土問題

上記のように、中華民国は中国大陸(中華人民共和国の実効支配地域)、モンゴルパミールチベット などを自国の領土であると主張している。中華人民共和国も、台湾及び福建省金門県、連江県の領有を主張している。日本の尖閣諸島についても、双方が自国の領土であると主張している(詳細は尖閣諸島問題を参照のこと)。

東沙諸島南沙諸島については、中華人民共和国と実効支配を、フィリピンベトナムマレーシアブルネイとは領有権を争っている。

[編集] 中華民国の実効支配地域

[編集] 沖縄県への認識

中華民国では、沖縄県地域を「琉球」と称することがある。琉球はかつて朝や朝の冊封国であり、又、沖縄がアメリカ合衆国から日本国に編入されたことが中華民国政府との協議を経ずに進められたことを中華民国側は不満としていたとも言われるが、現在では中華民国側は、沖縄県地域に対する日本の主権を否定していない[1]。しかし、例えば台北空港の那覇行き便の行き先表示は「琉球」である。

[編集] 行政区分

中華民国自由地区の行政区分(「魚釣台列嶼」とは尖閣諸島の魚釣島の事であるが、日本が領有しており中華民国は実効支配していない)

中華民国の行政区分は中華民国憲法の規定(第十一章)より規定されているが、この行政区分は遷台以前に規定された大陸地区を含むものであり、台湾地区での実際の行政との整合性に欠如した内容となっている。そのため憲法改正[要出典]により一部改正を行い、実質的に機能していない台湾省及び福建省への虚省化(実質的な廃止)を実施しているが、公式には大陸地区を含めた地区の行政区分が存在していることとなっている。

中華民国の公式な行政区分については中華民国の行政区分を、台湾地区での実際の統治範囲における行政区分としては台湾の行政区分を参照。

また中華民国海軍の艦艇のなかには大陸を統治していた当時の地名で、ウルムチの旧名である「迪化」を採用した艦艇が存在している。

[編集] 主要都市

遷台以前の中華民国の首都は南京市とされていたが、遷台以降の実効支配範囲である台湾地域における中央政府所在地は北部盆地に位置する台北市であり、1949年以降は中華民国の「臨時首都」として首都機能を果たしている。なお、台湾省の省都も当初は台北市であったが、1957年に台北市から台湾島中部にある南投県南投市中興新村に移された。1998年に台湾省が凍結されて以降、省都としては機能していない。

現在の主要都市については台湾の項目を参照

主要都市人口は、新北市 387万人、高雄市 277万人、台中市 263万人、台北市 260万人、台南市 187万人、新竹市 41万人、桃園市 40万人、基隆市 38万人、中壢市 36万人、嘉義市 27万人、彰化市 23万人、屏東市 21万人、平鎮市 20万人、八德市 17万人、楊梅市 15万人、竹北市 14万人、花蓮市 11万人、台東市 11万人、南投市 10万人、斗六市 10万人、苗栗市 9万人、宜蘭市 9万人、馬公市 5万人、朴子市 4万人、太保市 3万人である。[要出典]

[編集] 首都

1931年6月に国民政府が制定した中華民国訓政時期約法(zh:中华民国训政时期约法)では、第五条に「中華民國國都定於南京」(中華民国の国都は南京に定める)と明記されていたが、同法は1947年の「中華民国憲法」施行後に廃止された。

1946年11月15日に南京の国民大会堂(現zh:南京人民大会堂)にて開幕された制憲国民大会(zh:制憲國民大會)では、国都(首都)を南京とするか北平(現北京)とするかで激烈な討論が巻き起こった。草案では南京とされていたが、会を経て一度は北平に改められた。しかし国民大会主席団の代表であった蒋介石が、国都は必ずしも憲法で定める必要はないと説明し、一度は国民大会を通過した「國都定於北平」(国都は北平に定める)の一文を削除した。そのため、中華民国憲法は、首都に関する規定がないまま1946年12月25日に制憲国民大会を通過し制定されてしまった。

中華民国憲法は制定されたものの、その施行前に、1946年当時から激しさを増していた国共内戦において国民革命軍中国国民党)はソビエト連邦の全面的な支援を得た中国人民解放軍中国共産党)に相次いで敗北していった。中華民国憲法自体は1947年12月25日に施行された。しかし、1949年4月には、中央政府の所在地であった南京を人民解放軍に奪取され、所在地の移転を余儀なくされた。南京を脱したのちも、人民解放軍に追われるままに広州重慶成都と中央政府の所在地を次々と移転し、ついには1949年12月7日に大陸を脱して台北へと移転することとなった。

遷台当初、中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場から台北遷都を一時的なものとし、「大陸反攻」(武力による大陸部の奪還)後に再び中央政府所在地を南京に戻すつもりであった。この理由により「公式な」首都は南京のままとされ、台北は「臨時首都」という扱いとなった。しかし第二次世界大戦後の冷戦体制が確立されると、両岸関係の劇的な変化を回避することを望む国際環境下で「大陸反攻」が絶望的になり、また1971年アルバニア決議(中国代表権問題)の結果国際連合における代表権を喪失した後は、中華人民共和国を「全中国を代表する国家」として政府承認する方針が国際主流となり、中華民国は国際政治環境で孤立化してゆくこととなった。この状況下でも中華民国政府は「全中国を代表する国家」という立場を今日まで固持し続けており、そのために事実上の首都である台北の扱いも「臨時首都」および「中央政府所在地」のままとなっている。

上記の政府見解を反映し、中華民国の小中学生向けの国定教科書でも南京を首都とした記載が続けられてきたが、台湾独自路線を追求する民意の高まりとその結果の民主進歩党政権の誕生の結果の一つとして2003年版教科書からは台北を首都とする記述が登場し、教科書における状況変化が見られる。しかし「首都・台北」と表記した場合、台湾独立政策の体現とし中華人民共和国との軋轢が生じる可能性を考慮され、教科書では「中華民国の中央政府は台北にある」という間接的な表現をしている。

なお、現行の中華民国(台湾)の憲法および法律ならびにいずれの規定においても、首都はいまだ明文化されていない。

[編集] 気候

台湾島山岳部

[編集] 政治

中華人民共和国やベトナムシンガポール、またかつてはインドネシアマレーシアなど、周辺には未だに実質的な一党独裁制を敷いている・敷いていた国家が多いが、中華民国も例外ではなかった。蒋介石がその息子・蒋経国を後継とするなど世襲で独裁がされ、戒厳が施行され、共産主義政党は「国家安全法」と「人民団体法」により存在を許されなかった。このような状況が改められたのは戒厳が解かれた1987年からである。

[編集] 「2つの中国」

また、中華民国の政治において特筆すべきことは、中華民国政府も中華人民共和国中国共産党政府と同様、自らを「『中国』の正統な政府」であるとしている点である。これは、歴代の中華民国政府が、蒋介石率いる中国国民党が中国大陸を統治していた1947年に施行した『中華民国憲法』に基づいて政府を樹立していることに由来しており、1949年毛沢東率いる中国共産党による、北京をその首都とする中華人民共和国設立は「反乱団体による非合法行為」としてきた。

このような中華民国政府の主張は、中華民国が連合国の主な一員として参戦した第二次世界大戦前から国際的に受け入れられており、その結果、第二次世界大戦の勝戦国としての立場は中華民国政府にあった。また、当然ながら1945年10月の国際連合設立時とそれ以降における「中国」の代表権も中華民国政府にあった。

しかし、1949年の中華人民共和国の設立以降も、香港問題を抱え中華人民共和国に対して政治的配慮を必要としていたイギリスを除く殆どの西側諸国が中華民国政府を「『中国』の正統な政府」として認めていたものの、冷戦下におけるアメリカ合衆国とソビエト連邦を中心とした東西両陣営の政治的駆け引きの中、1971年に国際連合でアルバニア提案によって中国共産党率いる中華人民共和国が承認され、中華民国政府が国際連合から脱退してからは、日本国やアメリカ合衆国をはじめとする西側諸国においても中華民国政府を「『中国』の正統な政府」として承認する政府が減少した。現在ではバチカンパラグアイブルキナファソなど、23カ国のみが承認しているという状況であるが、日本やアメリカ、フランスなどを始めとする多くの国々とも「弁事処」と称される利益代表部を置く。

なお中華民国とバチカンの外交関係の歴史は古く、第二次世界大戦中の1942年に確立されている。中華人民共和国は、表向きは中華民国と密接な関係を維持するバチカンに対して批判的な態度をとりながら、裏では世界各国に大きな影響力を持つバチカンとの外交関係の正式な確立を模索してきた。しかし、この様な状況は当分変化しないと考えられている。

[編集] 歴代総統

[編集] 台湾を国家と承認している国

2011年現在、台湾を国家と承認している国家は23カ国である。また以下の23カ国は「一つの中国」を主張している中華人民共和国とは国交を結んでいない[2]

[編集] その他

[編集] 冷戦後の動向

李登輝総統(任期:1988年 - 2000年)時代に入り、中華民国政府は中華人民共和国の存在を「反乱団体による非合法行為」と規定しなくなったが、今でも「『中国』の正統な政府」という主張は変えていない。その為、現在の中華民国国内では、「『中国』の正統な政府」であることを止め現在の実行支配地域のみを統治する政府として国家を再編することで、中華民国の新たな国際社会復帰を模索する動きも活発化している。2005年8月1日には、陳水扁総統が「中華民国は台湾」と語っており、中華民国の国家としての定義は国内において二分している状況である。

さらには、21世紀初頭では、中国大陸と台湾地域を統治する事を前提とした現在の中華民国の国家体制から脱却し、台湾地域のみの統治を前提とした国家を創出する台湾独立運動(台独運動、または台独)も活発化しており、そのことが問題をより複雑化している。もっとも、台湾地域においては、この問題に関する様々な意見が存在しているものの、少なくとも台湾地域の主権帰属が中華人民共和国に属するものではないという点では世論の大勢が一致している。そのため、中華民国の立法府たる立法院の議員は、主に「台湾の主権帰属は中華民国に属する」とする泛藍連盟派と、「台湾の主権帰属は中国の国家には属さない」とする泛緑連盟派(台独派)のいずれかに大別される。

ただし、世論調査では、早急な統一も独立も望んでおらず、「実質的に共産主義政党の中国共産党による一党独裁国家であり、言論や思想、宗教選択の自由すら許されていない中華人民共和国」と完全に分離して、議会制民主主義体制が堅持されている現在の状態を維持することを望む声が多い。そのため、中華民国の世論は基本的には現状での安定志向にあると言え、各党も世論を配慮しながら政治活動を行なっている。

また、日本やアメリカ、イギリスなどの中華人民共和国と国交を持つ旧西側諸国の政府も、正式には中華人民共和国の唱える「一つの中国」政策を支持しているものの、大統領制議会民主国家を維持することを望む中華民国の国民の意向を尊重することと、中国共産党の一党独裁国家であり、言論の自由が抑圧されている中華人民共和国[3][4]によるアジアにおける軍事的覇権を牽制する意味からも、現在の状態の維持を事実上支持している。

[編集] 経済

高雄
台南サイエンスパーク

2009年GDPは3785億ドル(約32兆円)であり[5]神奈川県とほぼ同じ経済規模である[6]。しかし、2011年には5046億ドルになり、しばらくは増え続けると予想されている。

1912年の中華民国の成立当初、清朝の対外賠償金を継承し、また鉄道や税関などの収入源を賠償金の担保として列強の支配下に置かれていたため危機的な経済状況にあった。

また建国当初の政争に加え、中国共産党軍との対立、更には日中戦争と国内での混乱が続いたことで更に経済状況が悪化し、物資が軍需用として優先使用され、その物資の輸送も限定された交通手段に頼っており国民経済は困窮を極めた。

1945年の第二次世界大戦終結により、特に満州及び台湾では大日本帝国が遺した資産を活用した工業化などによる経済建設を計画したが、まもなく開始された国共内戦により経済政策の実施は頓挫、また国民党が行った紙幣の乱発による急激なインフレなどで台湾地域の国民経済は崩壊の淵に立たされることとなった。

1949年に国共内戦に敗れ、領土を台湾のみに縮小された国民党政府は「大陸反攻」を実現すべく国力の充実を図り、経済方面でも乱発した貨幣(国民党軍が発行した旧台湾ドル)を廃してニュー台湾ドルを発行しインフレを抑制、傾斜生産方式を採用した工業化を図ると共に、冷戦下のアメリカからの経済援助を活用しての経済政策を実施、それまで農業と農業関連の加工業が主であった台湾の経済を軽工業、やがては重工業へと転換させることに成功し、現在ではアジア有数の先進工業国としての地位を確立、特に、マザーボード液晶レーザーモジュールやPCなどの高度な技術開発力を必要とするIT関連や、自動車オートバイとその部品、MTB等の付加価値の高い自転車、家電製品とそのための電子部品をはじめとする製造業、海運や航空業でその強みを発揮し、世界トップクラスの外貨準備高を擁する経済大国へと変貌している。

2000年代以降は、中華人民共和国やインドなどの、低賃金の単純労働力を提供する発展途上国の台頭によって、高度な開発、生産力を必要としない製造業においては、工場の海外進出に伴う産業の空洞化が進行したが、これに対し政府はITへの更なる投資と併せて、バイオ産業などより高い技術を有する産業に重点を置く政策に転換しつつある。

また、華僑ネットワークに支えられた、全世界ネットを駆使した世界戦略も強みである。アメリカや日本で注文を取り、中華人民共和国やベトナムに製造させる仲介的戦略も、この華僑ネットを利用している。近年は高雄港や基隆港、台中港が中国大陸や東南アジア、および太平洋地域における海運の重要なハブとしての地位を獲得しており、コンテナ取扱高世界一を誇る一大海運企業である長栄海運などがそれを後押しする形となっている。

中華民国の経済は日本経済と共通点のある面が強い。資源小国であることから技術力、工業生産力に依拠し、世界市場で優位に立てる高付加価値製品を開発製造することによって、外貨を獲得する加工貿易が基本である。また独立志向の強さが国民性であり、それが経済に活力を与えると同時に、大企業成長に必要な人材の確保が困難な一面もある。

1000万人以上の観光客を目標にした観光戦略を打ち出し、海峡両岸経済協力枠組協定や日台投資協定・日台オープンスカイ協定締結等により2011年には600万人以上の観光客が訪れた。

シンガポール等とのFTAやTPP参加を検討しており、経済自由化や金融緩和にも力を入れるとされている。2011年の失業率は4.39%(49万1000人)になっており、OECD平均と比較しても大きく下回っていて、雇用も比較的安定している。

台湾の経済も參照のこと。

[編集] 日本経済との関係

中華民国は、実効統治する台湾が旧日本領であったなど日本と歴史的に関係が深く、地理的にも日本に近いことから、貿易をはじめとした経済的交流が非常に強い。その象徴として、台北の台北国際金融センタービルは日本の熊谷組を中心としたJV(共同事業体)が施工しているほか、日本の新幹線の信号・車両技術を導入した台湾高速鉄道(台湾新幹線)も台北 - 左営間に運行中である。また、多くの日本企業が進出しているだけでなく、中華民国の企業も日本に進出するなど、経済的交流は年々強まっている。工業団地に日本企業を積極的に誘致を続けている他にも、中華人民共和国に日本企業が進出する際に、台湾企業と組むケースが多くなっている。さらに、21世紀初頭では中小零細企業にも拡大している。

2011年現在、日本は台湾にとって最大の輸入先国であり、日本から台湾への投資件数もトップであり、台湾にとって2番目の貿易相手国である。台湾は日本にとって4番目の貿易パートナーである。

[編集] 中華民国の代表的な大企業

[編集] 交通

[編集] 警察


[編集] 情報機関

[編集] 軍事

[編集] 中華民国軍

中華民国憲法第20条により徴兵制度が敷かれていたが、2012年1月1日に徴兵制を停止した。過去の徴兵制度は常備兵役の、満19歳以上の男子国民は、12カ月間の兵役義務(2003年までは22カ月)を有していた。良心的兵役拒否権が認められていた。以降期間中は、1994年1月1日以降に出生した男性は、2013年1月1日より4ヶ月の常備兵役の軍事訓練を受けることにし、1993年12月31日以前に出生した男性は、徴兵を受けていない者、あるいはまだ徴兵に就いていない者は、兵役法第25条3項の規定に基づき、1年間の期限で代替役(兵役の代わりに公的機関で勤務)につく。

国軍である中華民國国民革命軍は、正規軍で約30万人、予備役で約165万人の兵力を擁しており、正規軍の内訳は陸軍20万人、海軍4万5000人、空軍4万5000人である。なお、中華民国軍の最も重要な軍事基地は中国大陸沿岸の金門島である。アメリカ政府との協定「台湾関係法」や台湾海峡防衛を盾に政府に強くイージス艦導入を求めている。事実中華民国政府は前向きに検討してはいるが実現には至っていない。

1949年以降の中華人民共和国との軍事的対立を背景として、中華民国の軍事施設には自国製のみならずフランス製やアメリカ製の最新鋭の兵器、軍用機、軍用船が装備されており、2005年度の国防関係予算は国家予算全体の約15%に相当する2,453億(約7,400億円)となっているが、近年[要出典]では国防関係予算の削減が行われており、政府は特別予算を組むなどして対応している。

2010年度の国防予算は、3,150億(約9,450億円)となり、馬英九総統はGDPの約3%を目標にしている。

[編集] 台湾関係法

また、アメリカは正式な国交が無いが、中華民国が軍事的脅威にさらされた場合は台湾関係法に基づき中華民国を助けることとなっており、事実上の同盟関係にある。実際に、1996年3月23日に行われた総統選挙の前後に、「独立派」と目される李登輝総統の再選を阻止しようとした中華人民共和国の人民解放軍が、台湾島近海に「実験」と称して弾道ミサイルを放ち軍事的恫喝を行なったことに対し、アメリカ軍正規空母インディペンデンスニミッツなどを中心とした艦隊を派遣しこれに対抗した。

[編集] 国民

[編集] 国民の定義と人口

中華民国の国民は、中華民国憲法(第一章第三条)の規定によって「中華民国の国籍を有する者」とされており、2011年の時点で 2322万4912人となっている。人口密度は平均 636.82人/km² (2011年)である。

[編集] 民族と省籍矛盾

中華民国の国民は大きく漢民族原住民族にわかれる。中華民国政府が認定した原住民族は、2008年現在で14民族50万人弱である。 なお、中華民国では、国民である国内各民族が融合して中華民族を形成するとされており、中華民国憲法(第一章第五条)によって各民族間の平等が定められている。また、中華民国国民には省籍が存在し、在籍するによって本省人外省人に分けることがある。原住民族は広義には本省人に含まれるが、通常は分けて考えられる。この区分に従うと、中華民国編入後の台湾島一帯では、人口が多い本省人が政治的には少数派の外省人に支配される構図が浮かび上がるが、これは省籍矛盾と呼ばれ、長年にわたり社会問題とされてきた。

[編集] 言語

中華民国の公用語は国語と称されている。国語は基本的には中華人民共和国で使われている普通話と相互理解が可能な言語であるが、21世紀初頭では政治体制や文化受容の差異、社会の相違により語彙などの細かい部分に多少の相違点が生じている。他にも日常生活では台湾語が使用される。

文字表記は正体字(繁体字)と呼ばれる字体を採用しており、これは日本の旧字体とほぼ等しいものであり、特に簡略化された簡体字とは大きな違いを有している。ただし、実際の生活においてはある程度の略字や通用字が使用されている。また、発音表記は注音符号と呼ばれる北京政府時代に制定された符号を教育で使用している。

現在の中華民国実効支配地域における言語については台湾の言語を参照。

[編集] 教育

中華民国は教育制度として國民小學(小学校)6年間と國民中學(中学校)3年間が義務教育とされている。21世紀初頭では小中學をあわせた「九年一貫課程綱要」に基いてカリキュラムが編成されている。なお、儒教圏の例に漏れず学歴尊重社会である為、義務教育終了後に高等教育学校へと進学する者が先進国同様に多い。

民主化後になって、北京語以外の言語、すなわち台湾語客家語原住民語の教育が義務付けられたが、中国国民党による戒厳令時代はすべて標準中国語(北京語)のみで教育する事とされていた。このため、高齢者は台湾語(または客家語)のみで北京語が話せない者がおり、その下の世代では両方を解するが、現在の中年の世代以下では北京語のみで台湾語を解しない者が少なくない(特に北部の都市部)。例え話せたとしても発音に北京語の訛りがある場合も多い。

したがって、同じ「台湾人」でも高齢者と若者との間でコミュニケーションが成り立たないということも珍しくない。また、日本統治時代には日本語での教育が義務付けられていたため日本語を話すことのできる高齢者も多い。

[編集] 文化

[編集] 中華民国を象徴する文化施設

中正紀念堂
台北市の中正区にある中正紀念堂は、1975年に死去した初代総統・蒋介石の業績を称えるために建てられた高さ70メートルの建築物であり、紀念館の外観には中華民国の抱く思想が視覚的に反映されている。
国立故宮博物院
台北市の士林区にある国立故宮博物院は、国共内戦に敗れた中華民国政府が台湾へと撤退する際に、北京の故宮(旧紫禁城)と南京の中央博物院から持ち運んだ中国歴代の貴重な美術品を収納・展示している博物館である。

[編集] その他中華民国を象徴する存在

台湾桃園国際空港
桃園県にある台湾桃園国際空港 (Taiwan Taoyuan International Airport) は中華民国最大の国際空港である。旧名は中華民国の初代総統である蒋介石の本名から取った中正国際空港(英語名は蒋介石の英語表記の略をとって C. K. S. airport 、チャイナエアラインの機内放送(日本語)では「蒋介石国際空港」と紹介していた)であったが、2006年9月6日に現在の空港名に改称。
台北101
台北市信義区にある超高層ビル。508mの高さを有し、地上101階+地下5階からなる。旧称は「台北国際金融センター(臺北國際金融大樓)」。7年間の工期を経て2004年、それまで世界一だったマレーシアクアラルンプールペトロナスツインタワーを超える建築物として竣工した。コンサートやイベントで使用される『台北南港101』は、これとは別の施設。
道路名
中華民国の道路名は、「中山路」(中山は国父である孫文)、「中正路」(中正は初代総統である蒋介石の本名)といった国家指導者の名を冠したものや、「民族路」、「民權路」と「民生路」といった国家の基本思想である三民主義に基づくものが多数を占めている。ただ、21世紀初頭では中華民国の「台湾化」の影響から、台北市凱達格蘭大道(ケタガラン大道)のように台湾に由来のある道路名も登場してきている(なお、ケタガラン台湾原住民族の名)。

[編集] 中華民国の文化的制度

特筆すべき中華民国の文化的な国家制度としては、教育制度休・祝日制度中華民国暦制度が挙げられる。また、世界遺産の登録にむけた運動が、官民挙げて進められている。

  • 上記のうち、教育制度については、台湾の教育を参照。

[編集] 宗教

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[編集] 料理

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[編集] 世界遺産登録

中華民国は、国際連合から脱退しているため、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)への加盟を認められておらず、世界遺産が一つも登録されていない。しかし、陳水扁政権発足後から、中華民国行政院を中心に世界遺産登録を目指す動きが活発化しており、2003年には世界遺産登録候補地として12か所が選定されている。

[編集] 暦・祝日

[編集] 民国紀元

中華民国では、建国年である1912年を元年とする民国紀元西暦と併用している。これらは双方とも太陽暦であるが、民間の年中記事は旧暦で行うものも多く、日常生活では旧暦も併用されている。

民国紀元は中華民国における行政の公式暦法とされ、一般に誕生年も「民国N年」「民前N年(1911年以前)」と表現され、また民国60年代の場合を「N年級」と表現する方法も使用されている。

[編集] 休・祝日

中華民国は公的機関において完全週休二日制度が導入されている他、総計で9日の祝日がある。なお、中華民国の祝日の中には旧暦で定められているものもあり、それらの日付は太陽暦では日付が毎年一致していない。

[編集]

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

政府
日本政府
観光
その他

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日本統治時代
1895年-1945年
台湾の歴史
中華民国統治時代
1945年-現在
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