中島義道
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中島 義道(なかじま よしみち、1946年7月9日 - )は、福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身の哲学者、元電気通信大学教授。マスコミ曰く「戦う哲学者」。専攻は、時間論、自我論、コミュニケーション論。イマヌエル・カントが専門。
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[編集] 経歴
東北帝大工学部卒で肺病を病む貧しい技術者の家庭に生まれ、幼い時期に北九州市から東京都世田谷区尾山台に転居。品川区大井町や大田区馬込を経て、1953年夏から川崎市中原区の市営住宅に育つ。東京教育大学附属駒場高等学校の入試に失敗して神奈川県立川崎高等学校に進学。東大入学時点では法学部コースの「文科I類」であったが、哲学への志向を抱き、東大教養学部で師である大森荘蔵の薫陶を強く受ける。だが、その後が順調にいかず、留年と、法学部と哲学専攻の科への入学・卒業を繰り返し、カントについての論文でようやく哲学修士号を得たときには、大学入学から12年がたっていた。
その後、予備校等で職に就くがその現状に絶望し、33歳で、ウィーン大学に私費留学する。当初は両親の仕送りに頼って生活したが、やがて現地の日本人学校で教師となる。1983年にウィーン大学で、やはりカントについての論文で哲学博士号を取得。翌年、東大教養学部助手に採用される。
1996年、様々な騒音が鳴らされる騒々しい現代日本に異議を申し立てた、エッセー『うるさい日本の私』により、「戦う哲学者」として広く認知される(タイトルは、川端康成の『美しい日本の私――その序説』と、大江健三郎の『あいまいな日本の私』の、2人のノーベル文学賞受賞記念講演のパロディである。この「うるさい」ということばは、「日本」だけでなく「私」をも形容しているのだ、と本人自身が述べている)。
現在はまじめに哲学を志す人のために『哲学塾カント』を開設している。
[編集] 学歴
- 1965年 - 神奈川県立川崎高等学校卒業。東京大学文科I類入学。
- 1971年 - 同教養学部教養学科科学史・科学哲学専攻卒業。
- 1973年 - 同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程退学。
- 1976年 - 同法学部卒業。
- 1977年 - 同大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。文学修士。
- 1983年 - ウィーン大学大学院基礎総合科学哲学博士課程修了。哲学博士。
[編集] 職歴
- 1977年 - 東海大学海洋学部非常勤講師(-78)。
- 1984年 - 東大教養学部助手。
- 1987年 - 帝京技術科学大学(帝京平成大学)助教授。
- 1995年 - 電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授。
- 2008年 - 哲学塾カントを開講。
- 2009年 電気通信大学退任。
[編集] エピソード
- 「哲学研究者」など「学者」であることを嫌悪し、さかんに「半隠遁」という言葉を使う。それは完全に俗世から離れて生きることではなく、適度に世界と関わりながらも内心においてけして「死」という絶対的不幸を忘れず、常に自分の「生」について考えながら生き続けることである。
- 人間の生きにくさ、そして人生に於ける不幸を論じたエッセーを数多く執筆する。「幸福な人生など絶対に存在しない」と強く主張する。『生きにくい……』、『どうせ死んでしまう……』と言う著書のタイトルを見れば分かる通り、かなり虚無的である。
- 大の偏食家であり、8割以上の食物が苦手である[1]。
- 『人生を<半分>降りる』のタイトル通りの行動を、自ら実践している。
- 具体例としては、勤める大学の入学式や卒業式に出席しない。自分の父や母の死を知人、周辺の近しい人に報告しない(つまり、その葬儀には自分の知人や近しい人は一切出席しない事になる)。姪の結婚式に呼ばれても出席しない。パーティーにも出ない。つまり、一切の儀式を拒むという行為が挙げられる。但しこの様に述べる一方で、2006年度入学式には出席した事が大勢の学生により確認された。また三島由紀夫賞のパーティーにも出席しており、『ボクは偏食人間』では、パーティーで談笑している自分が描かれている。
- 中島自身は著書の中で自分が世間の少数派(マイノリティ)であることを認めている。
- 著書「私の嫌いな10の人びと」において、中島は自分の講演があまりにも反社会的かつ悲観的だったために視聴者が精神に変調をきたしたことがあると語っている。
- 著作の人物像と実際の人格とは異なることを自ら指摘している。
- カント研究者として評価され始めたのに違和感を覚えて、学術的実績をつくることを放棄する。(一応カント哲学の著書自体は出版されているが、学術的実績とは言いがたい)
- 妻と息子とは国際別居状態である。
- 著書『悪について』における悪のモデルは善良な市民である。
- 教養学部文科1類では西田典之(刑法学者、東京大教授)と同級生だった[2]。
[編集] 時間論
中島は一貫して未来は本質的に無だと主張している。例えば、「明日はピクニックがある」の明日があると了解することは、我々が今まで帰納的に導いたことであって、寸毫も明日が確実にあると実証することはできない。すなわち、未来本物論者は未来完了形的に、いままで明日は偶然にもあった(存在した)ので、その過去を延長して未来(明日)があると思い込んでいるだけである。(明日、突然地球がなんの前触れもなく崩壊した場合、未来は無である。)中島によればこういった未来の描写はあくまでも概念的にしか捉えられていないので、いささかも未来の実在性を証明していない。
[編集] 著書
[編集] 単著
- カントの時間構成の理論 理想社 1987年 (「カントの時間論」岩波現代文庫)
- ウィーン愛憎 ヨーロッパ精神との格闘 中公新書 1990年 (のち角川文庫「戦う哲学者のウィーン愛憎」)
- モラリストとしてのカント1 北樹出版 1992年(「カントの人間学」講談社現代新書)
- 時間と自由 カント解釈の冒険 晃洋書房 1994年(のち講談社学術文庫)
- 哲学の教科書 思索のダンディズムを磨く 講談社 1995年(のち講談社学術文庫)
- 「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか 講談社現代新書 1996年
- うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い 洋泉社 1996年(のち新潮文庫)
- 人生を<半分>降りる―哲学的生き方のすすめ ナカニシヤ出版 1997年(のち新潮OH!文庫)
- 哲学者のいない国 洋泉社 1997年 (のちちくま文庫「哲学者とは何か」)
- <対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの PHP新書 1997年
- 哲学の道場 ちくま新書 1998年
- 孤独について―生きるのが困難な人々へ 文春新書 1998年 (のち文庫)
- うるさい日本の私 それから 洋泉社 1998年 (のち「騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか」講談社+α文庫、「日本人を〈半分〉降りる」ちくま文庫)
- 空間と身体 続カント解釈の冒険 晃洋書房 2000年
- ひとを<嫌う>ということ 角川書店 2000年 (のち角川文庫)
- 私の嫌いな10の言葉 新潮社 2000年 (のち新潮文庫)
- 「哲学実技」のすすめ そして誰もいなくなった…… 角川oneテーマ21 2000年
- 働くことがイヤな人のための本 仕事とは何だろうか 日本経済新聞社 2001年 (のち新潮文庫)
- 生きにくい…… 私は哲学病。 角川書店 2001年 (のち角川文庫)
- ぼくは偏食人間 新潮社・ラッコブックス 2001年(「偏食的生き方のすすめ」新潮文庫)
- 時間論 筑摩書房・ちくま学芸文庫 2002年
- たまたま地上にぼくは生まれた 講談社 2002年 (のちちくま文庫)
- カイン 「自分」の弱さに悩むきみへ 講談社 2002年 (のち新潮文庫)
- 不幸論 PHP新書 2002年
- 「私」の秘密 哲学的自我論への誘い 講談社選書メチエ 2002年
- 怒る技術 PHP研究所 2002年
- ぐれる! 新潮新書 2003年
- 愛という試練 マイナスのナルシスの告白 紀伊國屋書店 2003年 (「ひとを愛することができない」角川文庫)
- カントの自我論 日本評論社 2004年 (のち岩波現代文庫)
- どうせ死んでしまう…… 私は哲学病。 角川書店 2004年
- 英語コンプレックス脱出 NTT出版 2004年
- 続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ 家族 そして私 中公新書 2004年
- 悪について 岩波新書 2005年
- 生きることも死ぬこともイヤな人のための本 日本経済新聞社 2005年
- 私の嫌いな10の人びと 新潮社 2006年(のち新潮文庫)
- 後悔と自責の哲学 河出書房新社 2006年
- 狂人三歩手前 新潮社 2006年
- カントの法論 ちくま学芸文庫 2006年
- 醜い日本の私 新潮選書 2006年
- 哲学者というならず者がいる 新潮社 2007 年
- 「人間嫌い」のルール PHP新書 2007年
- 「死」を哲学する (双書哲学塾) 岩波書店 2007年
- 観念的生活 文藝春秋 2007年
- 孤独な少年の部屋 角川書店 2008年
- カントの読み方 ちくま新書 2008年
- 人生に生きる価値はない 新潮社 2009年
[編集] 共著
- 静かさとはなにか 文化騒音から日本を読む 福田喜一郎 加賀野井秀一 共編著 第三書館 1996年
- 「うるさい日本」を哲学する 加賀野井秀一 講談社 2007年(「音漬け社会」と日本文化 講談社学術文庫 2009年)
- 生きてるだけでなぜ悪い? 香山リカ ビジネス社 2008年
[編集] 共訳書
- カント認識論の再構築 ゲロルト・プラウス著 晃洋書房

