中島平太郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - )は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。
目次 |
経歴 [編集]
- 1938年、福岡県立明善高等学校卒。
- 1944年、東京工業大学電気工学科卒(戦時下につき繰り上げ卒業)後、九州大学大学院特別研究生。工学博士。
- 1947年、NHK入局。音響技術研究に携わる。
- 1963年、石橋文化センター(福岡県久留米市)内の石橋文化ホールの音響設計実務に携わる。
- 1964年、東京オリンピックの音響システム(注: 公共放送設備ではなく競技場内の拡声設備)の責任者を担当。
- 1965年、NHK技術研究所音響研究部部長就任。
- 1968年、世界初のデジタル録音機を公開。
- 1968年、NHK放送科学基礎研究所所長就任。
- 1971年、ソニー入社。常務取締役技術研究所所長就任。当時の社長井深大によるヘッドハンティングであった。その時の井深大の囁いた「物作りは楽しいぜ、来なよ」との台詞は有名。その後、音響事業部長、デジタルオーディオ部長などを歴任。
- 1981年、DAT懇談会会長および日本音響学会会長就任。
- 1981年、CD-DA発表。
- 1982年、世界初のCDプレーヤーを発売。
- 1983年、ソニーの子会社であるアイワ株式会社再建のため副社長に就任。
- 1984年、アイワ社長。
- 1989年、ソニーと太陽誘電の50:50合弁でCD-R製造販売を事業とする株式会社スタート・ラボが設立、社長就任。
- 1992年、社団法人日本オーディオ協会会長就任。
- 1992年、オレンジフォーラム(CD-R標準化団体)会長就任。
- 1993年、CD開発の功績により紫綬褒章を受章。
- 2001年4月25日、オレンジフォーラムとマルチメディアCDコンソシアムが合併し、任意団体CDs21ソリューションズが設立。会長就任。
- 2003年4月17日、CDs21ソリューションズが中島平太郎賞を創設。CDに貢献した人物に毎年贈られる。
- 2006年、ビフレステック株式会社設立。代表取締役会長就任。
- 2012年12月6日「音の日」、日本オーディオ協会60周年記念協会栄誉賞を受賞。
主な業績 [編集]
- プロ用コンデンサーマイクの開発(NHK技術研究所時代、今なお現役のソニーC-38Bの源流になるCU1を1957年に開発。その商品化はソニーに依頼)
- 国産初の放送モニタースピーカー(BTS規格)の開発(NHK技術研究所時代、商品化は三菱電機に依頼。型式名:2S-305)
- 世界初のデジタル録音機を製作
- PCMプロセッサー(家庭用VTRを使ったデジタルオーディオ録音機)の開発を主導
- CD-DAの開発・標準化を主導
- DATの標準化を主導(開発には関与していない)
- CD-Rの開発・標準化を主導
CD-DAはソニーとフィリップスの共同開発だが、中島はそのソニー側の責任者だった。規格制定の貢献度は両社50%ずつと公式に発表されているが、技術コンペを経てソニー側が主張した技術が多く採用されている。
デジタル録音可能メディアであるDATとCD-Rにおいて音楽著作権の在り方に関し、日本レコード協会としばしば対立した。
著書 [編集]
- ブルーバックスB-218 「オーディオに強くなる」 - 1972年第1版、ISBN 0254178180
- 図解 コンパクトディスク読本 - 小川博司との共著、1982年第1版、ISBN 4274029654
- 風雲舎「次世代オーディオに挑む」- 1999年第1版、ISBN 493893910X
ほか多数