中尾山古墳

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中尾山古墳(なかおやまこふん)は、奈良県高市郡明日香村大字平田に所在する終末期の八角墳である。

中尾山古墳

概要[編集]

本古墳の立地は、古代には檜隈(ひのくま)と呼ばれたところで、尾根の最高所に位置する。北に天武・持統天皇陵があり、南に文武天皇陵や高松塚古墳が見えるところにある。

本古墳の八角形の墳形、五段の墳丘を天皇高御座(たかみくら)の形と似ているとの見方がある。また、何故八角形が採用されたのかについて2説ある。1つは仏教の影響で、8世紀代の供養堂として八角円堂を真似たものであるという説[出典 1]。2つ目は中国の思想的背景[註釈 1][出典 2]をもって造られた古墳として被葬者を特定できるのではないかと考えられている。

歴史[編集]

1697年(元禄10年)、奈良奉行与力の見聞記に「塚丸く根回り三十五間アあり、頂上東の方へ掘り崩した跡のように窪みがあり、その中に四尺に三尺に石がある」とある。この時に欽明天皇桧隈坂合陵かと考えられたが、未定陵とされた。1725年(享保10年)の『大和志』では、文武天皇陵として高松塚古墳とともに挙げられた。明治になって、野淵竜潜『古墳墓取調帳』では三段築成の円墳と記され、1914年(大正3年)にも石槨や墳丘を取り巻く石列などが報告され、同末には石槨の図面が描かれ、1927年(昭和2年)、国の史跡に指定されている。1970年(昭和45年)には、藤井利章が外形測量して八角墳の可能性を指摘している[出典 3]

発掘調査[編集]

1974年(昭和49年)度の発掘調査では、立地場所は丘陵のほぼ中央部を選定している。墳丘の中央部に墓壙を掘り、ここに一辺2.2メートル以上、深さ1.7メートル以上の立方体の巨石を置き、その周りに礫を詰め一段目の墳丘を築き、南側に排水溝を設ける。この巨石の上に石槨を組み立て、奥壁を置き、側石・前面閉塞石を置く。二段目の墳丘を即席の高さと同じに築く。石槨の南西部に墓道が設けられてある。この石槨の中に火葬にした骨を納めた骨臓器が安置されたものと考えられている。納骨が行われ、三段目の封土を盛り上げる。墳丘は八角形に築造されている。頂上部に長さ95センチメートル、高さ67センチメートル、前幅46センチメートルの凝灰岩の沓形石造物が2個、隅角部に置かれているのが確認されている。形状から木造建築物の屋根を飾ったものではないかとみられている[出典 2]

脚注[編集]

註釈[編集]

  1. ^ 『旧唐書』の「八角三成」(八角方墳・三重をなす)の中国皇帝の天を祀り、地を祀る儀場(円丘・方丘そして八角方壇)と共通するとの見方

出典[編集]

  1. ^ 河上(2005) 71ページ
  2. ^ a b 泉森(1991) 44-45ページ
  3. ^ 河上(2005) 64ページ

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]