中原清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中原清

中原 清(なかはら きよし、慶応元年4月23日1865年5月17日) - 大正11年(1922年1月3日[1])は、衆議院議員立憲政友会)、弁護士

経歴[編集]

日向国那珂郡檍村(現在の宮崎県宮崎市)出身。1888年明治21年)、明治法律学校(現在の明治大学)に入学して法学を学び、1890年(明治23年)に卒業した後は弁護士業務に従事した。1901年(明治34年)には宮崎県弁護士会長に選出された。

1899年(明治32年)、宮崎県会議員に当選し、さらに1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に当選した。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院事務局『衆議院議員略歴 第一回乃至第二十回総選挙』、1940年

参考文献[編集]

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。