世良公則&ツイスト

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世良公則&ツイスト
基本情報
ジャンル ロック
活動期間 1977年 - 1981年
レーベル ヤマハ音楽振興会
メンバー
世良公則(ボーカル)
ふとがね金太(ドラム)
鮫島秀樹(ベース)
神本宗幸(キーボード)
松浦善博(ギター)
旧メンバー
大上明(ギター)
太刀川紳一(ギター)
  

世良公則&ツイスト(せらまさのりアンドツイスト、ツイスト)は、世良公則を中心に結成された日本ロックバンドロックメジャーに押し上げた最初のロックバンドである[1][2][3][4][5][6][7]

目次

[編集] 来歴

ツイストは1977年(昭和52年)11月13日(日)『第8回世界歌謡祭』日本武道館にて『あんたのバラード』(A Ballad For You)でグランプリ受賞。12日後の11月25日(金)にキャニオンから『世良公則&ツイスト』としてデビュー。同日、シングル版『あんたのバラード』発売。この際、世良公則と神本宗幸を残しメンバーチェンジ。ふとがね金太、鮫島秀樹、太刀川伸一、大上明を迎え入れる。従って、シングル版『あんたのバラード』のみ、演奏はツイスト大阪時代の創始メンバー(略)である。

歌謡曲ニューミュージックの全盛期に於いて「ロックも売れる」ことを初めて証明したバンドであった[8][9][10][11][12][13][14][15]。ロックの楽曲が最初に売れたのはダウン・タウン・ブギウギ・バンドのシングル「スモーキン・ブギ」(発売は1974年12月[16])、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」(1975年6月[17])であるが、当時は歌謡曲演歌フォークが強く他にロック系の後続がなくロックはメジャーにならなかった[18][19][20][21][22]。ロックがメジャーになったのは「ロック御三家」と呼ばれたChar原田真二、世良公則&ツイストの登場からである。彼らはそれまでの日本のロックミュージシャンと違い、初めて「月刊明星」「月刊平凡」等のアイドル雑誌、「セブンティーン」「プチセブン」などのティーン雑誌やテレビに頻繁に登場・出演した。このうち最初にテレビに出始めたのはCharであったが[23]、女子中・高生を中心に爆発的人気を得たのは、1977年10月にデビューした原田真二と翌11月にデビューした世良公則&ツイストであった[24]

セクシーな世良のボーカルスタイルは高い人気を得て、デビューシングル「あんたのバラード」(オリコン最高6位)、「宿無し」(最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(最高1位)、「性 (サガ)」(最高5位)、「燃えろいい女」(最高3位)と、立て続けに大ヒットを飛ばし一気にスターダムにのし上った。また1978年7月10日に発売したデビューアルバム『世良公則&ツイスト』はオリコンで1位を記録、日本のロックバンドとしては、デビューアルバムが、チャートの1位を記録したのはこのアルバムが初めてであった[25]

特に活躍が目立ったのが1978年1月から始まった『ザ・ベストテン』。社会的にも影響力の大きかった当番組に於いて、初年度のシングル・年間第1位(「銃爪 (ひきがね)」)、年間第3位(「宿無し」)に輝いた。「銃爪」の10週連続1位は、「ルビーの指環」(寺尾聰)12週連続に次ぐ歴代でも2位となる。

世良公則&ツイストは、こうしたテレビのランキング番組や歌謡番組、アイドル雑誌等に頻繁に登場・出演することで、ロックとは無縁だったファンを獲得、それまでのロックバンドにはなかった女性ファンを開拓し、新たな潮流を生み出すきっかけを創り出した[26][27]。当時の音楽誌は「いまようやく、日本のロックは世良公則&ツイストの手で、メジャーになろうとしている」と書いた[28]

"ロックのメジャー化"は、最も商業的に成功を収めた世良公則&ツイストを筆頭とした「ロック御三家」と、マスメディアを拒否しながら、1978年に出したシングル「時間よ止まれ[29]、と2枚のアルバム「ゴールドラッシュ」[30]、「LIVE後楽園スタジアム」[31]を1位にし、自伝本『成りあがり』のベストセラー長者番付でロック系ミュージシャンとして初めて1位となった矢沢永吉[32][33]や、「ロック御三家」より、ほぼ一年遅れで世に出たサザンオールスターズ[34]、この年の年末から翌1979年にかけて大ヒットを出したゴダイゴ[35]甲斐バンド[36]ら、この時代誰も予想だにしなかったロック系のヒットラッシュからで、これらの大ヒットは音楽マーケットに大きな革命を起こした[37][38][39][40][41][42][43][44][45][46][47][48][49]。 

またバンドの形態という意味でも大きな功績を残している。基本的に楽器を持たず、ボーカルに徹する強力なボーカリストをフロントに立てるビートルズ型ではなくローリング・ストーンズ型ともいうべきバンドスタイルは、ツイスト以降、甲斐バンド、ゴダイゴ、RCサクセションらが商業的に成功した事で、日本のロックバンドの一形態を作った。これは現在も売れるバンドの常套手段となっている。ツイストらが興したロックのメジャー化は、前記ビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンディープ・パープルT・レックスクイーンキッスセックス・ピストルズザ・クラッシュラモーンズなど外国バンドの影響を多大に受け、1980年代以降のバンドブームを誘発したと言える。[要出典]

1980年に発売された「LOVE SONG」が、最後のチャートイン曲。その後自分達の事務所を発足させるなどしたが1981年解散した。 ベーシストの鮫島は解散後HOUND DOGに加入。

[編集] メンバー

以下は1981年の解散時メンバー

以下は途中脱退メンバー

以下は準メンバー、サポートメンバー

  • 作本光弘(ギター)※1981年に加入
  • 東山光良(ベース)※1993年の再結成全国ツアーで鮫島の代わりに演奏


  • 世良公則、ふとがね金太、鮫島秀樹、大上明はともに大阪芸術大学の卒業生。

[編集] 作品リスト

[編集] シングル

作詞、作曲は世良公則(身に覚えは作詞・作曲 ふとがね金太)。

  1. あんたのバラード (1977.11.25)
    • 最高位こそ6位だがロングセラーとなる。
  2. 宿無し (1978.04.10)
    • 50万枚を超す大ヒット。
  3. 銃爪 (ひきがね) (1978.08.10)
    • ツイスト最大のヒット曲、No.1を獲得。
  4. 性 (サガ) (1978.12.21)
  5. 燃えろいい女 (1979.04.05)
    • 資生堂 '79 夏キャンペーン イメージソング
  6. SOPPO (1979.10.21)
  7. LOVE SONG (1980.02.21)
    • 日本航空 '80 沖縄キャンペーン イメージソング
  8. 身に覚え (1980.07.05)
  9. レイディー (1980.11.21)
  10. 恋のコレクトコール (1981.04.05)
  11. SET ME FREE (1981.11.21)

「性」からはツイストに改称。

[編集] アルバム

  1. 世良公則&ツイスト(1978.7.10)
  2. ツイストII(1979.4.21)
  3. The Heart Rock Party(1980.4.21)
  4. TWIST ALIVE(1980.12.5)
  5. Hip!!(1981.5.5)
  6. BEST&LAST(1981.12.5)
  7. ROUND 2(1993年)
  8. LIVE BEST '93(1993年)
  9. Live at Chicken George '96(1996年)

「ツイストII」からはツイストに改称。

[編集] ビデオ/DVD

  1. TWIST MY BEST(1981年)1980年9月14日大阪万博広場でのライブを収録。
  2. よっしゃ。(1993年) 1993年5月22日NISSIN POWER STATIONでのライブを収録。
  • 懐かしいですね・・ふとがね金太さんの、ボーカルでのりのいい曲で、誰も知らないとかいう

♪出だしの、曲誰か知りませんか?

[編集] 再結成

1981年の最初の解散後、何度か再結成をしている。

  • 1987年7月16日にザ・ベストテンのスポットライトに登場し、「性」を演奏。
  • 1987年8月5・6日に広島ピースコンサートの2日目に1日限定で出演。この中から「宿無し」がV.A.ライヴアルバム『ALIVE HIROSHIMA'87』に収録。
  • 1993年には本格再結成して新作オリジナルアルバム発売とツアーを開催。ライブDVDも発売。
  • 1996年5月16、17、18日に神戸のライヴハウス「チキンジョージ」でライブを敢行。ライブCDを発売。
  • 1999年5月4日に日比谷野外音楽堂でのイベント・MUSIC DAYに出演。
  • 2003年には世良公則がツイストのカヴァーアルバムをリリースするのに合わせ、鮫島、神本のツイストメンバーに外国人ミュージシャンを加えた「MR.SERA+TWIST INTERNATIONAL」を立ち上げ、日本武道館などでライヴを行う(鮫島のサポートとしてベーシストの櫻井哲夫もゲスト参加)。
  • 2007年に「世良公則&TWIST INTERNATIONAL」名義のアルバム『JACARANDA』をリリース。

[編集]

  1. ^ 「生身のロッカーでいたい」 世良公則さんインタビュー 産経新聞 2009年6月2日
  2. ^ oricon career 私の人生グラフ 時代の最前線にいるあの人の、過去・現在・未来を直撃 ...
  3. ^ インタビュー | エンタテインメント | マイコミジャーナル
  4. ^ おんがく日めくり | YAMAHA
  5. ^ 世良公則&ツイスト(2):富澤一誠のフォークが好き
  6. ^ 日本ロック大系〈上、下巻〉 1990年 月刊オンステージ編集部 白夜書房 415頁
  7. ^SONGS」、NHK、2008年1月30日
  8. ^ 「生身のロッカーでいたい」 世良公則さんインタビュー 産経新聞 2009年6月2日
  9. ^ oricon career 私の人生グラフ 時代の最前線にいるあの人の、過去・現在・未来を直撃 ...
  10. ^ インタビュー | エンタテインメント | マイコミジャーナル
  11. ^ J-ROCKベスト123 1968-1996 1996年 講談社 158-160頁
  12. ^ 1970音楽人大百科 日本のフォーク/ニューミュージック/ロック 1994年 学習研究社 129、136、137頁
  13. ^ 世良公則&ツイスト(2):富澤一誠のフォークが好き
  14. ^ 富澤一誠 青春のバイブル 1983年 シンコー・ミュージック 232頁
  15. ^ ロック・クロニクル・ジャパン vol.1 1999年 音楽出版社 156頁
  16. ^ オリコン最高位4位。当時はオリコンの知名度はあまり高くなく、オリコン以外にミュージック・リサーチとミュージック・ラボという調査会社もあって(参考:『ホットドッグプレス講談社 1980年2月号、103頁)『ザ・ベストテン』のレコード売り上げもこの三社の結果を集計したものだった。従ってレコードの売り上げは三社で異なるが、ミュージック・リサーチとミュージック・ラボの過去順位を、現在調査するのは困難なためオリコンの順位を掲載することとなる。
  17. ^ 6月23日付けから5週連続、オリコン最高位1位。
  18. ^ 『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』 立風書房 200頁
  19. ^ 『J-ROCKベスト123 1968-1996』 講談社 p158-159
  20. ^ 『別冊太陽 日本のロック』100、105頁
  21. ^ 『J-ROCKベスト123』158-160頁
  22. ^ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド以前のはっぴいえんどキャロルは、現在"日本のロックの祖"として評価されるがレコードは売れなかった(キャロル最大のヒット曲「ファンキー・モンキー・ベイビー」最高位57位、8万枚)。はっぴいえんどが音楽的に評価され始めたのは何10年も後、元メンバーのそれぞれの活躍が目立って昔、日本語でロックをやっていたバンドということで評価されるようになった(『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』200頁、細野晴臣・鈴木惣一郎著『分福茶釜』2008年、平凡社、55-57頁、『証言!日本のロック』 アルテスパブリッシング 2009年 120頁)
  23. ^ Charのデビューは1976年6月の「ネイビー・ブルー」だが、テレビに出始めたのは翌、1977年6月の自作曲でない「気絶するほど悩ましい」発売以降(ロック・クロニクル・ジャパン vol.1 1999年 音楽出版社 51、84頁)。Charは曲が大ヒットしたとは言えず(気絶するほど悩ましい、オリコン最高位12位)、1978年初頭から始まった『ザ・ベストテン』でもCharは一度もランク入りすることはなく(スポットライトで1度出演)、1978年12月、麻薬問題で活動を一時休止しマスメディアから消えた(翌1979年活動再開)(『日本ロック大系』〈上、下巻〉417頁)
  24. ^ 『ニューミュージックの本』 87、98頁
  25. ^ おんがく日めくり | YAMAHA
  26. ^ 「生身のロッカーでいたい」 世良公則さんインタビュー 産経新聞 2009年6月2日
  27. ^ 『Media View 1970-1999 売れたものアルバム』 東京書籍、2000年、199頁
  28. ^ FMfanコレクション ニューミュージックの本 1978年 共同通信社 75頁
  29. ^ 1978年6月12日付けから3週間1位。
  30. ^ 1978年6月12日付けから5週連続1位。
  31. ^ 1978年12月18日付け1位。
  32. ^ 矢沢永吉:富澤一誠のフォークが好き
  33. ^ 『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』200頁
  34. ^ サザンオールスターズがデビューしたのは1978年の6月で、原田真二がアミューズを辞めて同社の所属タレントが0になったため、代わりに売り出されたスターだが(Musicman-NET アミューズ 大里洋吉インタビュー別冊宝島1548号 音楽誌が書かないJポップ批評54、p20、21、35、36)。サザンオールスターズはデビューして2ヵ月鳴かず飛ばずで、7月31日の『夜のヒットスタジオ』でのブラジル人ダンサーを加えた派手な演出や、初年度の『ザ・ベストテン』が解散に向かうキャンディーズを全国に追いかけるというのがの目玉の一つだった関係で、同番組のプロデューサー・弟子丸千一郎と大里洋吉が旧知の間柄だったため、サザンオールスターズをライブハウスから中継の形で「スポットライト」(1978年8月31日)に登場させて売り出した。サザンオールスターズは「ロック御三家」と同様、テレビを有効に活用して売り出したスターでもあった(烏賀陽弘道著 『Jポップとは何か』 岩波書店、2005年、79-80頁、北中正和著 『にほんのうた 戦後歌謡史』 新潮社、1995年、198頁、北中正和著 『Jポップを創ったアルバム』 平凡社、2008年、142頁、『ロック・クロニクル・ジャパン vol.1』、21頁、『別冊太陽 日本のロック』110頁)。デビュー曲「勝手にシンドバッド」が大ヒットしたのは同年の秋のこと(10月9日付、最高位3位)。前述のようにこの時期は、世良公則&ツイストの「銃爪(ひきがね)」が『ザ・ベストテン』の10週連続1位に居座っていた時期でもあり、サザンオールスターズが世に出たのは歴史的に見れば「ロック御三家」より、ほぼ一年遅れとなる。Charがマスメディアから消えた代わりに「ロック御三家」に入ってきた形となったのがサザンオールスターズで、"ロックのメジャー化"ということで言えば、サザンオールスターズが世に出た時には、既にロックはメジャー化していた、と見ることも出来るのである サザンオールスターズのデビュー時の担当ディレクターだった高垣健も「サザンオールスターズのデビュー当時は、日本のロックポップスがビジネスになり始めた時期だった」と証言している(Musicman-NET
  35. ^ ゴダイゴが売れたのは1978年10月1日に発売した(大ヒットしたのは1979年、最高位2位)「ガンダーラ」から(ロック・クロニクル・ジャパン vol.1 1999年 音楽出版社 81頁、『別冊太陽 日本のロック』110頁、『日本ロック大系』〈上、下巻〉476、477頁)
  36. ^ 甲斐バンドが売れたのは自身もCMに出演したセイコーのCMソング「HERO(ヒーローになる時、それは今)」の大ヒット(1979年2月26日付からオリコン最高位1位2週連続)から。電通段階では、矢沢永吉、原田真二が先に上がったがメジャーに成り過ぎ等の理由で甲斐バンドの大抜擢になったもの。電通もセイコーも関係者で甲斐バンドを知ってる人はほとんどいなかったという(田家秀樹著『ポップコーンをほおばって』 1987年 角川書店 117-122頁)
  37. ^ Jロック&ポップスCD名盤ガイド 2001年 立風書房 60、200、237頁
  38. ^ 「生身のロッカーでいたい」 世良公則さんインタビュー 産経新聞 2009年6月2日
  39. ^ oricon career 私の人生グラフ 時代の最前線にいるあの人の、過去・現在・未来を直撃 ...
  40. ^ おんがく日めくり | YAMAHA
  41. ^ 世良公則&ツイスト(2):富澤一誠のフォークが好き
  42. ^ 第64回 79年はロックの夜明け - 富澤一誠の55歳の決心!
  43. ^ 新星堂BLOG:高円寺レコード スタッフBLOG ROCK☆お茶の間に進出
  44. ^ 日本ロック大系〈上、下巻〉 1990年 月刊オンステージ編集部 白夜書房 415-417、505頁
  45. ^ 『別冊太陽 日本のロック』104頁、J-ROCKベスト123』158-160頁、ニューミュージックの時代 1993年 シンコー・ミュージック 137-140頁
  46. ^ 別冊宝島1548号 音楽誌が書かないJポップ批評54』、p20、21
  47. ^ ロック・クロニクル・ジャパン vol.1、84頁
  48. ^ ロック・クロニクル・ジャパン vol.2、81-83頁
  49. ^ 『Jロック&ポップスCD名盤ガイド』60、61、200、237頁