不作為犯

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不作為犯(ふさくいはん)とは、不作為によって実現される犯罪をいう。 刑法理論上、不作為は作為と並ぶ行為と考えるのが多数説であるが、日本の刑法典で規定されているのはごく一部である。

真正不作為犯と不真正不作為犯[編集]

不作為犯は、以下の2つに分類される。

真正不作為犯
刑罰法規が不作為を予定している犯罪をいう。法文には「○○しなかったときは…」などと規定される。例えば、多衆不解散罪(刑法107条)、不退去罪(130条)、保護責任者遺棄罪(218条後段)など。
不真正不作為犯
構成要件上作為を予定している犯罪を、不作為で実現する場合をいう。

例えば、自動車で轢いて重傷を負わせた被害者を、病院に運ぼうと考えて一旦車内に引き入れたものの(引き受け行為)、翻意して死んでも構わないと思って路上に放置し死亡させた場合は、殺人罪(199条)の不真正不作為犯が成立し得る。

「不真正不作為犯」概念の問題性[編集]

作為犯は外観上の兆表により実行行為が客観的に明らかであるのに対し、不作為犯は実行行為を確定するのが困難である場合が多い。 また、作為を予定している罰条を不作為の場合に適用するのは類推解釈の禁止に触れる危険性がある。

かつては単なる先行行為と結果との因果関係を認めて不作為犯を肯定する学説もあったが、現在では社会的行為論を前提とする保証人説に基づいて可罰性を肯定する立場が有力である。

作為義務が存在すること
不作為が義務違反になることを意味する。何らかの作為義務が存在しなければ、行為の違法性(義務違反)が生じず、不作為を犯罪に問うことはできない。この作為義務は、法令、契約、事務管理のほか、慣習条理によっても発生する。
作為の可能性があること
法は人に不可能を強いるものではない。作為の可能性(作為を行うことが出来ること)がなければ、作為義務も発生しない。

例えば、子供が溺れている場合に親が泳げないのであれば、親が飛び込んで子供を助けるという作為可能性はない。 また、作為の容易性を要求する学説も有力である。

作為の場合との構成要件的同価値性があること
不作為が構成要件に実行行為として規定された作為と法的に同価値のものと評価できなければならない。

例えば、不作為の殺人行為であれば、轢いてしまった被害者を車内に引き入れた(引き受け行為)だけでは足りず、さらに他の者の手出しを出来なくしてしまうこと(排他的な支配の設定)まで要求する学説が有力である。

改正刑法草案[編集]

1974年(昭和49年)法制審議会総会で決定された改正刑法草案には、その第12条に不真正不作為犯を規定する。改正刑法草案は国会に上程されることなく、今日に至る。

第12条(不作為による作為犯)
罪となるべき事実の発生を防止する責任を負う者が、その発生を防止することができたにもかかわらず、ことさらにこれを防止しないことによつてその事実を発生させたときは、作為によつて罪となるべき事実を生ぜしめた者と同じである。

備考[編集]

江戸時代には現在の刑法よりも多くの不作為犯の規定が存在した。特に封建的道徳観に基づく規定が多い。公事方御定書71条寛保4年(1744年)追加によれば、目上の親族・主人・師匠生命の危険に晒された場合に、目下の親族・召使・弟子には救助義務があり、これに違反すれば重刑が科せられ、特にそれが親子関係であった場合には原則的に死刑が適用された。

当時の江戸町奉行の記録によれば、火災に巻き込まれた親を救出出来なかった子供が「子であれば、自分が焼け死んでも親を救うべきであるのにそれをしなかったのは人倫に反する大罪である」として打ち首とされた例が記されている。

関連項目[編集]