下見吉十郎
下見 吉十郎(あさみ きちじゅうろう、寛文13年(1673年) - 宝暦5年(1755年))は、江戸時代に大三島などの瀬戸内海の島々へサツマイモを広めた行脚僧である。島民を飢饉から救ったとして、甘藷地蔵(いも地蔵)として大三島の向雲寺(今治市上浦町瀬戸)をはじめ、島内の各地や近隣の島々にまつられた。向雲寺の甘藷地蔵は愛媛県指定史跡である。
吉十郎は河野氏の子孫であり、寛文13年(1673年)に大三島で生まれた。4人の子供を儲けたが、幼くして皆亡くしたことから、正徳元年(1711年)に大三島から諸国行脚に発った。九州を巡っていたとき、薩摩国の伊集院村で農民からサツマイモを振舞われ、やせた土地でも簡単に栽培できることを知った。瀬戸内海は、地形や気候などが独特であり、大規模な飢饉に見舞われることが多い地域であったため、吉十郎は故郷の大三島でサツマイモを育てることを考えた。薩摩藩は芋の持ち出しを固く禁じていたが、吉十郎はこの禁をおかして農民から譲り受けた種芋を大三島へ持ち帰った。
この種芋は大三島から近隣の島々に広まり、それまで飢饉に苦しんだ島民の生活は安定したものになった。特に、瀬戸内海を中心に100万人の餓死者を出したとされる享保の大飢饉のさいには、大三島の周辺では1人の餓死者も出ず、それどころか苦しむ伊予松山藩に米700俵を献上したとの記録が残っている。感謝した島民は、吉十郎を追慕し、向雲寺に「いも地蔵」としてまつった。また、向雲寺のほかにも島内の明光寺、宝珠寺、永久庵や周辺の伯方島、生口島、因島などに20体以上の地蔵菩薩が作られた。現在でも吉十郎の子孫が向雲寺の近くに住んでおり、毎年吉十郎の命日には甘藷地蔵祭が向雲寺で催されたり、いも地蔵をモチーフにした土産用の和菓子が作られるなど、島民に広く親しまれている。