上野順恵

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上野 順恵
基本情報
ラテン文字 Yoshie Ueno
日本の旗 日本
出生地 北海道湧別町[1]
生年月日 1983年7月1日(31歳)
身長 163cm
選手情報
階級 女子63kg級
所属 三井住友海上火災保険
段位 四段
引退 2013年11月
 
獲得メダル
日本の旗 日本
女子 柔道
オリンピック
2012 ロンドン 63kg級
世界柔道選手権
2009 ロッテルダム 63kg級
2010 東京 63kg級
2011 パリ 63kg級
世界団体
2002 バーゼル 63kg級
2008 東京 63kg級
2011 パリ 63kg級
2006 パリ 63kg級
2007 北京 63kg級
ワールドマスターズ
2010 水原 63kg級
2011 バクー 63kg級
2012 アルマトイ 63kg級
グランドスラム
2010 リオ 63kg級
2009 東京 63kg級
2009 パリ 63kg級
2011 東京 63kg級
2009 モスクワ 63kg級
2010 パリ 63kg級
アジア大会
2010 広州 63kg級
アジア柔道選手権
2003 済州 63kg級
2005 タシュケント 63kg級
2007 クウェート 63kg級
2012 タシュケント 63kg級
2011 アブダビ 63kg級
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上野 順恵(うえの よしえ、1983年7月1日 - )は、北海道湧別町出身の日本女子柔道選手である。階級は女子63kg級。段位は四段。身長163cm。血液型はO型。得意技は体落大外刈[2]三井住友海上に所属している[3]。姉はアテネオリンピックおよび北京オリンピック女子柔道70kg級金メダリストの上野雅恵で、妹の上野巴恵は70kg級の世界ジュニアチャンピオン[4][5]

経歴[編集]

高校まで[編集]

柔道は3歳の時に両親が運営していた湧別町道場で始めた[2]。小学生時代にはいじめられていたこともあったが、柔道をやっていたことでだんだん強くなり、自分に自信が持てるようになっていったという[6]六合中学に入学すると、全国中学校柔道大会に1年の時は52kg級、2年の時には56kg級で出場するが、決勝トーナメント1回戦で下諏訪中学の徳久瞳上四方固と判定でそれぞれ敗れた。3年の時には56kg級で2位となった。旭川南高校に進むと、全国高校選手権63kg級において、同級生で後に57kg級の世界チャンピオンとなる当時52kg級の佐藤愛子とともに2年連続優勝を成し遂げた[7]。3年の時には国体少年女子の部で佐藤とともに北海道チームの優勝に貢献すると、全国女子体重別決勝では元世界チャンピオンである筑波大学前田桂子を有効で破って優勝を飾った。福岡国際では決勝まで進むも筑波大学の谷本歩実に指導で敗れた。

社会人時代[編集]

2002年[編集]

2002年3月のハンガリー国際でシニアの国際大会初優勝を飾った。4月には姉の雅恵が所属する三井住友海上に入社すると、体重別決勝では谷本を注意で破って初優勝を飾ったが釜山アジア大会代表には選出されなかった。続いて全日本女子選手権にも出場して準々決勝で筑波大学の薪谷翠横四方固で敗れたものの5位となった。5月にはフランスジュニア国際で優勝した。6月の実業柔道団体では早くもチームの優勝に貢献することになった。9月には済州島で開催された世界ジュニアにおいてオール一本勝ちの優勝を果たした。続いてバーゼルで開催されたワールドカップ国別団体戦では準決勝のフランス戦でリュシ・ドコスを合技、決勝のキューバ戦ではアナイシス・エルナンデスを注意で破りチームの優勝に大いに貢献することとなった。しかし、11月の全国女子体重別で3位にとどまると、12月の福岡国際では決勝で谷本に一本背負投で敗れて2年連続2位に終わった。

2003年[編集]

2003年2月のフランス国際決勝では世界チャンピオンであるベルギーのジェラ・バンデカバイエに有効で敗れて2位となった。4月の体重別決勝では谷本をGSの末に2-1の判定で破って2連覇を達成して、70kg級で優勝した姉との姉妹優勝を果たしたものの、世界選手権代表には選出されなかった。5月の実業柔道団体では2連覇を達成した。8月の実業柔道選手権では初優勝を飾った。9月に大阪で開催された世界選手権では団体戦において出場する機会を得て、チームの優勝に貢献した。さらに10月に済州島で開催されたアジア選手権でも優勝を果たした。今大会の優勝により、谷本が世界選手権の3回戦で敗れたために得られなかったこの階級のアテネオリンピック出場権を確保する格好となった[8]。11月の講道館杯では3位に終わったものの、12月の福岡国際では決勝で谷本をGSに入ってから効果で破って初優勝を飾り、70kg級で優勝した姉とともに姉妹優勝を果たすことになった。

2004年[編集]

2004年2月のドイツ国際では決勝でオーストリアのクラウディア・ハイルをGSに入ってからの指導で破って優勝を飾るものの、4月の体重別では準決勝でセコムの吉澤穂波に有効で敗れた。国際大会では好結果を残していたものの、今大会で3位に終わったことによりアテネオリンピック代表の座を逃すことになった[9]。6月の実業柔道団体は3位だった。8月の実業柔道選手権では2連覇を飾った。11月の講道館杯決勝では体重別で敗れた吉澤を効果で破って優勝した。12月の福岡国際では3回戦でドコスに有効で敗れるなどして5位に終わった。

2005年[編集]

2005年2月のフランス国際決勝ではフランスのファニー・リアボフを袈裟固で破って優勝を飾ると、4月の体重別決勝でもコマツの谷本を指導1で破り、今大会2年ぶりの姉妹優勝を果たすが、世界選手権代表に選出されることはなかった。5月にタシュケントで開催されたアジア選手権では2度目の優勝を果たした。6月の実業柔道団体では優勝に貢献した。8月の実業柔道選手権では3連覇を達成した。9月にカイロで開催された世界選手権では団体戦において出場する機会を得たものの、チームは3位にとどまった。11月の講道館杯では決勝で谷本を指導2で破り2連覇を達成した。続いて韓国国際でも優勝するが、福岡国際では準決勝で吉澤に技ありで敗れて3位にとどまった。

2006年[編集]

2006年2月のフランス国際では決勝でドコスに有効で敗れた。4月の体重別では準決勝で東海大学平井希にGSに入ってから効果で敗れて3位に終わった。6月の実業柔道団体では2位だった。9月にパリで開催されたワールドカップ国別団体戦では3位にとどまったが、この大会では代表メンバーに選ばれたものの全試合に谷本が出場したため出番はなかった。11月の講道館杯決勝では体重別で敗れた平井に雪辱して3連覇を果たした。12月の福岡国際では準々決勝でドコスに指導1で敗れた。

2007年[編集]

2007年2月にはドイツ国際に出場するが、初戦でハンガリーのブリジッタ・サボーに指導2で敗れた。4月の体重別では決勝で谷本にGSに入ってから小外刈の技ありで敗れた。5月にクウェートシティで開催されたアジア選手権では3度目の優勝を飾った。6月の実業柔道団体では2位だった。8月の実業柔道選手権では優勝を飾った。10月に深圳で開催された東アジア選手権では個人戦、団体戦とも2位に終わった。11月に北京で開催されたプレオリンピック大会では優勝を果たしたが、翌日の世界団体では初戦のキューバ戦でドリュリス・ゴンサレスに敗れると、最終的にチームも3位にとどまった。12月の嘉納杯では決勝で谷本に大外刈で一本勝ちして、70kg級を制した姉ともども姉妹優勝を果たした。

2008年[編集]

2008年2月のフランス国際では決勝でドコスに大外刈で敗れて2位だった。続くドイツ国際では3回戦で試験的に階級を上げてきた57kg級の世界チャンピオンである北朝鮮のケー・スンヒを技ありで破ると、決勝でも後の北京オリンピック70kg級決勝で姉の雅恵が朽木倒で一本勝ちすることになるエルナンデスを指導1で破り優勝を果たした。4月の体重別では決勝で谷本を指導1で破って優勝するものの、北京オリンピック代表に選出されることはなかった。女子代表監督の日陰暢年によれば、この階級の代表選考では揉めたものの、上野は国際大会において技の掛け潰れが多い傾向にあり、谷本よりも一本を取れる技が備わっていないというのが選出されなかった理由だと説明した[10][11][12]。しかしながら、一連の代表選考大会においてライバルの谷本に2連勝して(そのうちの1つは一本勝ち)、国際大会でも多くの一本勝ちを収めて好成績を残しながら(プレオリンピック、嘉納杯、ドイツ国際で優勝、フランス国際2位 計20戦のうち14戦で一本勝ち)上野が選出されないのは「極めて気の毒」、あるいは「理不尽な評価」とする見方もあったものの[11][13]、基本的にマスコミは同じ体重別の48kg級決勝でトヨタ自動車谷亮子が三井住友海上の山岸絵美に敗れながらもオリンピック代表に選出されて物議を醸すことになった一件のみを大きく取り扱うばかりで、63kg級における代表選考の是非に注目することはほとんどなかった[14][15][16]。引退後のインタビューでは、2005年の体重別で優勝しながら世界選手権代表に選ばれなかった時は、技あり以上のポイントを取っていないからダメだと周囲から言いくるめられるうちに、結果として自分で自分を納得させていった。しかし、今回はさすがに選考方法に疑問を持ち、「何で勝ったのに選ばれないんだろう」と悔しくて納得できなかったという[6]。6月の実業柔道団体では78kg超級の選手であるコマツの杉本美香を指導で破るなどしてチームの優勝に貢献した。8月の実業柔道選手権では5度目の優勝を飾った。10月に東京で開催された世界団体でもチームの優勝に貢献した。11月の講道館杯でも決勝で平井を指導2で破って優勝を飾った。12月の嘉納杯では決勝でスロベニアのウルシカ・ジョルニルに判定で敗れて2位にとどまった。

2009年[編集]

2009年2月のグランドスラム・パリ決勝では平井に総合勝ちするなどオール一本勝ちで優勝を果たした。続くグランプリ・ハンブルクでも決勝でオランダのエリザベト・ウィルボーダスを有効で破り優勝を飾った。4月の体重別決勝では谷本をGSに入ってから体落の技ありで破ったことにより、ようやく谷本を押し退けて初の世界選手権代表に選出されることになった。体重別決勝で谷本を破ったのは今回で実に5度目のことであった。5月のグランドスラム・モスクワでは決勝でフランスの伏兵であるマリエル・プルボーに有効で敗れて2位にとどまった。6月の実業柔道団体では2位だった。8月にロッテルダムで開催された世界選手権では初戦から得意の大外刈などで一本の山を築くと、決勝でも地元のウィルボーダスを合技で破り、オール一本勝ちの圧勝で姉の雅恵に続いて世界チャンピオンとなった[17][18]。12月のグランドスラム・東京では決勝で谷本歩実の妹であるコマツの谷本育実を指導3で破って優勝を飾った。

2010年[編集]

2010年1月に水原で開催された世界ランキング上位16名の選手によって争われるワールドマスターズに出場すると、決勝で地元韓国の孔慈英を袈裟固で破って優勝を飾った。2月のグランドスラム・パリでは準決勝でオランダのアニカ・ファンエムデンにGSに入ってから有効で敗れて3位にとどまった。4月の体重別ではぎふ柔道クラブ24の田中美衣を指導2で破り世界選手権代表に選出された。6月の実業柔道団体では3位だった。続くグランドスラム・リオでは優勝を飾った。2010年9月に東京で開催された世界選手権では初戦から順調に勝ち上がるも、準決勝ではグランドスラム・パリで敗れたファンエムデンに苦戦して判定に持ち込まれるが3-0で勝利すると、決勝では田中と対戦してやはり旗判定までもつれ込むものの3-0で破って、世界選手権2連覇を達成した[19]。11月の広州アジア大会では、準決勝で北朝鮮の金秀京に「グーで5、6発も殴られた」格好になり、左目が大きく腫れ上がったものの指導2で退けると、決勝でも台湾の王沁芳を袈裟固で破って優勝を果たした[20]。試合後の検査では打撲と診断された[21]全柔連は今回の件で国際柔道連盟に上野が殴られたとされる準決勝の映像を提出して問題提起した[22]。12月のグランドスラム・東京では3回戦でスロベニアのヴロラ・ベデティにGSに入ってから指導2で敗れた。

2011年[編集]

2011年1月にバクーで開催されたワールドマスターズ決勝ではフランスのジブリズ・エマヌに指導2で敗れて2位にとどまった。2月のグランプリ・デュッセルドルフ決勝ではイスラエルのアリス・シュレジンガーを判定で破って優勝した。4月の体重別にはほぼ同時期にアブダビで開催されるアジア選手権に出場するためエントリーしなかった。アジア選手権では準決勝で韓国の丁多雲に判定で敗れて3位に終わると、団体戦準決勝の韓国戦でも丁多雲に指導2で敗れるが、チームは優勝を飾った。8月にパリで開催された世界選手権では2回戦でアジア選手権で連敗した丁多雲を横四方固で破ると、3回戦では昨年のアジア大会で何度も殴られて打撲させられた金秀京を大外刈で一蹴、準々決勝ではファンエムデンをGSに入ってからの有効で競い勝つと、準決勝でもジョルニルをGSにおいて横四方固で破るが、決勝では地元のエマヌに0-3の判定で敗れて3連覇はならなかった[23]。続く団体戦決勝のフランス戦でもエマヌにGSに入ってから指導2で敗れると、チームも2位にとどまることになった。9月にはパリで開催された日仏対抗親善柔道大会に出場して、クラリス・アグベニューに大外刈と横四方固の合技で一本勝ちした[24]。12月のグランドスラム・東京では決勝でジョルニルに指導2で敗れた[25]

2012年[編集]

2012年1月にアルマトイで開催されたワールドマスターズ決勝では田中を有効で破り2年ぶり2度目の優勝を飾った[26]。4月にタシュケントで開催されたアジア選手権には本来出場する必要性など全くなかったものの、今大会に出場してポイントを稼がないと世界ランキングが2位になり、ロンドンオリンピックでは決勝で対戦が予想されるエマヌとの対戦前の準決勝で得意な相手ではないジョルニルと対戦することになってしまうので、それを避けるために敢えて出場して[27]、決勝ではモンゴルのムンフザヤ・ツェデブスレンを大外刈で破り優勝を果たして、世界ランキング1位を守ることになった[28]。5月の体重別では決勝で了徳寺学園の田中を指導2で破り、今大会7度目の優勝を飾ってオリンピック代表に選出された[29]。7月のロンドンオリンピックでは1回戦、2回戦と勝ち上がったが、準々決勝で丁多雲に有効で敗れるが[30]、その後の敗者復活戦を勝ち上がり、3位決定戦ではムンフザヤに優勢勝ちを収めて銅メダルを獲得した[31]。この結果、姉雅恵と共に姉妹でメダルを獲得した[32]

2013年[編集]

2013年には会社の人事異動によりブラジルのサンパウロに転勤することになった。8月にリオデジャネイロで開催される世界選手権まで現地の道場で練習を積むという[33]。9月には現地における「ミツイ・スミトモ・セグーロス」での業務研修を終えて帰国した[34]。 11月には全柔連に強化選手の辞退届けを提出して引退を表明した。今後は所属先である三井住友海上のコーチを務めることになった[35][36]

柔道スタイル[編集]

組み手は左組みで大外刈や体落を得意にしている。また、寝技も非常に巧みであり、とりわけしつこく技を仕掛け続け、相手を崩したらすかさず抑込技に持ち込むパターンを得意にしている[37][38]。しかし、技に入る際に掛け潰れや掛け倒しが多いこともあり、場合によっては掛け逃げの反則を適用されかねない柔道スタイルとも評されていた[11][39]。さらに、相四つである左組みの選手には強さを発揮する傾向にあるものの、ケンカ四つである右組みの外国選手を苦手にしていて、相手が右組みの場合は得意の大外刈が距離的に入りにくいこともあってか、格下との対戦でも苦戦するケースが少なくない[40]。但し、同じ右組みでも国内の選手相手にはパワーで優位に立っていることなどもあり、谷本歩実相手にも分の良いところを見せていた[41]。2008年の北京オリンピック代表選考の際には谷本に比べて一本を取れる技がないことが代表に選出されなかった理由の1つと言われているが[12]、実際には国際大会、とりわけフランス国際(2005年、2006年、2008年)では計15試合のうち12試合で一本勝ちするなど決して一本が取れない選手だったとは言えないものの、オール一本勝ちで優勝した2009年のロッテルダム世界選手権の時も含めて左組みに対する一本勝ちが多い傾向にあった[39]

エピソード[編集]

  • 2011年8月には国際柔道連盟から女子柔道の現役最優秀選手に選出された[42]
  • 廃墟を見るのが趣味だという[2]

主なタイトル[編集]

戦績[編集]

有力選手との対戦成績[編集]

対戦成績
国籍 選手名 内容
日本の旗 谷本歩実 8勝4敗1分
フランスの旗 ジブリズ・エマヌ 3敗
スロベニアの旗 ウルシカ・ジョルニル 4勝4敗
オランダの旗 エリザベト・ウィルボーダス 5勝0敗
オランダの旗 アニカ・ファンエムデン 4勝1敗
イスラエルの旗 アリス・シュレジンガー 4勝0敗
中華人民共和国の旗 徐麗麗 2勝
韓国の旗 丁多雲 2勝3敗

(参考資料:ベースボールマガジン社発行の近代柔道バックナンバー、JudoInside.com等)。

IJFグランプリシリーズにおける獲得賞金一覧[編集]

大会 開催日 順位 獲得賞金
グランドスラム・パリ2009 2009年2月7日 優勝 5,000ドル
グランプリ・ハンブルク 2009年2月21日 優勝 3,000ドル
グランドスラム・モスクワ2009 2009年5月31日 2位 3,000ドル
グランドスラム・東京2009 2009年12月13日 優勝 5,000ドル
ワールドマスターズ2010 2010年1月16日 優勝 6,000ドル
グランドスラム・パリ2010 2010年2月6日 3位 1,200ドル
グランドスラム・リオデジャネイロ2010 2010年5月21日 優勝 5,000ドル
2010年世界柔道選手権大会 2010年9月11日 優勝 6,000ドル
ワールドマスターズ2011 2011年1月15日 2位 4,000ドル
グランプリ・デュッセルドルフ 2011年2月20日 優勝 3,000ドル
グランドスラム・東京2011 2011年12月10日 2位 3,000ドル
ワールドマスターズ2012 2012年1月14日 優勝 6,000ドル
総計
12大会 50,200ドル
  • 日本選手の場合は、獲得賞金の半分は全柔連の取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂されて、賞金は全額選手が受け取れることになった[44]。なお、2010年のグランドスラム・パリの場合は、獲得賞金の20%がコーチの取り分となったので、3位の賞金は1,500ドルではなく1,200ドルとなった[45]。2011年の世界選手権ではメダリストに賞金ではなく贈り物が与えられた[46]

脚注[編集]

  1. ^ 日刊スポーツ日付,00.3.22
  2. ^ a b c 「柔道全日本強化選手名鑑 2012」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年4月号
  3. ^ 選手プロフィール : 上野 順恵 | 三井住友海上
  4. ^ 柔道・上野順恵 近現代・系図ワールド~上野雅恵
  5. ^ 上野3姉妹の夢実る 「金」の姉追い続け 柔道女子銅 東京新聞 2012年8月1日
  6. ^ a b 「引退記念 インタビュー 上野順恵」近代柔道 ベースボールマガジン社、2014年1月号、14-17頁
  7. ^ 「解体新書 上野順恵」近代柔道 ベースボールマガジン社、2003年7月号 105-108頁
  8. ^ 「2003年アジア選手権」近代柔道 ベースボールマガジン社、2003年12月号、36-39頁
  9. ^ 「第27回全日本女子選抜体重別選手権」近代柔道 ベースボールマガジン社、2004年5月号、34頁
  10. ^ 「全日本選抜体重別選手権」 ベースボールマガジン社、2008年5月号 31項
  11. ^ a b c 柔道:5人が「敗退組」、過去の実績重視 五輪代表 毎日新聞 2008年4月7日
  12. ^ a b 上野順恵が銅 アテネ&北京で金の姉・雅恵に続いた スポーツニッポン 2012年8月1日
  13. ^ 「日本代表 男女32名紹介」 世界柔道東京2010 観戦ガイド アスペクト、72頁
  14. ^ 最終選考会大荒れ 谷負けたけど代表選出 スポーツニッポン 2008年4月7日
  15. ^ 亮子負けても5大会連続出場 日刊スポーツ 2008年4月7日
  16. ^ 【Sports Watch】不可解な柔道の代表選考 Livedoor ニュース 2008年4月8日
  17. ^ 【世界柔道】柔道史に残る笑顔 上野、初の世界一に「楽しかった」(1/2ページ) MSN産経ニュース 2009年8月29日
  18. ^ 上野順が金、史上初の姉妹女王/世界柔道 日刊スポーツ 2009年8月29日
  19. ^ 「内容より勝ち!」上野がV2/世界柔道 日刊スポーツ 2010年9月11日
  20. ^ 逆境乗り越えつかんだ金=上野、殴られてもひるまず-アジア大会・柔道女子 時事通信 2010年11月14日
  21. ^ 上野は打撲=アジア大会・柔道 時事通信 2010年11月15日
  22. ^ 上野が殴られた映像提出へ=全柔連、IJFに問題提起-アジア大会 時事通信 2010年11月15日
  23. ^ 上野3連覇ならず/世界柔道 日刊スポーツ 2011年8月26日
  24. ^ 復興支援の柔道日仏対抗引き分け パリで親善大会 47NEWS 2011年9月24日
  25. ^ 上野順、嫌な負け方に「弱気が出た」 サンケイスポーツ 2011年12月10日
  26. ^ 上野順、幸先よく優勝=柔道マスターズ大会 時事通信 2012年1月15日
  27. ^ 「アジア選手権」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年6月号 53項
  28. ^ 上野順が優勝=アジア柔道
  29. ^ 上野、日本初「姉で金、妹も金」だ/柔道 日刊スポーツ 2012年5月13日
  30. ^ 上野順、準々決勝で敗れる 時事通信 2012年7月31日閲覧
  31. ^ 上野順恵が銅メダル 3位決定戦攻める姿勢光った スポーツニッポン 2012年7月31日閲覧
  32. ^ 尚、日本五輪史上で姉妹メダリストは、レスリング伊調千春姉妹に次いで2組目となった。
  33. ^ 銅メダルの上野がブラジルへ=柔道女子 時事通信 2013年1月18日
  34. ^ 柔道 上野順恵さんが帰国=「いつか必ず戻ってきたい」 ニッケイ新聞 2013年9月26日
  35. ^ 柔道の上野が現役引退…大外刈りと寝技武器に世界選手権V2 サンケイスポーツ 2013年11月11日
  36. ^ 柔道の上野順恵、現役引退を表明 三井住友海上でコーチ就任 日本経済新聞 2013年11月12日
  37. ^ 【世界柔道】柔道史に残る笑顔 上野、初の世界一に「楽しかった」(1/2ページ) MSN産経ニュース 2009年8月29日
  38. ^ 【世界柔道】初出場のふたりが金メダル獲得~上野順恵と福見友子、それぞれの笑顔 スポルティーバ 2009年8月31日
  39. ^ a b 「新春インタビュー 後編」近代柔道 ベースボールマガジン社、2010年3月号 69項
  40. ^ 「ロンドンオリンピック代表を大予想!」近代柔道 ベースボールマガジン社、2012年2月号 23項
  41. ^ 「金メダリストインタビュー 上野順恵」近代柔道 ベースボールマガジン社、2011年1月号 21項
  42. ^ 上野順恵 現役最優秀女子柔道選手に 「とても光栄」 スポーツニッポン 2011年8月23日
  43. ^ 「平成19年度後期全日本強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2008年2月号
  44. ^ 競技者規定 - 財団法人 全日本柔道連盟
  45. ^ Coaches will receive prize money
  46. ^ 2011 WC + Teams - Paris

関連項目[編集]

外部リンク[編集]