上田剛史

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上田 剛史
東京ヤクルトスワローズ #50
20111015 Tsuyoshi Ueda, outfielder of the Tokyo Yakult Swallows, at Yokohama Stadium.jpg
2011年10月15日、横浜スタジアムにて
基本情報
出身地

日本の旗 日本

岡山県岡山市南区
生年月日 1988年10月2日(26歳)
身長
体重
179 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手三塁手
プロ入り 2006年 高校生ドラフト3巡目
初出場 2009年7月22日
年俸 2,400万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

上田 剛史(うえだ つよし、1988年10月2日 - )は、東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校1年から、少年野球の岡輝レンジャーズの投手として野球を始めた。小学校6年のときに全国大会4強まで進んでいる。中学校では硬式野球に転向し、ヤングリーグのヤングカープ岡山に所属。投手兼遊撃手として活躍し、3年春には全国大会で優勝した。

関西高校では1年秋から中堅手のレギュラーに定着。2年と3年の春、夏の4季連続で甲子園出場を果たした。同期にダース・ローマシュ匡がいた。高校通算25本塁打とパンチ力を持ち合わせていたが、大振りにならないミートの巧さやメンタル面の強さがあった。

2006年春の第78回選抜高等学校野球大会では、斎藤佑樹を擁する早稲田実業と対戦し、延長15回引き分け再試合を経験した。斎藤から本塁打を含む8打数4安打と活躍し、守備の好プレーも披露。しかし再試合での9回表1点リードの場面で、後逸した右翼手のカバーを怠ったために決勝点が入り、逆転負けを喫した。

夏の第88回全国高等学校野球選手権大会では、1回戦で佐藤祥万(現横浜)が所属した文星芸大附高と対戦した。9回1死一塁の場面で、中前安打を捕ろうとしたところ、バウンドが変わったため後逸し、一塁走者が生還。これをきっかけに関西は逆転サヨナラ負けを喫した。試合直後のインタビューにおいて上田は毅然とした態度で答えたものの、1人になると負けた実感から涙が止まらなかったという。

2006年9月25日に行われた高校生ドラフト選択会議では、他に阪神タイガースなどが上位指名を示唆していたが、東京ヤクルトスワローズから3巡目で指名を受けた。11月1日に推定契約金4500万円、推定年俸500万円で仮契約し、入団が決まった。この仮契約の席上、選手兼任監督古田敦也の複数ポジション制の方針により、遊撃手への転向を指示されている。

プロ入り後[編集]

2007年、前年の内野転向の指示を受けて、上田も内野用のグラブを用意しての入寮となった。しかし宮出隆自飯原誉士など、他にも内野転向を指示された選手が多かったこと、一軍に呼ばれた選手に外野手が多かったこともあって、二軍では外野手が足りなくなってしまった。そのため上田は、教育リーグ、イースタン・リーグを通じて全て外野手として出場している。内野転向のプランが無くなった訳ではなく、フェニックス・リーグでは内野手としての出場も見せた。一軍昇格はならなかったが、高卒1年目ながらファームでチーム3位の78試合に出場し、打率.223ながら9盗塁を記録している。

2008年、キャンプ・開幕共に二軍スタートとなった。イースタン・リーグでは外野(69試合)だけでなく三塁手(46試合)としても出場しているが、内野守備ではやや苦戦し守備率は9割を切ってしまった。しかし打撃面は好調を維持し、6月には二軍監督の猿渡寛茂から名指しで「上田が良くなった」とコメントを受けている[1]8月2日にはフレッシュオールスターに3番三塁で先発出場し、1回に先制となる犠牲フライを放った。一軍昇格はならなかったが、最終的にイースタン・リーグ公式戦で90試合出場した。チーム2位の打率.294、16盗塁に加え、リーグ最多となる56得点を記録している。秋には内野手として一軍メンバーに選ばれ、松山のキャンプに参加している。

2009年、イースタン・リーグでは持ち前の守備力、機動力に加え、勝負強さを発揮し、シーズン前半では前年を上回るペースの打点を記録した。7月21日プロ入り3年目で初の一軍登録。二軍ではシーズン後半にかけて打撃の確実性に苦しむものの、最終的にはチーム最多となる打席数と、リーグ2位となる26盗塁を記録した。守備出場はセンターがメイン。(翌年、一軍スタメン初出場することとなった)三塁手としての出場は13試合に留まったが、失策は記録されず成長をうかがわせた。

2011年はイースタンリーグ首位の55盗塁を記録。シーズン終盤とクライマックスシリーズでは一軍登録され、1番レフトで出場した[2]

2012年は自身初の開幕1軍スタート、開幕スタメンを勝ち取り2番センターで出場した。

2014年は開幕こそスタメンを逃すもミレッジの怪我により、4月11日以降は2番センターでのスタメンの機会が増える。その後は比屋根渉と併用で起用され5月終了までは打率.250をマークしていたものの6月の月間打率が.128、出塁率は.167と大失速。7月に調子を戻したが8月以降は再び失速し、チーム全体が高打率を残す中低迷してしまった。最終的に試合数こそ自己最多となる115試合に出場するものの、全ての成績において前年を下回る結果となった。またこの年はピッチャーの左右で成績がはっきりと別れ、対右投手には193打数で35安打.181と苦戦するも、対左投手には59打数18安打.305と好成績をマークした。

プレースタイル[編集]

シャープなスイングから鋭い打球を飛ばす左の巧打者。地肩が強く[2]、遠投は110メートルを投げる。また俊足と言いうる脚力を持ち[2]、守備範囲も広い。高校時代にあまり見られなかった盗塁も二軍戦では大幅に増えてきている。塁間走のタイムは3.9秒、50メートル走は5.9秒。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2009 ヤクルト 4 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2010 39 47 42 5 9 3 0 0 12 2 0 0 2 0 1 0 2 10 0 .214 .267 .286 .552
2011 12 34 30 1 8 1 0 0 9 0 6 0 1 0 3 0 0 5 0 .267 .333 .300 .633
2012 50 173 148 14 38 5 2 0 47 12 8 4 13 0 12 0 0 30 2 .257 .313 .318 .630
2013 112 399 339 51 87 7 4 4 114 22 18 3 24 2 33 0 1 65 2 .257 .336 .323 .661
2014 115 292 252 36 53 4 2 2 67 20 16 4 16 3 18 0 3 45 1 .210 .268 .266 .534
通算:6年 332 946 812 108 195 20 8 6 249 56 48 12 56 5 67 3 6 155 5 .240 .301 .307 .608
  • 2014年度シーズン終了時

年度別守備成績[編集]

年度 外野 三塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 13 5 1 0 0 1.000 4 4 6 0 0 1.000
2011 10 16 4 0 0 1.000 -
2012 48 80 2 3 1 .965 -
2013 102 227 6 3 0 .987 -
2014 106 156 3 7 1 .958 -
通算 279 484 16 13 2 .975 4 4 6 0 0 1.000
  • 2014年度シーズン終了時

記録[編集]

背番号[編集]

  • 50 (2007年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 河野祥一郎「今週のイチ押し!」2008年6月10日付けの記事[1](2008年6月14日閲覧)による。
  2. ^ a b c 2011年の年男 ヤクルトスワローズ『週刊ベースボール』2012年1月9.16日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-1/9.16, 59頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]