上湧別駅

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上湧別駅
駅舎(1989年3月)
かみゆうべつ
Kami-Yūbetsu
北湧 (1.5 km)
(3.2 km) 共進
所在地 北海道紋別郡上湧別町屯田市街地
北緯44度8分49.4秒 東経143度34分20秒 / 北緯44.147056度 東経143.57222度 / 44.147056; 143.57222
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 名寄本線
キロ程 126.5 km(名寄起点)
電報略号 カユ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1916年大正5年)11月21日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 名寄本線廃線に伴い廃駅
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1977年の上湧別駅と周囲約500m範囲。下が遠軽方面。駅舎横名寄側に貨物ホームと引込み線、駅裏に副本線、さらに名寄側から駅裏の木工場へ短い引込み線がある。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

上湧別駅(かみゆうべつえき)は、かつて北海道網走支庁紋別郡上湧別町字屯田市街地(現・湧別町上湧別屯田市街地)に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線廃駅)である。事務管理コードは▲122125[2]

歴史[編集]

1980年(昭和55年)まで運行されていた、急行「天都」の停車駅であった。

駅名の由来[編集]

所在地名より。湧別川の上流に位置しているために「上」を冠する[3][6]

駅構造[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した[7]。かつては千鳥状に設置された2面2線の単式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった対向ホーム側の1線は、交換設備運用廃止後も遠軽方の転轍機は維持され側線として残っていた[7]。ホーム前後の線路は、転轍機の名残で湾曲していた[7]

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム北側に接していた[7]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は221人[7]

駅周辺[編集]

旧上湧別町の中心地にあった[8]

駅跡[編集]

2001年(平成13年)時点で駅跡地は整地され、駅があった痕跡は残っておらず、駅跡の一部には町営住宅が建築されていた[9]。2011年(平成23年)時点でも同様で、更地になっていたが、附近の道路には上湧別駅前通りの名が残り、駅前にあった倉庫群も残存して駅前の雰囲気は残っていた[10]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
名寄本線
北湧駅 - 上湧別駅 - 共進駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、912頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、242頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ a b 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、198頁。ASIN B000J9RBUY 
  4. ^ 上湧別町史 昭和54年11月発行。
  5. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  6. ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)188ページより。
  7. ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)212ページより。
  8. ^ a b c d 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)18ページより。
  9. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTBパブリッシング、2001年8月発行)36ページより。
  10. ^ 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)129ページより。

関連項目[編集]