三菱水島FC
| 三菱水島FC | |
|---|---|
| 原語表記 | 三菱自動車水島FC |
| 愛称 | レッドアダマント |
| クラブカラー | 赤 |
| 創設年 | 1946年 |
| 所属リーグ | 中国サッカーリーグ |
| 所属ディビジョン | 1部 |
| ホームタウン | 岡山県倉敷市 |
| ホームスタジアム | 笠岡陸上競技場(JFL時) |
| 収容人数 | 5,000(JFL時) |
| 代表者 | 池島賢 |
| 監督 | 熊代正志 |
| 公式サイト | 公式サイト |
| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |
三菱水島FC(みつびしみずしまエフシー、Mitsubishi Motors Mizushima F.C.)は、岡山県倉敷市水島地区にある実業団サッカークラブ。
目次 |
[編集] 概要
正式名称は「三菱自動車水島FC」で、「三菱水島FC」は呼称である。母体は三菱自動車工業水島製作所。多くの選手が期間工として働いている[1]。
1946年に「三菱自工水島FC」として創部、1990年代に入ると中国サッカーリーグで強豪チームとなり、2005年シーズンからJFLに5年間参加、2010年のみ下記歴史の事情により1年間は岡山県リーグ1部、以降中国リーグに在籍している。
チームカラーは「赤」、愛称の「アダマント(ADAMANT)」とは、ギリシャ語でダイヤモンドの語源であり、英語では「断固とした・強固な」という意味である。母体である三菱グループのスリーダイヤから連想したものと思われる。
マスコットキャラクターは、桃太郎をモチーフとした「桃助」、「こももちゃん」、「まもる君」。
近年には地域密着型チーム運営を目指し、出前サッカースクールを行ったり、女子サッカーチーム「レッドアダマントFC」を開いている。
[編集] 歴史
1946年に終戦で荒廃した水島地区の地域レクリエーションの向上を目指して「三菱自工水島FC」として設立され、1965年から岡山県の社会人リーグに在籍。県内の実業団サッカーをリードするチームとして長年活躍。1979年に中国サッカーリーグ昇格を果たしたが、1982年に岡山県リーグに転落。
その後1990年に8年ぶりの復活を果たしてからは中国リーグで常に上位に君臨。1992年に初優勝して以来2004年まで中国リーグ5回の優勝を達成。2004年度全国地域リーグ決勝大会で初優勝を果たした。また2005年度より、JFLの2チーム(徳島ヴォルティス、ザスパ草津)がJリーグ(J2)加盟を承認されたことを受け、JFL自動昇格が決定した。
これを機に地域密着型チーム運営を目指すことになった。ただJFL昇格後の成績は芳しくなく、多くの選手が期間工として2交替勤務で1週間おきに夜勤があるため、なかなかベストメンバーで試合ができず、チームは下位に低迷した[1]。
JFL昇格1年目の2005年は勝ち点8で16チーム中最下位だった。特に後期は勝ち点を3しか上げられず、2005年から2006年にかけて15連敗を喫することになる。ちなみに三菱水島が2005年から2006年に記録した15連敗はJFLのリーグワースト記録である。
2006年も苦しい戦いとなり前期は17位と残留争いに巻き込まれたが、後期はチームが持ち直した。最終順位は17位になるも佐川急便東京SCと佐川急便大阪SCの合併で全国地域リーグ決勝大会上位チームとの入れ替え戦の対象が18位チームだけになったこともあり、JFL残留を果たした。
2007年は自力で残留を果たす。
2008年も降格圏内に低迷、しかし上位チームのJ2昇格(栃木SC・カターレ富山・ファジアーノ岡山)に伴い引き続きJFL残留を果たしている。同年には同県のファジアーノ岡山FCとの岡山ダービーが実現した。
2008年末、世界的な経済情勢の悪化から、今後の活動について運営費削減および活動縮小が懸念された。これに対し、ホームスタジアム・岡山県笠岡陸上競技場のある笠岡市が、同クラブが地域スポーツ振興の中核的な存在であるとして活動存続を要望した[2]。
2009年も引き続きJFLに在籍したものの、所属選手の半数近くが雇用保険やアルバイトで生計を立てる状況で[3]、チームも最下位に低迷。さらには遠征費どころかJFL加盟料を捻出する事が困難な状況になったため、同年9月30日JFL事務局に脱退する書面を提出、同年10月30日JFL臨時評議員会にて認められ、成績にかかわらず降格が決定した[4][5]。三菱自動車では長引く不況の影響で、社営水島病院が廃院閉鎖に追い込まれるなど、リストラ策が進められており、本業以外に対する支出に厳しい目が向けられていた。
降格以外の理由でのJFL脱退であるため、全国社会人サッカー連盟の規約上中国リーグ側から参加登録を拒否されたこともあり、2010年はさらにその下の都道府県リーグである岡山県リーグ1部に参加することとなった[6]。
2010年、岡山県リーグ1部を無敗で優勝。中国地域県リーグ決勝大会で準優勝し、中国リーグ昇格を決めた。
[編集] 成績
| 年度 | 所属 | 監督 | 試合 | 勝点 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 順位 | チーム 数 |
備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1978 | 岡山1部 | 中国リーグに昇格 | ||||||||||
| 1979 | 中国 | 14 | 7 | 3 | 1 | 10 | 20 | 22 | 7位 | 8 | ||
| 1980 | 14 | 11 | 3 | 5 | 6 | 12 | 22 | 7位 | 8 | |||
| 1981 | 14 | 6 | 1 | 4 | 9 | 8 | 28 | 8位 | 8 | 岡山県リーグに降格 | ||
| 1982 | 岡山1部 | |||||||||||
| 1983 | ||||||||||||
| 1984 | ||||||||||||
| 1985 | ||||||||||||
| 1986 | ||||||||||||
| 1987 | ||||||||||||
| 1988 | ||||||||||||
| 1989 | 中国リーグに昇格 | |||||||||||
| 1990 | 中国 | 16 | 22 | 9 | 4 | 3 | 41 | 22 | 3位 | 9 | ||
| 1991 | 14 | 22 | 6 | 4 | 4 | 24 | 17 | 3位 | 8 | |||
| 1992 | 14 | 34 | 11 | 1 | 2 | 36 | 14 | 優勝 | 8 | |||
| 1993 | 14 | 26 | 8 | 2 | 4 | 37 | 16 | 2位 | 8 | |||
| 1994 | 14 | 26 | 8 | 2 | 4 | 34 | 26 | 2位 | 8 | |||
| 1995 | 14 | 27 | 7 | 6 | 1 | 30 | 14 | 2位 | 8 | |||
| 1996 | 14 | 26 | 8 | 2 | 4 | 42 | 22 | 3位 | 8 | |||
| 1997 | 14 | 22 | 6 | 6 | 31 | 28 | 4位 | 8 | PK:2勝0敗 | |||
| 1998 | 14 | 28 | 9 | 4 | 38 | 18 | 3位 | 8 | PK:0勝1敗 | |||
| 1999 | 14 | 35 | 11 | 1 | 38 | 18 | 優勝 | 8 | PK:0勝2敗 | |||
| 2000 | 14 | 31 | 8 | 2 | 46 | 20 | 2位 | 8 | PK:3勝1敗 | |||
| 2001 | 14 | 22 | 7 | 4 | 24 | 12 | 2位 | 8 | PK:0勝1敗 | |||
| 2002 | 10 | 29 | 9 | 0 | 37 | 9 | 優勝 | 8 | PK:1勝0敗 | |||
| 2003 | 14 | 37 | 12 | 1 | 34 | 7 | 優勝 | 8 | PK:0勝1敗 | |||
| 2004 | 14 | 41 | 13 | 0 | 40 | 6 | 優勝 | 8 | PK:1勝0敗、JFLに昇格 | |||
| 2005 | JFL | 熊代正志 | 30 | 8 | 2 | 2 | 26 | 24 | 85 | 16位 | 16 | |
| 2006 | 34 | 27 | 7 | 6 | 21 | 32 | 74 | 17位 | 18 | |||
| 2007 | 34 | 35 | 11 | 2 | 21 | 36 | 53 | 15位 | 18 | |||
| 2008 | 34 | 16 | 3 | 7 | 24 | 30 | 76 | 18位 | 18 | |||
| 2009 | 34 | 18 | 4 | 6 | 24 | 28 | 69 | 18位 | 18 | この年を以ってJFLから脱退 | ||
| 2010 | 岡山1部 | 12 | 34 | 11 | 1 | 0 | 44 | 8 | 優勝 | 13 | 中国リーグに昇格 | |
| 2011 | 中国 | 18 | 37 | 12 | 1 | 5 | 47 | 33 | 4位 | 10 |
[編集] 所属選手・スタッフ
- 2011年シーズン現在
- 監督:熊代正志
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[編集] スタジアム
中国社会人リーグ時代は以下の通り。岡山県リーグ時代も同様。
- 水島緑地福田公園陸上競技場(倉敷市)
- 水島緑地福田公園サッカー場(同)
- 倉敷運動公園陸上競技場(同)
JFL時代は5000人以上収容スタンドが求められていたこともあり、公式戦会場は以下の通り。
- 本拠地 : 岡山県笠岡陸上競技場
- 準本拠地 : 岡山県美作ラグビー・サッカー場
- 準本拠地 : 福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場
- 準本拠地 : 岡山県総合グラウンド陸上競技場 (現・kankoスタジアム、2009年以降ファジアーノ岡山に優先されるため使用していない。)
[編集] ユニフォーム
- いずれも2009年シーズン時
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[編集] チームカラー
- チームカラーは赤色
[編集] ユニフォームスポンサー
| 掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 |
|---|---|---|
| 胸 | 岡山放送 | OH!くん (イラスト) OHK |
| 背番号 | 両備ホールディングス | 両備バス |
| 袖 | 明治安田生命保険 | 明治安田生命 |
| パンツ | 明治安田生命保険 | 明治安田生命 |
[編集] ユニフォームサプライヤ
[編集] オフィシャルスポンサー
[編集] 関連項目
- 三菱水島製作所内のスポーツチームを起源とするクラブ
- 三菱自動車倉敷オーシャンズ
- 三菱自動車水島ラグビー部
- 他の三菱グループ内のサッカークラブを起源とするクラブ
[編集] 脚注
- ^ a b 山陽新聞 (2008年12月5日). “JFL三菱自水島 不振の4季目振り返って”. 2008年12月5日閲覧。
- ^ 中国新聞 (2008年12月23日). “笠岡市長が水島FC存続要望”. 2008年12月23日閲覧。
- ^ 同年1月現在で所属選手35人中、正規従業員17人。山陽新聞 (2009年1月15日). “「不況に屈さぬ」三菱自水島サッカー部 今季JFLへ始動”. 2009年1月15日閲覧。
- ^ 山陽新聞 (2009年11月3日). “三菱自水島JFL脱退 今季限り不況など影響”. 2009年11月5日閲覧。
- ^ JFL公式 (2009年11月2日). “三菱水島FCのJFLからの脱退について”. 2009年11月2日閲覧。
- ^ 山陽新聞 (2010年2月1日). “今季は岡山県1部 岡山社会人サッカー”. 2010年2月3日閲覧。
[編集] 外部リンク
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