三笑亭笑三
三笑亭 笑三(さんしょうてい しょうざ、1925年10月28日 - )は、東京都新宿区早稲田出身の落語家。本名、斧田 道男(おのだ みちお)。
所属は日本芸術協会より落語協会へと変わったのち、現在は日本芸術協会(落語芸術協会)に復帰し同協会相談役。出囃子は『並木駒形』。
旧制早稲田第二高等学院在学中に学徒動員。終戦後、新作落語で一世を風靡した2代目三遊亭円歌にあこがれて落語家になろうと決意。しかし、仲介してくれた人(人形町の芸者置屋)が紹介してくれたのは8代目三笑亭可楽(日本芸術協会)。そのまま可楽に入門した(1946年4月)。入門時、「円歌師匠の落語『呼び出し電話』を聴いて落語家になろうと思いました」と可楽にはっきりと伝えた。師・可楽は笑いながらその無礼をも許し、三笑亭可寿美という名を与えた。円歌の前座名・「三遊亭歌寿美」にちなんだ命名であった。1950年5月二つ目昇進で3代目柳亭春楽を襲名。その後、可楽と日本芸術協会(というより会長春風亭柳橋)の間のトラブルがあり、可楽は自分から休演し、脱退寸前になった。笑三はそのあおりで一時期廃業をしていたが、可楽の計らいで憧れの円歌(落語協会)のもとに預けられることになる(1955年11月。つまり落語協会へ移籍)。円歌門で与えられた名は三遊亭歌風。3代目三遊亭圓歌(山のあなあな)は兄弟子に当たる。1958年2月に可楽門に復帰し三遊亭笑三(日本芸術協会に復帰)。1961年4月に真打昇進し亭号を「三笑亭笑三」に改名。
この真打名の由来はもちろん回文になるからである(三遊亭遊三の命名と同じ)。そこから「上から読んでも下から読んでも三笑亭笑三」のキャッチフレーズで売り出す。初代林家三平や牧伸二にギャグやネタを提供していたこともあり、特に盟友・三平のブレーンとしては才を発揮し「おもちも入ってベタベタと、安くてどうもすいません」(渡辺の即席しるこCM)等の名ギャグを多数生み出した。
テレビ出演を積極的にこなした落語家のはしりでもあり、NET・日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)「大正テレビ寄席」の初代司会者やテレビ東京の「日曜ワイド笑」の司会も勤めた。1964年、文部省芸術祭奨励賞を受賞。
幅広い趣味人として知られる。特に映画製作や漫画・イラストは玄人はだしであり(現存する放送局所有以外での初代林家三平の映像は、ほぼ全て、笑三が私的に撮影していたものである。落語家や芸人仲間を出演させた自主映画を何本も手がけたり、寄席行きの傍ら足しげくフィルムセンターでの上映に通っていた邦画通でもある。イラストレーターとしては、長年浅草演芸ホールのパンフレット表紙絵を手がけた)また、筆も立つ(前述のように他の芸人のネタ作家をやっていた。また落語芸術協会の機関誌『寿限無』をたった一人で作成していた。DTPもワープロもない時代のことである。著書も数冊手がけている)。かつては熱烈な日本社会党支持者で、社会新報への協力も続けていた。
2011年現在も健在で、いまだ寄席に出演する落語芸術協会の最長老の一人である。江戸東京博物館の音声ガイドも担当。
その一方、弟子を取ることはなかった(実子や実孫が「小笑三」「笑坊」として独演会の高座で前座を務めたことはある)
時事漫談、ないし新作落語を高座でかける場合が多いが、まれに古典も披露する。得意ネタは「異母兄弟」「呼び出し電話」「社長の電話」「大師の杵」「てれすこ」「悋気の火の玉」「さんま芝居」「一分線香即席噺(小咄集)」など。