三木露風

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
三木露風
Miki Rofu.JPG
1948年
誕生 1889年6月23日
兵庫県揖西郡龍野町
(現在のたつの市
死没 1964年12月29日(満75歳没)
東京都
墓地 大盛寺別院[1]
職業 随筆家
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 慶應義塾大学
ジャンル 短歌。児童文学。随筆。
文学活動 赤い鳥運動
代表作 著書を参照。
主な受賞歴 勲四等瑞宝章
親族 碧川道夫
テンプレートを表示

三木 露風(みき ろふう、1889年明治22年)6月23日 - 1964年昭和39年)12月29日)は、日本の詩人童謡作家、歌人随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマン碧川道夫がいる。

近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並び「白露時代」と称された。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。

略歴[編集]

兵庫県揖西郡龍野町(現在のたつの市)に父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれた。5歳の時に両親が離婚し、祖父の元に引き取られ、育てられた。

小・中学生時代から俳句短歌を新聞や雑誌に寄稿、17歳で処女詩集を、20歳で代表作の『廃園』を出版するなど早熟の天才であり、北原白秋とともに注目された。龍野中学校中退後上京し、早稲田大学および慶應義塾大学で学んだ。

1918年頃から鈴木三重吉赤い鳥運動に参加し童謡を手掛ける。1921年には、童謡集『真珠島』を出版した。この中の「赤とんぼ」は山田耕筰によって作曲され、広く知られている。また、1916年から1924年まで北海道上磯町(現・北斗市)のトラピスト修道院で文学講師を務めた。1922年にここで洗礼を受け、カトリッククリスチャンになった。信仰に基づく詩集のほかに、随筆『修道院生活』や『日本カトリック教史』などを著し、バチカンからキリスト教聖騎士の称号を授与された。1963年紫綬褒章受章。1964年12月21日午前9時15分頃、三鷹市下連雀郵便局から出てきたところを、タクシーにはね飛ばされ頭蓋骨骨折で病院に運ばれるも意識不明の重体となった。そして同月29日午後3時35分頃に脳内出血により75歳で死去。没後、勲四等瑞宝章。1928年より在住した東京都三鷹市内の大盛寺別院に墓がある。

出身地の龍野市では1985年から「三木露風賞・新しい童謡コンクール」を毎年開催しているが、2005年10月1日に合併に伴いたつの市となったため、コンクールの運営はたつの市に引き継がれた。

著書[編集]

生家跡(兵庫県たつの市)

詩集・童謡集[編集]

  • 夏姫(1906年7月、血汐会)
  • 廃園(1909年9月、光華書房)
  • 寂しき曙(1910年11月、博報堂
  • 白き手の猟人(1913年、東雲堂書店)
  • 露風集(1913年、東雲堂)
  • 良心(1915年、白日社)
  • 幻の田園(1915年、東雲堂)
  • 蘆間の幻影(1920年、新潮社
  • 生と恋(1920年、アルス
  • 真珠島(1921年、アルス)
  • 青き樹かげ(1922年、新潮社)
  • 信仰の曙(1922年、新潮社)
  • 小鳥の友(1926年、新潮社)
  • 神と人(1926年、新潮社)

歌集[編集]

  • トラピスト歌集(1926年、アルス)

詩論[編集]

  • 露風詩話(1915年、白日社)
  • 詩歌の道(1925年、アルス)

随筆・宗教書等[編集]

  • 修道院雑筆(1925年、新潮社)
  • 修道院生活(1926年、新潮社)
  • 我が歩める道(1928年、厚生閣書店)
  • 日本カトリツク教史(1929年、第一書房

全集など[編集]

  • 三木露風全集』全3巻、三木露風全集刊行会、1972-74 日本図書センターより復刻
  • 『作家の自伝62 三木露風 我が歩める道ほか』中島洋一編、日本図書センター、1998年
  • 『赤とんぼ 三木露風童謡詩集』雨田光弘絵、ネット武蔵野、2006年

童謡など[編集]

以下の山田耕筰作曲の作品がよく知られる。

作詞[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 坂本正仁・ほか 『多摩のお寺めぐり』 雄山閣出版、1993年、80-81頁。ISBN 4639011806NCID BN10373225

関連項目[編集]

外部リンク[編集]