三億円事件

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三億円強奪事件 から転送)

三億円事件(さんおくえんじけん)は、東京都府中市1968年12月10日に発生した、窃盗事件である。三億円強奪事件といわれることもあるが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。

目次

[編集] 事件の経緯

事件の舞台となった府中刑務所の外塀付近。(2009年撮影)写真左が学園通り、右が刑務所の塀。

1968年昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行国分寺支店長宛に脅迫状が届く。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警官約50名が指定の場所に張り込んだが、犯人は現れなかった。

4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。

そこへ警官に変装して擬装白バイ[1]に乗った犯人が、バイクを隠していたと思われるカバーを引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って行員を輸送車から降ろさせた。

4日前に支店長宛ての脅迫状が送り付けられてこともあり、その雰囲気に行員たちは呑まれてしまっていた。犯人は、輸送車の車体に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時銀行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、バイクに詳しい銀行員が残された白バイが偽物と判断できたことから偽警察官による現金強奪事件が早くも判明した。

この出来事の目撃者には銀行員の他府中刑務所の職員、近くにいた航空自衛隊員、通行人の主婦などがいた。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧だったり勘違いだったりすることもあった。

直ちに緊急配備が敷かれ、要所要所で検問が実施されたところ、杉並区内の検問所で“銀色のトランクを積んだ灰色ライトバン”を捕捉したが突破された。これが最後に目撃された犯人の姿といわれる[2]

被害金額約3億円(2億9430万7500円)は現金強奪事件としては当時の最高金額であった[3]。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが[4]、1968年当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約20~30億円にあたり、貨幣価値においては現金強奪事件としては最高クラスである。捜査には7年間で9億円が投じられた。

1975年昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。昭和犯罪史を代表する未解決事件となった。

[編集] 多摩農協脅迫事件

三億円事件が起こる前、1968年4月25日から1968年8月22日まで多摩農協へ現金要求や放火予告や爆弾予告をする脅迫が脅迫状・脅迫電話・壁新聞投げ込みで計9回発生した。

この事件は脅迫日が東芝の給料日だったこと、脅迫状の筆跡が12月6日に送られた日本信託銀行への脅迫状の筆跡と同一とされたことから多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件と三億円強奪事件の三事件が同一犯によるものとされた。

[編集] 遺留品

犯人が残した遺留品が120点もあったため、犯人検挙について当初は楽観ムードであった。ところが、遺留品は盗難品や一般に大量に出回っているものであったため犯人を特定する証拠とはならず、大量生産時代の弊害に突き当たってしまった。犯人の主な遺留品は以下の通り。

[編集] 第一現場

府中市栄町、府中刑務所裏。三億円強奪事件が起きた路上。遺留品には偽白バイが残った。

ヤマハスポーツ350RI
偽白バイ。盗難日は1968年11月19日から20日。白バイの機種はホンダなので、ヤマハの白バイは存在しない。試運転で本番までに428キロ走られている。
ハンチング帽
第1現場で偽白バイが事件現場まで引きずっていったボディカバーの中から発見されたことから、犯人のものと考えられている。汗を検出すれば、少なくとも実行犯の血液型を判明できたが、楽観ムードによるものからか、鑑定に出す前に刑事同士で交互に被ることで鑑定不能にするミスを犯していた。ハンチング帽は54個が出庫され、36個は所在が判明。残り18個は立川市の帽子小売店が市内の安値市で販売していたが、誰に売ったかまでは判明できなかった。
メガホン
第1現場の遺留品の一つであるメガホン(拡声器。偽白バイに広報用スピーカに見せかけるため取付けられていた)は、製造番号から5台が出回っていることが分かり、4台まで所在を確かめた。残る1台は東村山市の工事現場で盗難に遭っており、この最後の1台が犯行に使用された物と思われる。
新聞紙
メガホンは、白ペンキで2度塗装されていた。捜査に行き詰まっていたある日、上の塗装がはがれた部分に4mmほどの新聞紙の紙片が付着しているのを発見。地道に新聞紙を調べたところ、1968年12月6日産経新聞朝刊婦人欄の「食品情報」という見出しの「品」の字の右下部分の一部であることが判明した。紙片の分析の結果、紙は愛媛県伊予三島市大王製紙の工場で作られた物と判明。なお一部情報で「インクの具合、印刷状況から輪転機を特定し、その新聞が配達されたのが三多摩地区であることまで絞り込めた」という報道がなされたが間違いである。
配部数は13,485部、販売所数は12ヶ所。住民の転出入が激しかったことや、新聞を購読する家が頻繁に変わっていたことから捜査は難航し、2年掛かりでやっと販売所を特定できたが、時すでに遅く配達先の住所録は処分された後であり、この方面での捜査は徒労に終わった。

[編集] 第二現場

国分寺市西元町、武蔵国分寺跡のクヌギ林。現金輸送車のセドリックが乗り捨てられていた場所。遺留品にはセドリックが残った。

[編集] 第三現場

府中市栄町、明星学苑高校近くの空地・犯行前に偽白バイをカバーに覆って停めていた場所。

レインコート
第3現場に残されていた濃紺のレインコート。レインコートの製造した会社は1958年時点で倒産しており、レインコートは10年以上前に製造されたものであった。このレインコートにはソデ裏にアイロンがかけられた後があり、また内エリに「クリーニング」のタグの後を示す白い糸があった。しかし、この遺留品は様々な情報が錯綜し、当初は粗末に扱われており重要な遺留品を認定されたのは事件から3年後のことであったため、これ以上の発見はなかった。
第1カローラ
緑色のカローラ(多摩5め3863)は第3現場で発見された。

[編集] 第四現場

小金井市本町、団地駐車場。第二現場で乗り換えたカローラが、乗り捨てられていた場所。事件から4ヶ月後に判明。遺留品にはカローラが残った。他にも似たような盗難車があった。

第2カローラ
現金を奪った犯人が、現金輸送車から乗り換えた濃紺のカローラ。通称は「多摩五郎」(多摩5ろ3519)。車は盗難されたシートカバーで覆われてため発覚しにくかった。事件から4ヵ月後、小金井市の団地駐車場で発見された。残された車の中には、空のジュラルミンケースが入っていたことから、犯行に使われたことが特定された。なお、「第2カローラ」は自衛隊の航空写真より事件直後から団地駐車場に存在したことが判明している。
ケースの泥
ジュラルミンケースに付着していた泥を精密検査した結果、現場から4km離れた国分寺市恋ヶ窪の雑木林の土壌と酷似していた。この為この付近にアジトがあると見て、徹底的に捜索したが成果は出なかった。
ホンダドリーム
犯行に使われた偽白バイが盗難された日の10日前にあたる1968年11月9日に盗まれたバイク。白バイの車種であるため、犯人は当初このバイクを偽白バイに改造しようとしたと思われる。盗難後の走行距離が60キロと短いが、このバイクは持ち主によると盗難前からノッキングしやす不具合があった。犯人は試運転でその不具合に気づいたため、白バイを別のバイクで改造したと推理された。
3台の盗難車
第2カローラ以外にも盗まれて小金井市の団地に放置された盗難車が3台(プリンススカイライン2000GT・ブルーバード・プリンススカイライン1500)存在した。車は盗難されたシートカバーで覆われてため発覚しにくかった。1971年昭和46年)、工学者の額田巌は、警察の依頼で遺留品の鑑定を行い、2台のカバーシーツの紐結びを比較した。その結び方が異なるため、ブルーバードを盗んだのも三億円事件の犯人だとすれば、この事件は複数犯であると結論している[5]
ギャンブル関連品
盗難車プリンススカイライン2000GTの中に競馬専門誌2部とスポーツ紙、府中の東京競馬場近くの喫茶店のマッチ、平和島競艇のチラシ。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。そのため、犯人としてギャンブル愛好家説が浮上した。
女性物のイヤリング
プリンススカイライン1500の中から女性物のイヤリング。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。犯人グループに女性の存在が浮上。

[編集] 脅迫状

銀行に送りつけられていた脅迫状の切手に唾液があり、唾液からB型の血液型が検出されている。また、脅迫状は雑誌の切り貼りで文字を作っていたが、その雑誌が発炎筒の巻紙に使われた雑誌と完全一致したことから、脅迫状を送った犯人と現金強奪犯が同じであることが明らかになった。

多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件の両事件で送られてきた脅迫状の文面の特徴として以下の特徴があった。

  • 「ウンテンシャ」「イマ一度の機会」など特定の業種が使う言葉を使用。
  • 語句と語句の間を分ける「分かち書き」の使用。
  • 強調点に「●―●―●」という記号の使用。
  • 「オレタチ」「我々」などの複数犯を思わせる記述。
  • 「コン柱オキバ」など電話関係者の業界用語の使用。
  • 多摩農協職員の車のナンバーを特定している記述。

[編集] 捜査

[編集] モンタージュ写真による捜査

12月21日モンタージュ写真が公表された。しかし、事件直後に容疑者として浮上した人物(後述の立川グループの少年S)の顔を見た銀行員4人が犯人に似ていることを根拠として、事件発生1年前に事故死した人物(写真撮影時は19歳)の写真を遺族に無断で用いたものであり、通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげた物ではなかった。本来“このような顔”であるべきモンタージュ写真を“犯人の本当の顔”と思い込んだ人が多く、そのために犯人を取り逃がしたのではないかという説もある。

結局、捜査本部は1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、モンタージュ写真も1974年に正式に破棄されている。しかしその後も各種書籍物でこのモンタージュ写真が使用されており、犯人像に対する誤解を生む要因となっている。

容疑者リストに載ったのは実に11万人、捜査した警官延べ17万人という空前の捜査だったが結局、犯人を検挙できずに事件は時効を迎えた。

[編集] ローラー作戦

事件現場となった三多摩地区には当時学生が多く住んでいたことから、一帯にアパートローラー(全室への無差別聞き込み)を掛けた。この捜査手法については、当時先鋭化しつつあった学生運動を壊滅させる為の警視庁公安部による謀略だったとする陰謀説があり、1970年6月26日、学生運動に対する政府の勝利宣言と同時に事件の捜査陣が大幅に縮小された事がその傍証だとする見解もある。北芝健は、たとえ犯人が判明していたとしても捜査を引き伸ばした方が学生運動・暴走族・暴力団の情報が得られるので警察には利益になると話している[1][6]

警察において被疑者とされた者の数は十数万人に及んだ。事件現場前にある都立府中高校に在籍した高田純次布施明の名前もあった。もっとも、二人とも事件とは無関係であることが後に判明した。

[編集] その他の捜査

通常の事件と同様に遺留品などから検出された指紋の照合も行われていた。しかし、上記の通り遺留品はどれも大量生産されていたものだった影響から照合する指紋の量が多すぎたことや、それを照合する捜査員がわずか3人と少数だったため大した効果は得られなかった[7]

また、指紋捜査員には残された白バイに付着している指紋が犯人のものでないかという考えがあった。白バイに扮装させるためバイクには白いペンキが塗られており、ここについている指紋が犯人のものである可能性が高かった。なぜならばここに指紋が付くということはバイクを改造してから触ったことを示しており、その可能性があるのは犯人以外に製作者、犯人グループもしくは極親しい人、事件の被害者くらいだからだ。白バイに改造されたバイクを盗むことは考えづらく事件に使用するために作った可能性が非常に高い。そのバイクを事件まで仲間以外に接触させることも考えづらい。その結果、事件後に触った人以外の指紋は犯人もしくは犯人と親しい人物であると考えられる。

これらのことから指紋調査員は白バイに付着した指紋だけに絞って調査を進めてはどうかと提案した。それは、上記の通り指紋捜査は非常に難航しており、膨大な量の指紋を前にして苦労を重ねていたからである。しかし刑事側から「その指紋が犯人のものであると断定できるのか?」と強く責められ、調査員も自信を持って主張することができず、結局は膨大な指紋を照合することとなった。

現在では重要視される指紋照合も当時はあまり期待されていなかった。加えて当時は刑事と捜査員との力関係に大変な差があり白バイの指紋に注力することはできず、これまでの犯人や怪しい人物の指紋と照合するという刑事の推理主導で作業が進められていった。時代背景を考えれば仕方のないことだが数々の経験を積み重ねた結果、逆に後年起こる有楽町三億円事件では指紋が犯人逮捕の決め手となった。

警察は事件当時に盗まれた3億円のうち番号がわかっていた500円札2000枚分(100万円分)のナンバーを公表した。この番号の札は1枚も出回ることはなかったが、犯人が強奪した現金を使えなくすることによって犯人の利益が一部無くすことができたとする一方、犯人が紙幣使用を控えたとされて犯人の検挙を一層困難にした。

[編集] 本事件による被害とその影響

盗まれた3億円は、日本の保険会社が支払った保険金により補填された。その保険会社もまた再保険(日本以外の保険会社による)によって損害の補填をうけていたために、日本企業の損失はなかった。そのため、事件の翌日には社員にボーナスが支給された。このように史上例を見ない金額の事件だったにも関わらず、実質的に国内で損をした者は1人もいないとされている(ただし、マスコミの報道によって大きな被害を受けた人物(後述の運転手K)は存在する)。このことと、犯人が暴力に訴えず計略だけで強奪に成功していること及び被害金額2億9430万7500円の語呂から、“憎しみのない強盗”のあだ名もある。

この事件以来、多額の現金輸送の危険性が考慮されるようになり、給料等の支給について(銀行など)口座振込が普及する一因となった。

[編集] 犯人像の推測

この事件の犯人については、目撃者や脅迫状の文面や遺留品から様々な犯人像が浮上した。単独犯なのか複数犯なのかも不明。

[編集] 立川グループの少年

立川グループとは、当時立川市で車両窃盗を繰り返した、非行少年グループである(立川市は府中市に近い)。

[編集] 少年S

立川グループのリーダー格。事件当時は19歳。

容疑理由(状況証拠)は以下の通り。

  1. 「車の三角窓を割り、ドアの鍵を開けてエンジンとスターターを直結する」という車の窃盗手口が同じ。
  2. 地元出身で土地勘があり、車やバイクの運転技術が巧み。
  3. 1968年3月に立川市のスーパーで「発炎筒をダイナマイトと見せかけた強盗事件」を起こした仲間と親しい。
  4. 父親は白バイ隊員で、白バイに関する知識が豊富。
  5. 親族以外のアリバイが不明確。
  6. 事件前に東芝や日立の現金輸送車を襲う話をしていた。

だが、以下のような反証が上げられており、単独犯の場合は犯人ではないことを示した。

  1. 血液型はA型で、脅迫状の切手のB型と異なっていた。
  2. 脅迫状の筆跡も異なっていた。
  3. 多摩農協脅迫事件の脅迫状の投函日には、少年鑑別所にいた。

Sは事件5日後の1968年12月15日に自宅で父親が購入していた青酸カリで自殺。Sの自殺については、自殺するような人間ではないとの少年Sの仲間の証言や青酸カリが包まれた新聞紙には父親の指紋しかついていなかったことから疑問視する意見がある。 翌日、捜査本部は実行犯を間近で目撃した4人の銀行員たちを自宅に招き、Sの顔を面通しをさせた。4人全員がSが実行犯に「似ている」または「よく似ている」と答えたことを根拠の一つに、1968年の12月21日にSに酷似したモンタージュ写真が公開された。

しかし、捜査本部はSを「シロ」と断定した。

[編集] 少年Z

立川グループのメンバー。事件当時は18歳。 容疑理由は、事件後に乗用車を購入したり、会社経営をしたりと、金回りがよくなっていた事。そして、少年Sの1~3と同じ理由である。

だが、血液型はAB型であり、脅迫状の切手のB型とは異なっている。また筆跡も異なっていた。

警察は、公訴時効寸前の1975年に、元少年Zを最後の容疑者候補とする。1975年11月に別件の恐喝罪で逮捕するが、三億円事件の公訴時効前に釈放された。

[編集] 府中市の運転手

以下K。府中市に住む運転手。事件当時は25歳。住まいや過去の運転手の仕事から各現場の地理に精通し、血液型が脅迫状の切手と同じB型、タイプライターを使う能力を持ち、モンタージュ写真の男と酷似していることなどから12,301人目の容疑者候補として浮上。しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、金回りに変化がないことから、警察は慎重に捜査をすることとした。
発生から1年後の1969年12月12日に、捜査員を取材していた毎日新聞の記者が筆跡が異なるなどの否定材料を入れた上で警察が容疑者としていると掲載し、モンタージュ写真にKの顔を合成するなどして犯人視する報道を展開。それを新聞配達前に知った警察は逃亡の恐れがあるとして、身柄拘束を視野に入れた上で運転手Kに任意同行を求め、十数時間の取調べの後に別件逮捕した[8]新聞各社も「容疑者聴取へ」などと実名入りで書き立てたが、事件当日に就職試験を受けていたアリバイが証明され翌日釈放された。報道による人権侵害の最たる例であり、この月の縮刷版・当日のマイクロフィルム紙面は現在各社共封印している。
なお、Kは逮捕や一連の報道によって職を失い、その後も真犯人の見つからない「三億円事件の容疑者」としての偏見と事件に関するコメントを求めるマスコミ関係者に悩まされ職を転々とし、2008年9月に自殺した[9]

[編集] 日野市三兄弟

日野市の電気工事会社を経営する三兄弟。事件当時は上から31歳・29歳・26歳。大きなガレージ風の物置がありバイクの偽装のための塗装がしやすいこと、次男がバイクマニアの不良グループに属していたこと、看板店の営業経験があり塗装技術があること、事件前に発炎筒がつけられた車の購入していたこと、兄弟の一人が事件前にハンチングを被っていたことが怪しいとされた。しかし、車の発炎筒やハンチングが事件のものと異なること、事件の4日後にお金を借りていたことなどが判明。その後、警察は日野市三兄弟を捜査するが、事件と結びつかなかった。

[編集] 不動産会社社員

不動産会社社員。事件当時は32歳男性。事件前に金に困っていたが事件後に金回りがよくなったこと、東芝府中に勤務経験があること、姉が東芝府中に12年勤務していること、自動車の運転が巧みなこと、モンタージュ写真の男と酷似していることが怪しいとされた。しかし、事件当日に杉並区から横浜に車で行く途中で非常検問にひっかかったことからアリバイが出てきたこと、金回りの変化については不動産売買で1600万円を入手したことが明らかになったことから容疑者候補から外れていった。

[編集] 会社役員

以下P。三億円事件から13年前の1955年に銀行員1人を仲間にしたり仲間の1人が私服刑事を装うなどして、千代田区にある銀行の現金輸送車を襲う計画を仲間3人と実行。この事件ではすぐに逮捕されたものの計画性や発想が三億円事件と類似するものであった。Pは出所後に刑務所の中で知り合った友人に「今度は1年がかりで大きなことをやる」と豪語、三億円事件発生後に土地や住宅や外車を購入して金回りがよくなったため、容疑者として浮上。しかし、金回りに関しては、不動産会社から合法的な資金提供を受けたことが判明した。

[編集] 自称三億円事件犯人

時効成立後、自称三億円事件犯人を名乗る人物が何人か登場している。

なお、当時の担当刑事によると事件の際に発炎筒が通常通り点火しなかったが、犯人は通常とは異なる手法で発炎筒を点火させていることが遺留品から判明している。またジュラルミンケースには現金・ボーナス袋のほかにある「モノ」が入っていたという。発炎筒の特殊な点火手法やジュラルミンケースにある「モノ」は一般発表されておらず、関係者と犯人しか知らない。

しかし、自称三億円事件犯人は発炎筒点火の詳細やトランクケースの「モノ」を正確に答えられないことから偽者と見破られている。自称三億円事件犯人の目的として「本を売って稼ぎたい」「世間から注目されたい」「詐欺のためのハクづけ」の3種類に分類される。

[編集] 事件を扱った作品

[編集] 小説

[編集] 映画

[編集] テレビドラマ

[編集] 音楽

  • 府中捕物控』 ALFIE(現THE ALFEE)- レコード会社側の自主規制により未発売。アルフィーのその後を決定付けることとなる。後に作曲者の山本正之が一部異なる歌詞でセルフカヴァーした曲を発売。アルフィー自身、滅多に披露しない。ライブでは1994年の夏のイベント、テレビでは1999年1月22日の「FUN」での披露が最後である。
  • 『三億円事件の唄』 高田渡
  • 『頭脳警察1』 頭脳警察 - ジャケットに犯人のモンタージュ写真を使用。発売当時、歌詞の過激さも相まって発禁処分となった。
  • 『時効』 般若 - この楽曲が収録されているアルバム『内部告発』のジャケットは犯人のモンタージュ写真に般若自身の顔をコラージュしたデザインとなっている。

[編集] パロディ

児童書
漫画
  • サザエさん長谷川町子 - ノリスケが担当している作家が盗まれた原稿の内容と似ている、泥棒が入った家で三億円を発見する、マスオがつまみのイカリングでつくった数字を見て、サザエが何を考えていたか見抜くなど。当時の新聞掲載の多くの漫画でネタにされた。
  • こちら葛飾区亀有公園前派出所秋本治 - 12巻「ボーナスはまだか!?の巻」(1978年)。その他、7巻「ポラロイド!?の巻」(1978年)にもこの事件の犯人を匂わせる記述の人物がいる。
  • 1・2のアッホ!!コンタロウ -1巻「よみがえる日の巻」 記憶喪失になった三億円事件の犯人が、時効当日に再現ドラマ撮影で用意していた三億円を全く同じように強奪。時効で難事件から解放されるとホッとしていた三億円事件担当の刑事たちが、再び第二の三億円事件を捜査させられると知り錯乱するギャグ。他に2巻「ああ!スシ初体験の巻」で(はやく銀行に預けよう 盗まれないうちに…)と独白しつつ「三億円在中」と書いたトランクを持って白バイに乗る犯人が1カット出てくる。
  • サイボーグ009対三億円犯人』 - 001が超能力で犯人を探し出し、009が犯人の自宅に乗り込んで「その(頭脳の)力をもっといいことに使え!」と犯人にお説教する。
  • スケバン刑事和田慎二 - 麻宮サキが最初に担当したのが、この事件と同日に別の場所で起きていた一億円強奪事件。時効も同日だったが、寸前で解決した。
  • 夕焼けの歌西岸良平 - 7巻「時効」、主人公が夢をかなえるために三億円を盗み海岸近くの松林に隠す。翌日、事件の大きさに驚き使用に踏み切れず、時効後も三億円を隠したまま平凡な生活を送る。
  • 金田一少年の事件簿』 原作:金成陽三郎、漫画:さとうふみや - 「FILE 12 蝋人形城殺人事件」、蝋人形城殺人事件の犯人の恋人が三億円事件の首謀犯となっており、金目当てでその恋人を殺害した仲間達に犯人が復讐する(テレビドラマ化、アニメ化の際には、四億円事件に変更されている)。(1995年
  • アンラッキーヤングメン』 脚本:大塚英志、作画:藤原カムイ - 三億円事件の首謀者を主人公にした漫画。1968年、4人を射殺している連続射殺魔のN学生運動から逃げ出して大学を中退した映画監督志望のT、薬学部の学生で革命に情熱を燃やしつつも原爆病に侵されつつあるヨーコ、警察官の息子でゲイボーイの薫らが、Tの書いた映画脚本を現実の犯罪に仕立て上げる。
  • 東京事件大塚英志+菅野博士 - 光クラブ事件の山崎晃嗣が、約3千6百万円の債務の返済のために、昭和23年から昭和43年にタイムスリップして三億円事件を犯行。そのままの紙幣では昭和23年では使えないため、かつての友人であった三島由紀夫にダイヤモンドへの換金を依頼する。
映画
テレビドラマ
  • 時効警察』(テレビ朝日、2006年) - 第7話「主婦が裸足になる理由をみんなで考えよう!」に三億円事件をパロディ化した平成三億円事件が登場する
  • 水10!』-この子誰の子(フジテレビ、2006年) - 直接三億円事件という言葉は出ていないが、「三億円事件」を連想させる台詞が登場する
  • ゴスペラーズのビデオ・DVD『さかあがり』中に、彼らの歴史を特集した報道特別番組『20世紀日本』内でライブを収録したテープが盗まれる描写があるが、その時の手口が三億円事件のパロディ。

[編集] 事件のモデルになったと言われた作品

  • 『血まみれの野獣』 大藪春彦 - 犯人が「東京競馬場」に爆弾を仕掛け、擬装パトロールカーで「売上金を積んだ現金輸送車」を襲う物語。三億円事件の犯人がこの小説から着想を得ていた、という報道もあった。また大薮も重要参考人として意見聴取を受ける。

[編集] 関連文献(書籍)

[編集] 脚注

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  1. ^ 青のヤマハ・スポーツ350R1(2ストローク2気筒エンジン)を塗装したもの。なお、当時の白バイは、ホンダ・ドリームCP77(CB77の派生車種、4ストローク2気筒エンジン)やホンダ・ドリームCB350(4ストローク2気筒エンジン)などホンダ製が主でヤマハ製は存在しなかった。
  2. ^ 学研ジュニアチャンピオンコース『あの事件を追え』内「三億円強奪事件」の節より
  3. ^ 三億円事件以前の最高額現金強奪事件は1965年9月に発生した青森銀行弘前支店3100万円強奪事件。
  4. ^ 現在の現金強奪事件の最高額は1994年8月に発生した福徳銀行5億円強奪事件の5億4000万円。
  5. ^ 額田巌 『結び目の謎』 中央公論新社〈中公新書〉、1980年、152頁。
  6. ^ 2006年12月17日放送たかじんのそこまで言って委員会での発言
  7. ^ 「世界!仰天ニュース」より
  8. ^ 日本弁護士連合会「3億円事件別件逮捕に対する声明」(1969年12月20日)
  9. ^ 週刊新潮2008年12月18日号「「3億円事件」で誤認逮捕「モンタージュ写真の男」は今年9月に自殺した!」

[編集] 外部リンク

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