三井高陽

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三井 高陽
生誕 1900年7月10日
日本の旗 日本 東京府
死没 1983年5月19日
国籍 日本の旗 日本
出身校 慶應義塾大学
職業 男爵三井十一家南家十代目
三井高徳

三井 高陽(みつい たかはる、1900年明治33年)7月10日 - 1983年昭和58年)5月19日)は、日本華族男爵)で三井財閥の創業者一族・三井十一家の南家十代目。

来歴[編集]

1900年明治33年)、三井南家九代当主である三井高徳(寿太郎)の跡継ぎとして東京府に生まれる。

1922年大正11年)、慶應義塾大学理財科・慶應義塾大学院を修了した後、三井鉱山に入社。ドイツに留学し、経済史、交通史などを修得して帰国した。慶應義塾や逓信省の付属研究所で講師をつとめた後、三井物産三井鉱山の取締役、三井船舶の初代社長などを歴任した。

家族[編集]

妻は一条実孝の娘、正子。

文化活動[編集]

著作[編集]

網の目のように張りめぐらされた人工の運河や大河がインフラとしてヨーロッパ経済・文化の興隆をもたらした点について考察している。

  • 交通物語(丁未出版社、1932)
  • 世界交通史話(同文館出版部、1941)
  • 日本交通文化史(地人書館、1942)
  • 交通の発達(東亜書院、1944)
  • ドイツ文化史―交通史からの展望(日独協会、1958)
  • 美しき国オーストリア(日墺協会、1972)

邸宅[編集]

昭和初期に建てられた高陽の邸宅(文京区目白台)は、留学経験のある大企業家・華族の嗜好が反映されたスパニッシュ風の建築物であり、学術的にも高い評価を受けていた。第二次世界大戦後には、極東国際軍事裁判(東京裁判)における首席検事、ジョセフ・キーナンの宿舎として使われ、その後は講談社第一別館となっていた。2006年平成18年)、耐震性増強工事のコストが新築コストよりも高いと判断され、解体された。

また、東京都千代田区九段南にあるイタリア文化会館の土地は、高陽が第二次世界大戦前にイタリア政府に寄贈したものである。同会館は戦時中に完成・開館したが、東京大空襲によって一部が破壊された。

脚注・出典[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]