万国著作権条約

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万国著作権条約
署名 1952年9月6日(ジュネーブ
効力発生 1955年9月16日
寄託者 国際連合教育科学文化機関事務局長
条約番号 昭和31年条約第1号
(日本について効力発生:1956年4月28日)
言語 英語、フランス語、スペイン語
主な内容 著作権の保護
関連条約 ベルヌ条約TRIPs協定WIPO著作権条約
条文リンク 1 (PDF) 2 (PDF) - 外務省
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千九百七十一年七月二十四日にパリで改正された万国著作権条約
通称・略称 一九七一年にパリで改正された万国著作権条約
署名 1971年7月24日(パリ
効力発生 1974年7月10日
寄託者 国際連合教育科学文化機関事務局長
条約番号 昭和52年条約第5号
(日本について効力発生:1977年10月21日[1]
言語 英語、フランス語、スペイン語
主な内容 万国著作権条約について開発途上国のために著作物の利用の簡易化を図るための特例措置
条文リンク 1 (PDF) 2 (PDF) - 外務省
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万国著作権条約(ばんこくちょさくけんじょうやく、: Universal Copyright Convention : UCC)は、1952年9月6日にジュネーヴで作成された、著作権の保護に関する国際条約である。国際連合教育科学文化機関(UNESCO)が管理している。

1955年9月16日に発効し、日本は1956年に本条約を批准した。日本における公布時の名称は「千九百五十二年九月六日にジュネーヴで署名された万国著作権条約」である。

1971年7月24日にパリで改正された。この改正は、ベルヌ条約の改正と同時に行われたもので、開発途上国に対する援助に関する規定を設けたものである[2]。この改正条約は1974年7月10日に発効しており、これが最新のものとなっている[3]。日本は1977年に本改正条約を受諾しており[4]、本改正条約の日本における公布時の名称は「千九百七十一年七月二十四日にパリで改正された万国著作権条約」である。

著作権の保護に関する主な条約には、他にベルヌ条約TRIPs協定WIPO著作権条約がある。なお、このうちTRIPs協定は著作権の保護のみについての条約ではなく、知的財産権全般の保護や執行に関する条約である。

歴史と背景[編集]

万国著作権条約は、国内法との関係等のためにベルヌ条約を締結することが困難であった諸国のために、ベルヌ条約を補完するものとしてUNESCOにより提唱された。

この条約提唱の発端には、次のような理由がある。まず開発途上国や、ソビエト連邦(当時)は、ベルヌ条約によって当時で言う西側先進国に与えられる著作権保護があまりにも強力であるとみた。

また、アメリカ合衆国およびラテンアメリカ諸国は、方式主義を採っており、©マーク等の必要事項を記載した上で、著作権は登録申請しなければ保護されなかった。これに対して、ベルヌ条約は、登録等を行わなくても公表した時点で著作権が効力を持つこととなる無方式主義を採用しており、方式主義国は自国の法制に整合しないため、ベルヌ条約を締結しなかった。特に、アメリカ合衆国およびラテンアメリカ諸国のうちいくつかは、1886年作成のベルヌ条約を締結するより前に、1910年作成のパン・アメリカン著作権条約(Pan-American copyright convention)を締結するとともに、主にアメリカと各国間で個別に著作権保護協定を締結していたが、これらの条約で規定された著作権保護の内容はベルヌ条約よりも弱いものであった。

ベルヌ条約の締結国諸国はほとんど全て、万国著作権条約を締結した。このように両条約を締結した国の国民の著作物については、ベルヌ条約を締結せず万国著作権条約のみを締結する国においても、万国著作権条約による保護が与えられる。

制定後[編集]

ベルヌ条約加盟国は、その加盟国が条約を脱退し、代わりに万国著作権条約を採用することを憂慮していた。そこで、万国著作権条約には、ベルヌ条約と万国著作権条約の両条約を締結する国が1951年以降にベルヌ条約から脱退した場合には、その国民の著作物には万国著作権条約による保護も与えられないこと、両条約を締結する国の間では万国著作権条約は適用されない(つまり、ベルヌ条約が適用される)ことが、第17条に関する附属宣言として定められている。

その後、1989年に米国がベルヌ条約を締結する等、万国著作権条約の締結国にもベルヌ条約締結の動きが広がった。さらに、1994年に作成されたWTO協定の附属書である知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPs協定)ではベルヌ条約の遵守が規定されており、世界のほぼ全ての国が世界貿易機関(WTO)の加盟国であるか加盟申請中であるという状況の下で、万国著作権条約の重要性は低下している。

アメリカ合衆国における事情[編集]

無方式主義などの点で他国と異なる著作権制度を採っていたアメリカ合衆国がベルヌ条約を締結するためには、国内法および各国との二国間協定を大幅に変更しなければならず、合衆国連邦政府にとって締結は困難であった。方式主義などの著作権保護体系を採用する万国著作権条約は、このようなアメリカ合衆国などの国家とベルヌ条約加盟国との橋渡し的役割を果たすこととなった。

その後、アメリカ合衆国はベルヌ条約締結のための国内法の整備を行い、1988年にベルヌ条約に加入した[5]

日本における事情[編集]

日本においては1956年に本条約を批准するにあたり、「万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律」(昭和三一年法律第八六号)が制定された。

脚注[編集]

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参考文献[編集]

  • 文化庁編著『著作権法入門(平成17年版)』 社団法人著作権情報センター、2005 ISBN 4-88526-048-5
  • 半田正夫『著作権法概説(第12版)』 法学書院、2005 ISBN 4-587-03446-0
  • 斉藤博『著作権法(第2版)』 有斐閣、2004 ISBN 4-641-14339-0

関連項目[編集]

外部リンク[編集]