七州城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
logo
七州城
愛知県
復興隅櫓
復興隅櫓
別名 挙母城
城郭構造 平山城
築城主 内藤政苗
築城年 天明元年(1782年
主な城主 内藤氏
廃城年 明治4年(1871年
遺構 石垣
指定文化財 市指定史跡[1]
位置 北緯35度4分49.33秒
東経137度9分2.48秒

七州城(しちしゅうじょう)は1782年、現在の愛知県豊田市小坂本町付近にあったである。挙母藩の藩庁が置かれた。通称は挙母城(ころもじょう)。

概要[編集]

挙母には、鎌倉時代1309年中條景長によって金谷城が築かれたが、戦国時代に今川氏、後に織田氏に攻略され、江戸時代初期である1604年に三宅康貞が1万石で入封した。康貞は城の破損が著しいことから、金谷城から1キロメートルほど北に陣屋を構え、桜の木を植えたことから俗に桜城といった。寛延2年(1749年)、内藤氏が城の改修を計画し着手したが、矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため、桜城から高さ65メートルほどの丘である童子山に移し、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「遠江国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから、「七州城」といった。

明治以降は学校敷地となり、一部が豊田市立童子山小学校(移転)や愛知県立豊田東高等学校(移転)として利用され、現在は豊田市美術館の敷地と城跡公園として整備されている。

遺構としては、豊田市美術館敷地内に櫓台の石垣が残り、1977年に隅櫓が復興されている[2]。隅櫓に隣接する書院は「又日亭」(ゆうじつてい)といい、明治まで寺部城の城内にあった書院である。明治年間に千足町の竜寿院に移築され、その後解体される予定であったが、1977年、隅櫓再建とともに、豊田市によって現在地に移築された[3]。また、挙母祭りの山車蔵に、城の建物の解体部材を転用したものがある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]