一条さゆり
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一条さゆり(初代)(いちじょうさゆり、本名・池田和子、1937年1月29日-1997年8月3日)は日本のストリッパー、ポルノ女優。1960~70年代にかけて一世を風靡した。埼玉県川口市出身説が有力である(自称では新潟県柏崎市出身としている)。享年60。
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[編集] 経歴
6歳で両親に死別、五反田の施設で育つ。中学卒業後、ホステスなど様々な職業を経て、ストリッパーの道に進む。
国際劇場(横浜市)でデビュー後、東京、名古屋、大阪などで活動。芸名は赤羽マリ、リオ椿から一条さゆりに改名。その半生をつづった駒田信二の実録小説『一条さゆりの性』で人気に火がつき、多くの”さゆりスト”を生んだ。1967年~1973年(引退翌年)まで11PM(よみうりテレビ制作・通称大阪イレブン)のレギュラーを務めたことにより人気が加速する。 また、新左翼やウーマンリブ等の活動家から”反権力の象徴”と祭り上げられ、1973年には本人出演で、その半生を描いた映画『一条さゆり 濡れた欲情』も作られた。
SM的な演出と「特出し」など観客を喜ばせることに徹した芸により1972年(昭和47年)に引退するまで9回公然猥褻罪で検挙されている。その引退興行にて大阪府警に猥褻物陳列罪で逮捕されるも、「ストリップは大衆娯楽、猥褻にはあたらない」として最高裁まで争った。その結果懲役1ヶ月が確定。和歌山刑務所へ収監される。
出所後はスナックを経営していたが、交通事故にあって倒産。1988年(昭和63年)7月には放火により全身やけどを負った。
晩年は労働者の街、大阪・西成の釜ヶ崎(あいりん地区)で暮らした。その生活ぶりは近所の飲食店での数時間の労働で僅かな日銭で生計をたて、釜ヶ崎解放会館の三畳間で寝泊りをするという非常に寂しいものだったという。 1997年(平成9年)8月3日肝硬変の悪化で60歳で亡くなる。
加藤詩子著「一条さゆりの真実―虚実のはざまを生きた女」によると、これまで公にされている経歴には誤りが多くあることが述べられている。
新潟県柏崎市出身→埼玉県川口市出身 6歳で両親に死別、五反田の施設で育つ。→幼い頃に実母を亡くし、父親と後妻である継母に育てられるも、あまり家庭的に恵まれず育ち10代半ばで家出。
その他、この著書には、公では知られていない彼女の壮絶な一生が書かれている。
[編集] 出演映画
[編集] 著作
- 食べさてあげたい人(つげ義春全集8、筑摩書房、ISBN 9784480701688 )

