ヴラトコ・イリエフスキ

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ヴラトコ・イリエフスキ
Влатко Илиевски
基本情報
出生名 ヴラトコ・イリエフスキ
生誕 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビアマケドニア社会主義共和国スコピエ(現マケドニア共和国
(1985-07-01) 1985年7月1日
出身地 北マケドニア共和国の旗 北マケドニア
死没 北マケドニア共和国の旗 北マケドニアスコピエ
(2018-07-06) 2018年7月6日(33歳没)
ジャンル ロック
職業 歌手
活動期間 2001年 - 2018年
共同作業者 モラル、タマラ・トデフスカ

ヴラトコ・イリエフスキマケドニア語:Влатко Илиевски / Vlatko Ilievski1985年7月1日 - 2018年7月6日)は、マケドニア共和国ロック歌手であり、2011年5月にドイツデュッセルドルフで開催されるユーロビジョン・ソング・コンテスト2011マケドニア共和国代表である。これ以前に、2005年大会では同国代表のマルティン・ヴチッチのバック・ヴォーカルを務め、またユーロビジョン・ソング・コンテスト2010では同国代表を選ぶ国内大会でジョコ・タネスキに敗れて次点となっている[1]。以前はモラル(Морал)というロック・バンドに属していた[2]。スコピエの演劇芸術専門学校で演劇を学び、2010年に演劇「怒り」を演じ、卒業した。

来歴[編集]

出自[編集]

1985年にスコピエにて生まれた。12歳からギターを始め、地元のバンドで歌手を務めるようになった。2000年にはバンド「メイド・イン・マケドニア」の一員としてマケドニア・ロック・フェストに出場し、2つの賞を受賞している。

バンド「モラル」[編集]

2000年、マケドニアのロック・バンド、モラルの誘いを受けてバンドに加入した。2001年に収録を始め、2003年にはアルバム『Koga Patuvam』を発売した。2005年にはディープ・パープルのスコピエでのコンサートに助演として参加している。

ソロ歌手として[編集]

2007年からはソロの歌手としての活動を始めた。代表曲としては、2008年のオフリド・フェスト参加曲「Nebo」や、同年のスコピエ・フェスト参加曲「So drugi zborovi」、マクフェスト2008でのダニ・ディミトロフスカとの共演曲「Ne te možam[2]タマラ・トデフスカとの共演曲「Gušni me」、スコピエ・フェスト2009の「Najbogat na svet」、オフリド・フェスト2009受賞曲でリスト・サマルジエフとの共演曲「Za ljubov se pee do kraj」、ユーロビジョン国内予選であるスコピエ・フェスト2010で2位入賞の「Sreḱa」などが知られる。

2010年6月5日にスコピエボリス・トライコフスキ・スポーツ・アリーナにて初めてソロ・コンサートを行った[3]。コンサートには1万人ほどの観客が集まり、タマラ・トデフスカとのデュエットや、かつて所属したバンドがステージに上がるシーンなどもみられた[4]。地元のバンドシュヴァレリやDZHMSも助演としてコンサートに加わった。DZHMSのリード・ヴォーカルはイヴァン・イヴァノフであり、観客にはその父でこの時のマケドニア大統領ジョルゲ・イヴァノフもいた[5]

2018年7月6日朝、スコピエのマケドニア第3旅団大通りに停車していた車の中で、イリエフスキの遺体が発見された。33歳の誕生日を迎えたばかりの突然の死だった[6]

死因は薬物の過剰摂取であり、体内からコカインを始め複数の薬物およびアルコールが検出された。イリエフスキは生前、周囲には明るく振る舞っていた反面、重い鬱状態に悩まされていたという。[7]

アルバム[編集]

  • So drugi zborovi(2010年)[8]
  • Najbogat na svet

脚注[編集]

  1. ^ Popovski, Aleksandar (2010年2月19日). “Познати имињата на осумте финалисти за Евросонг / Goko Taneski will represent Macedonia in Oslo” (Macedonian). MacFax. http://www.makfax.com.mk/_tools/print/99730/article 2010年6月18日閲覧。 
  2. ^ a b “Влатко Илиевски наскоро во голем тв-проект” (Macedonian). RadioMK. (2008年). http://www.radiomk.com/index.php?categoryid=1&p2_articleid=1120 2010年6月18日閲覧。 
  3. ^ Spasoski, Vasco (2010年5月27日). “Влатко Илиевски: Нeка не ми подуруваат гакички, јас не носам долна” (Macedonian). Svet. http://www.svet.rs/clanak/%D0%B2%D0%BB%D0%B0%D1%82%D0%BA%D0%BE-%D0%B8%D0%BB%D0%B8%D0%B5%D0%B2%D1%81%D0%BA%D0%B8-%D0%BDe%D0%BA%D0%B0-%D0%BD%D0%B5-%D0%BC%D0%B8-%D0%BF%D0%BE%D0%B4%D1%83%D1%80%D1%83%D0%B2%D0%B0%D0%B0%D1%82-%D0%B3%D0%B0%D0%BA%D0%B8%D1%87%D0%BA%D0%B8-%D1%98%D0%B0%D1%81-%D0%BD%D0%B5-%D0%BD%D0%BE%D1%81%D0%B0%D0%BC-%D0%B4%D0%BE%D0%BB%D0%BD%D0%B0 2010年6月18日閲覧。 
  4. ^ Влатко Илиевски ја спаси македонската музика / Vlatko Ilievski saves Macedonian music” (Macedonian). Backstage.com.mk (2010年6月7日). 2010年6月18日閲覧。
  5. ^ “Влатко Илиевски најбогат на свет”. Kirilica. (2010年6月6日). http://www.kirilica.com.mk/vest.asp?id=49841 2010年6月18日閲覧。 
  6. ^ “Vlatko Ilievski unexpectedly passes away, aged just 33” (英語). Escxtra. (2018年7月7日). https://www.escxtra.com/2018/07/07/vlatko-ilievski-passes-away/ 2018年7月8日閲覧。 
  7. ^ Позната причината за смртта на Влатко Илиевски” (Macedonian) (2018年7月20日). 2022年4月16日閲覧。
  8. ^ “„Со други зборови“ првенче на Влатко Илиевски” (Macedonian). RadioMK. http://www.radiomk.com/index.php?categoryid=1&p2_articleid=1312 2010年6月18日閲覧。