ヴォルガスト
| 紋章 | 地図 (郡の位置) |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 連邦州: | メクレンブルク=フォアポンメルン州 |
| 郡: | フォアポンメルン=グライフスヴァルト郡 |
| アムト: | アム・ペーネシュトロム |
| 緯度経度: | 北緯52度03分 東経13度46分 |
| 標高: | 海抜 5 m |
| 面積: | 61.52 km² |
| 人口: |
11,849人(2011年12月31日現在) [1] |
| 人口密度: | 193 人/km² |
| 郵便番号: | 17438 |
| 市外局番: | 03836 |
| ナンバープレート: | VG |
| 自治体コード: | 13 0 75 144 |
| 行政庁舎の住所: | Burgstraße 6 17438 Wolgast |
| 首長: | シュテファン・ヴァイクラー (Stefan Weigler) |
| 郡内の位置 | |
ヴォルガスト(Wolgast)はドイツ連邦共和国の都市。メクレンブルク=フォアポンメルン州のオストフォアポンメルン郡に属する。Peenestrom川に面しており、跳開橋を通して、道路と鉄道で行き来できるウーゼドム島と向かい合っている。
歴史 [編集]
現代ヴォルガストの先駆けは、ヴェンド人の拠点、Hologast砦であった。[2]1123年、Hologastはポメラニア公ヴァルティスラフ1世に明け渡された。[3]1128年、ヴェンド人はバンベルクのオットーに洗礼を施され、オットーは現地の神殿を破壊して、そこに聖ペトリ教会を建てた。まもなく、ドイツの入植者が発展しつつある町に移り住んだ。1282年、ヴァルティスラフ3世により、リューベック法を与えられた。[4]
ヴォルガストは、グライフェン家の支配が終わる1637年まで、1285年からポメラニア公の居住地であり[5]、公国の長年の分裂における、ポメラニア=ヴォルガスト公国の首都であった。居住用の宮殿は、ある島にルネサンス様式で建てられた。それゆえその島は、宮殿島と呼ばれている。[6]フィリップ・ユリウス公が跡継ぎを残さず死んだとき、ポメラニア=ヴォルガスト公爵の系譜は途絶えた。[7]
三十年戦争の間に、スウェーデン王国はヴォルガストを占領し、1815年までスウェーデン領ポメラニアの一部として保持した。大北方戦争のおり、アルトナでのスウェーデンの放火に対する報復として、1713年にロシア・ツァーリ国軍によって町は焼き払われた。[5]1つの教会と4つの礼拝堂、もう4つの建築物だけは火災を免れた。[5]したがって、旧市街の建物は18〜19世紀のものであり、[6]町役場は火災の後、バロック様式で再建された。[5]
1815年のポメラニアからのスウェーデンの撤退後、町はプロイセン王国のポンメルン州に組み入れられた。宮殿の最後の残骸は、1849年に運び出された。[6]ヴォルガストは、穀物取引のための港として19世紀を通じて繁栄した。[5]
1994年6月12日、ヴォルガストは郡役所所在地としての地位を失い、ヴォルガスト郡はオストフォアポンメルン郡と合併した。2011年には、フォアポンメルン=グライフスヴァルト郡の一部となった。
引用 [編集]
- ^ メクレンブルク=フォアポンメルン州統計局 - 郡、アムトおよび市町村の2011年12月31日現在の人口 (XLS)
- ^ Schmidt, Roderich (22009): Das historische Pommern, Cologne, p. 159.
- ^ Schmidt, Roderich (22009): Das historische Pommern, Cologne, pp. 152, 160.
- ^ Schmidt, Roderich (22009): Das historische Pommern, Cologne, pp. 160-161.
- ^ a b c d e Berger (2008), p.361
- ^ a b c Dubilski (2003), p.173
- ^ Wolgast (1995), p.217