ヴェーデル

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ヴェーデル(あるいはヴェデル)はポーランドの有名菓子ブランド。多種の高級チョコレートケーキスナック菓子を製造している。ポーランド国内ではキャンディーのブランドとしても知られ、国内のキャンディー市場におけるシェアは2005年で14%、2007年で11.7%。「ポーランドの国民的ブランド」と認識されている。

2010年6月アメリカクラフト・フーヅがこれを日本ロッテ・グループに売却することが決定した。これは、ヴェーデルを所有していたキャドバリー2010年3月にクラフト・フーヅに買収されたことに伴い、ヨーロッパ委員会(EC)の裁定に従いキャドバリーの事業再編が行われるため。

エミール・ヴェーデルの家の前の案内板

歴史[編集]

ワルシャワのヴェーデル本店
ヴェーデル本店のオープンカフェ
ワルシャワのヴェーデル本店の内部
ワルシャワのインターコンチネンタルホテルに出店しているヴェーデルのホットチョコレートカフェショコラティエ
プラガ地区のヴェーデル第2工場(ワルシャワ、1934年操業開始)
ギリシャ風(新古典様式)の建物は工場の直売所
プラガ工場のチョコレート直売所「グロホフスカ通りの城門」(Rogatki Grochowskie)南館
かつてはここにあったワルシャワ広域市の巨大な城門の一部で、守衛駐屯所だった(1823年築)
この駐屯所は道を挟んで北館(ザモイスキ通り55番)と南館(ザモイスキ通り36番)の2つあり、ヴェーデル直売所は南館(北館にはブライダルサロン「Maggio Lamatti」が入っている)
グロホフスカ通りの城門は当時ワルシャワとモスクワをつないでいた国際街道(グロホフスカ通り)の基点であり、俗に「モスクワ門」とも呼ばれた
路面電車(トラム)番号3,6,8,21,26で停留所「ルベルスカ」(Lubelska)下車すぐ
ビャウィストク市内の路地裏にある隠れ家的なヴェーデル・チョコレート・カフェ(Pijalnia Czekolady、英語:Chocolate Fountain)

創業期[編集]

1851年ドイツ人移民1世のカロル・エルネスト・ヴェーデル(ドイツ語:カール・エルネスト・ヴェーデル)(1813-1902)によってワルシャワで創業。当時の本店および工場は「ミォドーヴァ(はちみつ)通り」にあった。ヴェーデルとその製品は中央ヨーロッパ東ヨーロッパのほとんどの地域で定着した。ヴェーデルのロゴはカロル・ヴェーデルのサイン。カロルの息子エミール・アルベルト・フリデリック・ヴェーデル(1841-1919)は西ヨーロッパキャンディーチョコレートの製造を修行し、化学博士号を取得したのちポーランドに戻り父の事業を受け継ぐ。カロルは息子エミールの名前を社名(E.Wedel)にしていた。(このような社名のつけ方の例はポーランドではほかに「クルフカ生キャラメルの「L. ポモルスキ少佐と彼の息子のキャンディ社」にもみられる。)

ポーランドのウィリー・ウォンカ[編集]

ヤン・ヴェーデル[編集]

戦前のヴェーデルの最後のオーナーとなるヤン・ヴェーデル(-1960)は「ポーランドのウィリー・ウォンカ(『チャーリーとチョコレート工場』に出てくるチョコレート工場主で、映画版ではジョニー・デップが演じた)」と呼ばれる。1894年、本社工場が現在も本店があるワルシャワの「シュピタルナ(病院)通り」に移転。1934年世界恐慌のなかヤンはプラガ地区で当時のポーランドの最新設備を備えた第2工場の稼動開始。ヴェーデル社は福利厚生の高い充実度でも知られていた。自前のデイケアセンター保育所幼稚園病院社員食堂といった施設をヨーロッパで初めて整備した企業の一つであり、優秀な従業員には金利ゼロの住宅ローンが褒賞として提供された。こういった福利厚生モデルはポーランド社会党から賞賛された。このようにヴェーデルは第二次世界大戦以前のポーランドにおける成功した民間企業の一つで、ロンドンパリにも支店を構えていた。

反独闘争の闘士として[編集]

「ポーランドのウィリー・ウォンカ」ことヤン・ヴェーデルは戦争については自分の考えがあった。ヴェーデル社の工場は1944年までは稼動していた。占領者のナチス・ドイツヘルベルト・バッケの発案でワルシャワ市民に対する飢餓政策を採った際、ヴェーデルは市民のためにパンなどの基本的な食料を秘密生産した。当時はポーランド人が食料を秘密生産していることが見つかればその場で射殺されるという残酷な占領政策がとられていたが、ドイツ人の先祖を持つポーランド人のヤンはドイツ人たちから勝手に「ドイツ人」扱いされていたので、このことを逆手にとったのである。占領者だったドイツ軍からの食料拠出命令には経営者と従業員が一丸となってサボタージュ戦術で対抗、またポーランド人地下教育活動の拠点として市民に自社を提供した。 血筋からいえば本人はドイツ系であるにもかかわらず、ヤンはナチス・ドイツへは協力せず、「自分はポーランド人である」と言い、ドイツ民族登録リストであるフォルクスリステへの署名を拒否し続けた。そのためナチスはヤンとヴェーデル従業員たちを迫害した。戦争はポーランドとヴェーデル社を破壊した。ワルシャワ蜂起の後、ワルシャワの建物はことごとく破壊された。

共産主義者による国営化[編集]

戦争が終わるとヴェーデルは自社工場を再建したが、共産主義者の政府がこれらを接収した。ヤンは経営権を奪われた。1944年7月22日に共産主義勢力がポーランドの独立を宣言すると、ヴェーデルの本社工場は「7月22日工場」と改名された。しかし共産主義者たちはヴェーデルのブランド名とロゴを使用し続けることにした。共産主義者たちは10年間はロゴなしでやってみたものの、ロゴがあったほうが輸出の際に有利であることに気づいた。しかも「シュピタルナ通り」のヴェーデル本店の建物はワルシャワ市民の手によって元通りの姿に正確に再建されていた。製品は世界30カ国に輸出され、「ヴェーデル」のブランドは再び各国で定着し貴重な外貨を稼いだ。ヤン・ヴェーデルは1960年に死去した。

再び民間企業として[編集]

1989年共産主義体制が終了すると、ヴェーデルは民営化した。しかし共産主義時代を経てヴェーデル一族をはじめとした戦前の株主たちやその子孫は、ヴェーデルの経営に関するノウハウや独自の人材を失っていたので、彼らだけではヴェーデルの経営を行うことが難しくなっていた。そこで、1991年アメリカの食品コングロマリットであるペプシコ社が5000万-6000万ドルでヴェーデル株式の過半を買収し、同年11月26日にヴェーデル社はワルシャワ証券取引所に株式上場を果たした。ヴェーデルの売り上げ1995年に2億ドルを突破した。製品の10%は輸出された。当時の主な輸出先はイギリス、アメリカ、カナダであった。1997年にはペプシコ社がヴェーデル社の発行株の全てを取得し、ヴェーデル社はワルシャワ証券取引所から退いた。ワルシャワの事業部の従業員数は1998年には1100人となった。

キャドバリー=ヴェーデル・ポルスカ[編集]

キャドバリー・シュウェップス社(のちのキャドバリー社)がポーランドに投資を始めたのは1993年にさかのぼる。同社は下シロンスク県ビェラニー・ヴロツワフスキェに自社のチョコレート工場を作り自社製品を生産していた。

1999年、キャドバリー・シュウェップスはヴェーデルとその工場をペプシコ社から譲渡された。買収金額は7650万ドル。ワルシャワのプラガ地区にあるヴェーデル社のプラガ工場は2007年に最新式に改装された。これにより新しい研究所やオフィスと、ヴェーデルの売れ筋である「鳥のミルク」(Ptasie mleczko、マシュマロをチョコレートでコーティングした菓子)の新しい製造ラインが完成した。2007年、キャドバリー=ヴェーデル・ポルスカ社はヴァウブジフ広域経済特区に属するオポーレ県の街スカルビミェシュに1億ポンドチューインガム工場を建設した。この工場は現在、トライデント、スティモロール、V6、ハリウッドといったチューインガムを生産している。同社は次にこのチューインガム工場に隣接する60エーカー(0.24平方キロ)の土地の使用権を取得、2009年よりチョコレート工場として整備している。現在イギリスブリストル近郊の街ケイシャムにあるキャドバリーのサマーデール工場で生産されていた製品は同工場の閉鎖に伴い2011年よりスカルビミェシュ工場に移管して生産することになっている。2008年にキャドバリーはポーランド情報外国投資庁(PAIiIZ)より「ポーランドにおける最も重要な投資家」の栄誉を与えられている。

ここ数年ヴェーデルは事業拡大を続け、2004年からは戦前の伝統に基づいたチョコレートショップ(ショコラティエ)を次々に開店している。

ロッテによる買収[編集]

2010年3月クラフト・フーヅキャドバリー(2008年にキャドバリー・シュウェップスからシュウェップスを分離)を買収した。ヨーロッパ連合(EU)の政策執行機関であるヨーロッパ委員会(EC)は、クラフトとキャドバリー=ヴェーデルのポーランドの菓子市場におけるシェアがあまりに大きくなることからこの買収にはヴェーデルの事業をどこか他の資本に譲渡することが必要であると裁定した。この裁定に従い、ヴェーデルは日本ロッテ・グループに譲渡されることが2010年6月に決まった。ロッテは世界第3位のチューインガムメーカーでアジア市場では巨大な存在であるにもかかわらず、これはロッテによるヨーロッパへの最初の投資となる。(クラフト・フーヅはスカルビミェシュ工場とその他2箇所のポーランド工場で生産されるキャドバリーの「キャドバリー」や「ホールズ」などといった製品の権利は保持することになり、また2011年初頭にはイギリスにあった「キャドバリー」ブランド製品の生産体制をすべて閉鎖してこれらをポーランドに移転した)。親日で知られるポーランドでは、各メディアが「日本人がヴェーデルを買ってくれた」など、このニュースを驚きと好意を持って詳しく報道している[1][2][3][4]

2010年9月15日、ロッテホールディングスの佃孝之社長はワルシャワで記者会見し、同社がヴェーデルの全株式を取得したことを発表。同社は、菓子ブランドとしてはポーランドおよび中・東欧地域で最高のステイタスを誇るヴェーデルを、ロッテグループによる本格的なヨーロッパ進出戦略の中核事業として位置づける方針。[5]

主な人気商品[編集]

  • 鳥のミルク(「プターシェ・ムレチュコ」Ptasie Mleczko) - チョコレートコーティングされたマシュマロ
  • Delicje(「デリツィエ」、「小さいケーキ(英語のDainty)」の意味) - ジャッファ・ケーキのブランド
  • Mieszanka Wedlowska(「ミェシャンカ・ヴェドロフカ」、「ヴェーデルの詰め合わせ」の意味)- チョコレートコーティングされたキャンディーの詰め合わせ
  • Torcik Wedlowski(「トルチック・ヴェドロフスキ」、「ヴェーデルのケーキ」の意味) - チョコレートコーティングされた大きくて丸い形のウェハースで、手作業で模様が描かれる
  • Pawełek(「パヴェウェック」、「パヴェル(男子名、英語のポール)ちゃん」の意味) - 少量のアルコールを混ぜた薫り高いフィリングの入ったチョコレート
  • ホットチョコレート(「ゴロンツァ・チェコラーダ」gorąca czekolada) - 本店その他のショコラティエカフェで味わうことができる濃厚なチョコレートドリンク(チェコラーダ・ピトナczekolada pitna)

外部リンク[編集]