ヴィニー・ヴィンセント

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ヴィニー・ヴィンセント
Vinnie Vincent
基本情報
出生名 Vinnie John Cusano
出生 1952年8月6日(62歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 コネチカット州
ジャンル ハードロックヘヴィメタル
職業 ギタリスト
活動期間 1970年代 -
共同作業者 ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン
キッス

ヴィニー・ヴィンセント(Vinnie Vincent、1952年8月6日-)は、アメリカ合衆国ミュージシャン、ロックギタリスト作曲家ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンのリーダー。アメリカのロックバンド・キッスの2代目リードギタリストとしても知られる。

経歴[編集]

コネチカット州ブリッジポート出身。出生名はVinnie John Cusano。

1970年代からフィリックス・キャバリエのアルバムに参加するなど、地道に活動していた。80年代初頭には“ウォーリアー(WARRIOR)”というロックバンドを結成し、後期はジャーニーに在籍したこともあるロバート・フライシュマンも加入した。

キッスでの活動[編集]

1982年、キッスの初代リードギタリストであるエース・フレーリーが事実上脱退(この頃は公にされていなかった)し、ヴィニーはアルバム『暗黒の神話』のレコーディングメンバーとして起用される。時を同じくしてウォーリアーは解散。
リードギターをプレイするのみならず大半の曲で作曲にも参加、アルバム制作に大きく貢献した。彼のギタリストとしてのアピールの末、根負けしたジーン・シモンズポール・スタンレーは、「エース・フレーリーの様に弾くこと」を条件にヴィニーをツアーメンバーとして起用。あくまでエースの代役だったヴィニーではあるが、古代エジプトアンクをモチーフにしたメイクも施され、「Ankh Warrior(古代エジプトの戦士)」というキャラクターを与えられた。
しかし、プレイスタイルに対する制約に不満を感じたヴィニーは、やがてツアーの中盤でエースの代役を放棄し、超絶な速弾きスタイルのギタープレイを観客に見せつける。これにはジーンが黙っておらず彼を注意するも、ヴィニーは言うことを聞かなかった。事実、LAメタルブームが迫っていた当時、彼のギタープレイは観客から高評価を得た。そして、エースの脱退が正式発表され、ヴィニーはそのまま正式メンバーとなる。

1983年、キッスはヴィニー正式加入後はじめての(結果的に唯一の)アルバム地獄の回想を発表。これを機に、キッスはこれまでのバンドのトレードマークであったメイクを落とし、素顔での活動を開始。本作の大半でもヴィニーの名前がクレジットされている。だが、ツアーでの彼のギター・ソロが長すぎてメンバーから止められたことに反発するなど、目立ちたがり屋で協調性に欠ける性格を嫌ったジーン、ポールから解雇を言い渡される(しかし後任が決まらないことやツアーの関係から、翌年のツアー終了までバンドに同行した)。

ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンでの活動[編集]

キッス脱退後、ヴィニーは旧友ロバート・フライシュマンとヘヴィメタルバンドヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンを結成。 メンバーはヴィニー(リードギター)、ロバート(ボーカル)、ダナ・ストラム(ベース)、ボビー・ロック(ドラム)。
当初のボーカリストはマーク・スローター(後にダナ・ストラムと共にスローターを結成)の予定だったが、マークがヴィニーに送ったオーディションテープに連絡先を書き忘れたため連絡が取れず、仕方なく旧友のロバートを起用した。

1986年にアルバム『ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン(VINNIE VINCENT INVASION)』を発表。
キッス在籍時には思うように披露できなかった超絶な早弾きギタープレイを前面に押し出し、ヴィニーのギタープレイばかりが目立つ内容となっている。デモテープを聴いた所属レコード会社の社長からは、「凄い! まるで侵略(インヴェイジョン)しているようだ」と評され、新人としては好成績を記録した。キッスでもレコーディング候補だった収録曲「バック・オン・ザ・ストリート(BACK ON THE STREETS)」は、後にジョン・ノーラムのアルバム『トータル・コントロール』でカヴァーされた。エース・フレーリーのソロバンドのフレーリーズ・コメットもライヴでカヴァーした。
ツアーの直前にロバートは脱退。後任には本来加入するはずだったマーク・スローターが加入。 収録曲の「ボーイズ・アー・ゴナ・ロック(BOYZ ARE GONNA ROCK)」のPV撮影はロバート脱退後に行われたが、ロバートの音声はそのままで映像はマークという、前代未聞の体制で撮影された。

1988年には、第2作目『オール・システムズ・ゴー(ALL SYSTEMS GO)』を発表。
ギタープレイばかりが目立った前作の反省からバンド全体のサウンドを重視して制作された。収録曲の「ラヴ・キルズ」は、映画『エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター 最後の反撃』のサウンドトラックに使用され、PVではヴィニーがフレディのコスプレをしている。
アルバム発表後はアイアン・メイデンアリス・クーパーの前座も務めたが、ヴィニーのあまりのワンマン振りに、彼を除くメンバーが全員脱退。ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンは消滅した。

なお、2003年に両作品をデジパックに収めた限定版が1,000セット発売された他、同年にリマスタリングされて再発されている。その際に「オール・システムズ・ゴー」の収録曲「ラヴ・キルズ」は一部編集され、インスト曲はカットされている。

その後[編集]

1989年 - 90年に掛けて、かつての同僚ロバート・フライシュマンや他のミュージシャン達と、ソロアルバム『ギターズ・フロム・ヘル(GUITARS FROM HELL)』を制作するが、契約先のエニグマ・レコードが倒産してしまったためにお蔵入りとなる。

更にヴィニーは破産してしまうが、それを見かねたジーン・シモンズは、1991年12月から制作を開始したキッスのニュー・アルバムリヴェンジにヴィニーを招聘。ヴィニーは数曲の作曲に参加し再びクレジットに名を刻んだが、当時のギタリストであるブルース・キューリックがヴィニーを快く思っていなかったこともあり、制作中に再び決裂した。
1996年には、キッス・ファンのイベントである“キッス・エキスポ”に招待され、トリビュートバンドのメンバーとして参加。「古代エジプトの戦士」のメイクを復活させたが、キッス側からクレームがつき、罰金を命じられた(メイクの権利はジーン・シモンズが握っている)。

同時期に、新作アルバム『ギターマゲドン(GUITARMAGEDDON)』の予告編として、シングル『THE EP』を自主制作で発売(後に『ユーフォリア(EUPHORIA)』というタイトルで再発売)したが、結局『ギターマゲドン』の発売は中止に終わる。
他にもウォーリアー時代のデモや、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン時代のデモ、ライヴ、リハーサルなどの音源をまとめたボックスセット『アーカイブス(ARCHIVES)』も企画され、広告も作られたが、これも発売中止となった。いずれも、理由は製作費の不足によるものだったという。

2002年には、リハーサルやセッション、ライヴパフォーマンスを71分の1トラックに収めたアルバム『アーカイブス・ヴォリューム1(ARCHIVES VOLUME 1 SPEEDBALL JAMM)』の発売になんとかこぎ着ける。上記の未発売に終わった作品を強引にひとつにまとめたもので、タイトルには第1弾とあるが続きはない。

2008年、ヴィニーのトリビュート・アルバム『KISS MY ANKH: A Tribute To Vinnie Vincent』が発表された。様々なミュージシャンが、キッス(ヴィニーがソングライティングに関わった曲のみ)やヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンの楽曲をカヴァーした内容である。

2010年、突如自身の使用していたギターのシグネイチャーモデルの公式発売。それと同時に、かつてお蔵入りとなった『ギターズ・フロム・ヘル』と『ギターマゲドン』の発売を示唆しているとアナウンスされたが、これは後にデマと発覚。 ここ10年近く消息不明であったが、2011年5月22日に妻への暴行容疑で逮捕され、久々に公の場に姿を現した。 なお、今後のミュージシャンとしての活動は不透明。

ディスコグラフィ[編集]

キッスのギタリストの変遷[編集]

先代:
エース・フレーリー
キッスのリードギターリスト
1982–1983
次代:
マーク・セント・ジョン