ヴィットーリオ・ムッソリーニ

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ヴィットーリオ・ムッソリーニVittorio Mussolini1916年9月21日ミラノ - 1997年6月12日ローマ)は、ベニート・ムッソリーニラケーレ・グイーディとの間に生まれた二人目の子供。

来歴・人物[編集]

エチオピア戦争では"Testa di leone"としても知られる、第14飛行隊の"Quia sum leo"に弟のブルーノと共に配属された。 1941年には飛行機事故で死亡した弟を継いでイタリアボクシング協会の会長に就任した。

1937年10月20日、ヴィットーリオ・ムッソリーニは、映画産業での提携先を探すためにアメリカ合衆国ハリウッドに行った。ところが、ハリウッドの大手は彼の思惑とは違い、彼を敵対心を持って迎え、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーさえも面会を断ってきた。その頃父ベニートがナチス・ドイツと反ユダヤ主義者とともに、フランシスコ・フランコスペインを援護するための「ローマ=ベルリン枢軸」(10月24日調印、枢軸国の項参照)を設立しようとしていたためだった。

1940年代は「ティート・シルヴィオ・ムルシーノ」(Tito Silvio Mursino) の名前で国策映画脚本家をしていた。

晩年は、妻と一緒にフォルリの「ヴィッラ・カルペーナ」という別荘で過ごした。彼はコマンダンテ(司令官)と呼ばれていた。

1997年6月12日、ローマで死去。80歳没。彼の死後「ヴィッラ・カルペーナ」はムッソリーニ家外の管理下におかれた。

フィルモグラフィ[編集]

プロデューサー
脚本(ティート・シルヴィオ・ムルシーノ名義)

外部リンク[編集]