ヴァンダル王国 (アフリカ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ヴァンダル王国
西ローマ帝国
ヴァンダル族
435年 - 534年 ビザンツ帝国
ヴァンダル王国の位置
公用語 ラテン語
ヴァンダル語英語版
(エリートの間で話されていた。)
首都 カルタゴ
435年 - 477年 ガイセリック
530年 - 534年 ゲリメル
変遷
成立 435年
ビザンツ帝国による征服 534年

ヴァンダル王国は、ゲルマン民族の一派であるヴァンダル族が興した王国ガイセリック王により建国され、北アフリカ地中海435年から534年まで支配した。その後、東ローマ帝国ユスティニアヌス1世により滅ぼされた(ヴァンダル戦争)。

歴史[編集]

ゲイセリックとヴァンダル王国建国[編集]

グンデリクの兄弟ゲイセリック(ガイセリック)は、艦隊の建造を始めた。38歳のゲイセリックが王になった後の429年ジブラルタル海峡を渡り、アフリカ沿岸をカルタゴに向かって東方に移動しはじめた。435年に、ローマ帝国は北アフリカのいくつかの領土を彼らに与えたが、439年、ヴァンダル族は自らカルタゴを占領した。ゲイセリックはここにヴァンダル族とアラン族(一部のサルマタイ人)からなるヴァンダル王国を建国した。この王国は地中海における一大勢力となり、シチリア島サルデニア島コルシカ島バレアレス諸島を征服している。

455年には、ローマを占領し、468年には彼らを征服するために派遣されたバシリスクス率いる東ローマ帝国艦隊を壊滅させた。477年、ゲイセリックが死去するとその息子フネリック英語版が王となった。彼の治世には、ミトラ教カトリック教会への迫害があったことで有名である。フネリックの次の王グンタムント英語版484年-496年)は、カトリックへの迫害を止め、平和的な関係を実現しようとした。

ヴァンダル王国(470年

ヴァンダル王国の衰退[編集]

ゲイセリックの死によって、ヴァンダル王国の対外的な力は衰え出した。グンタムント王は、東ゴート族によってシチリア島の大半を失い、また増大するムーア人の侵入に押されている状況にあった。ヒルデリック英語版王(在位523年-530年)は、先のローマ占領の際に連れてこられた西ローマ帝国の皇女の血を引いていたため最もカトリック教寄りの王であったが、戦争にはほとんど興味がなく、身内のホアメル: Hoamer)に任せていた。ホアメルがムーア人との戦争に敗北すると、王家の一部が反乱を起こし、ゲリメル(在位530年-533年)が王位に就いた。ヒルデリックやホアメルらは牢獄に入れられた。

ヴァンダル王国の滅亡[編集]

かねてよりローマ帝国の復興を企図していた東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世は、西ローマ帝国の血を引くヒルデリック王が倒されたことを口実にヴァンダル王国に対する戦争(ヴァンダル戦争)を開始し、サーサーン朝ペルシャとの戦いで活躍したベリサリウス将軍を派遣した。ヴァンダル王国の艦隊のほとんどがサルデニア島の反乱の鎮圧に赴いていることを知ったベルサリウス将軍は、 迅速に移動してチュニジアに上陸し、カルタゴに入城した。533年晩夏、ゲリメル王はカルタゴの南10マイルの所でベリサリウス将軍と戦った。(アド・デキムムの戦い)ヴァンダル王国軍は敵を包囲しようとしたが、各隊の連携が取れずに失敗し、敗れた。ベルサリウスは、残党と戦う一方で、すばやくカルタゴを占領した。533年12月15日、カルタゴから20マイルほどのトリカマルムで再び両軍は会戦した(トリカマルムの戦い)。そしてまたもやヴァンダル軍は敗れ、戦闘の最中にゲリメルの兄弟ツァツォが捕らえられてしまった。 ベルサリウスはすぐさま、ヴァンダル王国第二の都市ヒッポに軍を進めた。534年、ゲリメルは降伏し、ヴァンダル王国は滅亡した。

宗教問題[編集]

ヴァンダル族のアリウス主義カトリック主義ドナティストたちの混在は、アフリカ国内における絶えざる火種となっていた。 ヒルデリックを除くほとんどのヴァンダル王は、程度の差はあれ、カトリック教徒を迫害した。フネリックの治世の最後の数ヶ月は例外として、カトリック教徒はめったに公に禁止されることはなかったが、ヴァンダル族へ布教することは許されず、その聖職者たちの扱いも良いものではなかった。

歴代君主[編集]

  1. ゲイセリック(439年477年)
  2. フネリック英語版(477年484年)
  3. グンタムント英語版(484年496年)
  4. トラサムント英語版(496年523年) 
  5. ヒルデリック英語版(523年530年) 
  6. ゲリメル(530年534年)