ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ

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リュクサンブール宮殿の庭園に立つヴァランティーヌ・ヴィスコンティ像

ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ(Valentine Visconti, 1366年? - 1408年12月4日)は、オルレアン公ルイ・ド・ヴァロワフランスシャルル6世の弟)の妃。イタリア語ヴァレンティーナ・ヴィスコンティ(Valentina Visconti)。

ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティとその最初の妻イザベル・ド・フランスの娘として、ミラノで生まれた。イザベルはフランス王ジャン2世の娘であり、オルレアン公ルイはヴァランティーヌの母方の従弟であった。

シャルル6世の宮廷で陰謀を企てたとして、王妃イザボー・ド・バヴィエールに疎まれ、サン・ポルから逃げ、パリから離れなければならなかった。

ヴァランティーヌは詩人ウスタシュ・デシャンプのパトロンとなり、詩を捧げられた。自身の長男シャルルも詩人として高名になった。夫ルイがヴァランティーヌと自身の共通の従弟であるブルゴーニュ公ジャンに暗殺された1年後にブロワで死んだ。

シャルルの息子フランス王ルイ12世は、ヴァランティーヌの血筋を根拠にヴィスコンティ家の継承権を主張してイタリア戦争を引き起こした。

子供[編集]

他、4男2女は夭折した。