ワスプ (CV-18)

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USS Wasp(CV-18)
艦歴
起工 1942年3月18日
進水 1943年8月17日
就役 1943年11月24日
1951年9月28日
退役 1947年2月17日
1972年7月1日
除籍 1972年7月1日
その後 1973年にスクラップとして廃棄
性能諸元
排水量 27,100トン
全長 872 ft (266 m)
艦幅 93 ft (28.4 m)
全幅 147.5 ft (45 m)
吃水 28.7 ft (8.8 m)
最大速 32.7 ノット (61 km/h)
乗員 士官、兵員3,448名
兵装 5インチ砲12基,
40 mm機銃40基,
20 mm機銃55基
搭載機 80+
エレベーター 中央2基、舷側1基
カタパルト

ワスプ (USS Wasp, CV-18) は、アメリカ海軍航空母艦エセックス級航空母艦の8番艦。その名を持つ艦としては9隻目。

艦歴[編集]

ワスプは1942年3月18日にオリスカニーの艦名でマサチューセッツ州クインシーベスレヘム・スチール株式会社で起工した。1942年9月15日に沈没したワスプ(USS Wasp, CV-7)を追悼し、1942年11月13日にワスプと改名される。1943年8月17日にマサチューセッツ州選出上院議員デヴィッド・W・ウォルシュの妹ジュリア・M・ウォルシュによって進水され、1943年11月24日に初代艦長クリフトン・スプレイグ大佐の指揮下就役した。

第二次世界大戦[編集]

1943年の終わりまで整調巡航を行い、その後補修のため短期間ボストンに戻る。1944年1月10日にワスプはボストンを出港しバージニア州ハンプトン・ローズに向かう。同月末まで同地に留まり、その後トリニダードへ向かい2月22日に到着する。5日後ボストンに帰還し、太平洋展開の準備を行う。3月初めにワスプは南へ向かい、パナマ運河を通過し3月21日にカリフォルニア州サンディエゴに到着、4月4日に真珠湾に到着した。

ハワイ海域での訓練演習に続いて、ワスプはマーシャル諸島へ向けて出航し、マジュロ環礁マーク・ミッチャー中将指揮下に新たに創設されたアルフレッド・E・モントゴメリー少将率いる第58.6任務群に加わった。5月14日に同任務群に属する姉妹艦のエセックス (USS Essex, CV-9) およびサン・ジャシント (USS San Jacinto, CV-30) と共に、ワスプは南鳥島ウェーク島への攻撃に出航、その目的は新たな任務群に戦闘経験を与えることと、航空機パイロットのための目標選択システムのテストおよび来るべきマリアナ諸島侵攻作戦に向けて敵の抵抗を弱めることであった。部隊は南鳥島に接近すると分離し、サン・ジャシントは北に向かい日本軍の哨戒艇を捜索した。ワスプとエセックスは19日と20日に攻撃を行い、島の建造物を破壊した。アメリカ軍機は激しい対空砲火に晒されたものの、同島の日本軍部隊に大きな損害を与えた。

21日は悪天候のため、航空機の発艦は取りやめられ、2隻の空母は再びサン・ジャシントと合流、ウェーク島へ向かった。24日、3隻の空母から飛び立った航空機部隊は島を攻撃し、ウェーク島の日本軍に大きな損害を与えた。しかしながら、それぞれの機に装備された目標選択システムは海軍が期待した性能を発揮できなかった。その後戦術航空部隊指揮官は、部隊の機に対して攻撃指示を再開することとなった。

ウェーク島への攻撃後、第58.6任務群はマジュロ環礁に帰還し、マリアナ諸島攻撃の準備に入る。6月6日にワスプは同じくモントゴメリー少将が指揮する第58.2任務群に転属となり、サイパン島攻撃に出撃した。11日の午後にワスプと姉妹艦は戦闘機を発艦させ、サイパン島およびテニアン島の日本軍飛行場への攻撃を行わせた。部隊はおよそ30機の迎撃機による攻撃を受けたものの、その大半を撃墜した。激しい対空砲火にも関わらず、アメリカ軍機は地上に駐機する多くの日本軍機を破壊した。

1945年3月18日、ワスプを含む空母12隻を基幹とするマーク・ミッチャー中将率いる第58機動部隊の艦上機約1,400機が、第5艦隊司令長官レイモンド・スプルーアンス大将による指揮のもと日本近海に現れ、九州四国和歌山などの各地域を襲った。これに対して日本軍は、宇垣纏海軍中将率いる第五航空艦隊(指揮下の陸軍飛行戦隊2個に属する四式重爆撃機「飛龍」を含む)が反撃を開始し、九州沖航空戦が始まった。神風特別攻撃隊を含めた日本軍機の攻撃で、空母イントレピッドヨークタウンエンタープライズが小破した。しかしこの日、日本軍は特攻機69機を含む攻撃部隊全193機のうち、約8割である161機を失い、このほか50機が地上で損傷を受けた。さらにアメリカ軍機を迎撃した零式艦上戦闘機も47機の損害を出した。米軍機の損害は29機撃墜、2機損傷にとどまった。

翌3月19日、機動部隊の一部は室戸岬のおよそ80キロ沖にまで接近。艦上機部隊は主に瀬戸内海空襲し、軍港に停泊中の日本の水上艦艇の一部を損傷させた(呉軍港空襲)。これに対し日本軍は、特攻隊を交えた出撃可能な全航空兵力をもって激しく反撃。室戸岬に最も近づいていた空母フランクリンとワスプを大破、エセックスを中破させた。この為、空母フランクリンは米本土に曳航され、終戦まで戦線を離脱し、ワスプとエセックスもしばらく戦線を離脱することとなった。

戦後[編集]

1947年2月17日に退役し、一旦保管船となるが、1951年9月に再就役する。

1952年駆逐艦ホブソンと衝突。ホブソンは沈没し、本艦も損傷した。1956年に、対潜空母CVS-18に変更される。

ワスプは1971年7月2日にクォンセット・ポイントに戻り、続く2ヶ月間をバミューダ海域で行われる演習「Squeeze Play IX」の準備と実施に費やした。8月はフロリダ州メイポートに移る間に東海岸海軍予備役航空部隊と共に訓練を行う。8月26日に母港に帰還し、翌月は母港で過ごした。9月23日に演習「Lantcortex 1-72」に向けて出航し、10月6日に完了した。10月の残りは作戦活動に従事しバミューダ、メイポート、ノーフォークを訪れる。ワスプは11月4日にクォンセット・ポイントに帰還した。

4日後、ワスプはニューポート・ニューズ造船所に向けて出航し、11月22日まで入渠した。その後母港に戻り、年末まで同地に留まり、退役に備えた。

1972年3月1日にワスプの退役と除籍の予定が発表された。退役式典は1972年7月1日に実施された。ワスプは1973年5月21日にニューヨークのユニオン・ミネラルズ・アンド・アロイ社に売却され、その後スクラップとして廃棄された。

ワスプは第二次世界大戦の戦功で8つの従軍星章を受章した。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]