ワシーリ・ミリャ
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Vasile Milea
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| 生年月日 | 1927年1月1日 |
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| 没年月日 | 1989年12月22日(満62歳没) |
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| 内閣 | ダスカレスク内閣 |
| 任期 | 1985年12月16日 - 1989年12月22日 |
| ワシーリ・ミリャ | |
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| 所属組織 | ルーマニア国防軍 |
| 軍歴 | 第39代参謀長 |
| 最終階級 | 上級大将 |
ワシーリ・ミリャ(ルーマニア語: Vasile Milea、1927年1月1日 - 1989年12月22日)は、ルーマニアの政治家、軍人。
国防相を務めた。
概要 [編集]
1989年12月21日、首都ブカレストで発生したルーマニア大統領のニコラエ・チャウシェスクによる独裁を非難するデモに対し、秘密警察(セクリタテア)が群集に向けて発砲する一方で、国防軍は武装兵と戦車等を出動させ集会を解散させた。
ミリャはチャウシェスクから民衆への発砲を命令されたが「国防軍は人民を守るための軍隊であり、人民に発砲はできない」と述べこれを拒否した。翌日、ミリャの死体は発見された。銃弾が動脈を貫き、ほぼ即死状態であった。
国営ルーマニア放送では「国防相が自殺した」と報じられたが、チャウシェスクに処刑されたとの噂が知れ渡り国防軍が大統領から離反する契機になる。ルーマニア共産党本部前の広場で群集と対峙していた国防軍が反体制派となったことでルーマニア革命が事実上勃発した。
2005年の報告書ではミリャが拳銃自殺を図ったとしているが、自殺の原因が明らかにされておらずチャウシェスクによる処刑説を主張するものも多い。