ワシントン・ステカネロ・セルケイラ
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| 名前 | ||||
| 本名 | Washington Stecanela Cerqueira | |||
| 愛称 | ワシ、シトン、ワ級 | |||
| カタカナ | ワシントン・ステカネラ・セルケイラ | |||
| ラテン文字 | WASHINGTON | |||
| 基本情報 | ||||
| 国籍 | ||||
| 生年月日 | 1975年4月1日(36歳) | |||
| 出身地 | リオグランデ・ド・スル州カシアス | |||
| 身長 | 189cm | |||
| 体重 | 88kg | |||
| 選手情報 | ||||
| ポジション | FW (CF) | |||
| 利き足 | 右足 | |||
| 代表歴 | ||||
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ワシントン・ステカネラ・セルケイラ(Washington Stecanela Cerqueira, 1975年4月1日 - )は、ブラジル、リオグランデ・ド・スル州カシアス出身の元同国代表の元サッカー選手(フォワード)。
目次 |
[編集] 経歴
SCインテルナシオナルやグレミオ、トルコのフェネルバフチェSK等の名門クラブに在籍して活躍。フェネルバフチェ在籍時には、UEFAチャンピオンズリーグの予選で当時小野伸二が在籍していたフェイエノールトと対戦した。しかし、クラブは本選には進めなかった。サッカーブラジル代表としても10試合3得点の成績を残しており、2001年に日本で開催されたFIFAコンフェデレーションズカップ2001にも出場した。
フェネルバフチェ入団直後の2002年11月に練習後に胸痛を訴え、虚血性心疾患と診断され、その後2度にわたり経皮的冠動脈形成術を受けた。クラブ側が契約解除するなど一時は選手生命も危ぶまれたが、開胸せずに済んだこともありリハビリを経て復活。2004年に加入したブラジルのアトレチコ・パラナエンセでは、復帰戦でいきなりゴールするなど38試合で34得点を挙げ、ブラジル全国選手権の得点記録を塗り替えて得点王に輝いた。
2005年より東京ヴェルディ1969に加入。リーグ戦で22得点を挙げるもチームは降格、契約非更新により退団し、翌2006年に浦和レッズに加入、26得点を挙げガンバ大阪のマグノ・アウベスと共に得点王に輝き優勝に貢献した。
しかし2007年、浦和の監督に就任したホルガー・オジェックと起用法などで対立し、以下の様な造反行為を繰り返した。
- 自身の交代指令に激昂し、傍らにあった給水用ペットボトルを蹴散らし、ユニフォームを脱いでベンチ方向へ投げつける。
- 同じく交代指令に激昂し、手首のテーピングを怒り任せに剥がしピッチに叩き付ける。
- 休養の指示を無視し練習を行う。(ちなみにこの際は週末に行われた試合の遠征帯同メンバーから外された。)
- PK獲得時に「ロブソン・ポンテに蹴らせろ」という指示を無視して自身でPKを蹴る。
また、Jリーグ在籍3年目を迎えた事によって対戦相手のワシントンに対する研究が進み、マークが厳しくなった影響で前年までの爆発的な得点力を発揮出来なくなっていた。結局、これらがきっかけとなり、AFCチャンピオンズリーグ制覇やFIFAクラブワールドカップでの3位獲得に貢献したものの、クラブは契約更新を行わず、浦和を退団した。
2008年、6年ぶりに母国ブラジルへ帰国しフルミネンセFCに所属。1年目にしてブラジル全国選手権の得点王を獲得。
2009年1月、前年度の活躍が認められ、ブラジル全国選手権3連覇中の王者サンパウロFCへと移籍した。
2011年1月、メディカルチェックでかねてから不安視されていた心臓に問題が見つかったため、現役を引退すると発表した。
[編集] エピソード・人物
- 普段は物静かな人物で「趣味は読書」「外出するのはそれほど好きじゃない」と語る。
- 若い頃から怪我や病気には悩まされ、両足の骨折や糖尿病を発症したこともある。そして心臓は今なお執刀医の検査をしなければならず、2006年の天皇杯を戦う浦和を後にクリスマス休暇で帰国したのも最大の理由は検査のためだった。
- パフォーマンスはユニフォームのエンブレムがついていることが多く、そして心臓のある左胸を叩くもの。心疾患から復帰したアトレチコ・パラナエンセで始めた。
- ヴェルディ時代、交代枠がない中でGKが退場し、急遽GKを務めたことがあり、この試合でPKを蹴ったキッカーの小笠原満男はシュートをポストに当てて外しはしたが、ワシントンはシュートコースを読みきっていた。
- ちなみにこの時本来ならこの試合のサブGKからGK用のユニフォームを借り、着用してプレーするのが普通だが、ワシントンはこの時ユニフォームを借りず、グローブのみを着用してPKに臨んでいた。(その試合で使ったグローブは自身が経営するバーに飾ってある)。
- 2006年と2007年のオフの日は、古巣の東京Vの試合を現地観戦していた。
- 浦和に入団した2006年、一部の浦和サポーターが、ワシントンが心臓病を克服した選手であることから、ワシントンがゴールを決めるごとに日本心臓財団に寄付を行うチャリティー活動を始めた。この活動は賛同者を多く集め、最終的に100万円を超える額が寄付され、日本心臓財団からワシントンに感謝状が送られた。この活動を全く知らなかったワシントンは当初不思議に思ったが、詳細を聞くと涙を流して喜び、サポーターに感謝した。これをきっかけに浦和と日本心臓財団には交流が生まれ、ワシントンが退団した2008年以降も寄付活動やスタジアムでのチャリティーイベントは続いている。
- 2006年に共にJ1リーグ得点王に輝いたマグノ・アウベスとは2001年のFIFAコンフェデレーションズカップで2トップを組んだ仲であり、彼のことを「素晴らしいストライカー」と評している。
- ペナルティキックがあまり得意な選手ではない。2006年11月23日の甲府戦では1試合で2本のPKを立て続けにGKの阿部謙作にセーブされている。その後もキッカーは務めるものの決定率は高いとは言えず、2007年6月20日の神戸戦でも田中達也が得たPKをワシントンが蹴ったが外し、同試合でまたも田中が2度目のPKを得ると今度はポンテがキッカーを務めてしっかり決めたということがあった(2005年のヴェルディ時代には、開幕戦と、負ければJ2降格という重要な試合でもPKを外している)。また、2008年7月2日のリベルタドーレス杯2008決勝第二レグ後のPK戦でも、フルミネンセ4人目のキッカーを務めたワシントンのシュートがキーパーに止められて決着し、初の南米クラブ王者獲得の機会を逃す結果となった。
- 2010年8月1日に行われたアトレチコ・パラナエンセとの試合で浦和レッズにかつて所属したエメルソンと共に出場し、ワシントンが2点、エメルソンが1点を取り、3-1で勝利した。
[編集] 所属クラブ
- 1989年 - 1990年
ブラジリア - 1991年 - 1997年
SERカシアス - 1997年
SCインテルナシオナル - 1997年
グレミオ - 1998年
ポンチ・プレッタ - 1998年
SERカシアス - 1999年 - 2000年
パラナ・クルーベ - 2000年 - 2002年
ポンチ・プレッタ - 2002年 - 2003年
フェネルバフチェSK - 2004年
アトレチコ・パラナエンセ - 2005年
東京ヴェルディ1969 - 2006年 - 2007年
浦和レッドダイヤモンズ - 2008年
フルミネンセFC - 2009年 - 2010年7月
サンパウロFC - 2010年7月 - 2011年1月
フルミネンセFC
[編集] タイトル
[編集] 個人
- 2001年 - コパ・ド・ブラジル 得点王
- 2001年 - サンパウロ州選手権 得点王
- 2004年 - ブラジル全国選手権 得点王
- 2006年 - Jリーグ得点王&ベストイレブン
- 2007年 - FIFAクラブワールドカップ 得点王
- 2008年 - ブラジル全国選手権 得点王
[編集] クラブ
- 浦和レッドダイアモンズ
- AFCチャンピオンズリーグ - 2007年
- Jリーグ ディビジョン1 - 2006年
- 天皇杯 - 2006年
- XEROX SUPER CUP - 2005年、2006年
- フルミネンセFC
- カンピオナート・ブラジレイロ - 2010年
[編集] 代表歴
- ブラジル代表:2001年 - 2002年、10試合3得点
- 2001年 FIFAコンフェデレーションズカップ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 1991 | カシアス | ||||||||||
| 1992 | カシアス | ||||||||||
| 1993 | カシアス | ||||||||||
| 1994 | カシアス | ||||||||||
| 1995 | カシアス | ||||||||||
| 1996 | カシアス | ||||||||||
| 1997 | カシアス | ||||||||||
| 1997 | インテルナシオナル | ||||||||||
| 1997 | グレミオ | ||||||||||
| 1998 | ポンチ・プレッタ | ||||||||||
| 1998 | カシアス | ||||||||||
| 1999 | パラナ | セリエA | 20 | 10 | |||||||
| 2000 | パラナ | セリエA | 0 | 0 | |||||||
| 2000 | ポンチ・プレッタ | セリエA | 23 | 16 | |||||||
| 2001 | ポンチ・プレッタ | セリエA | 24 | 18 | |||||||
| 2002 | ポンチ・プレッタ | セリエA | 0 | 0 | |||||||
| トルコ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2002-03 | フェネルバフチェ | シュペルリガ | 12 | 9 | |||||||
| 2003-04 | フェネルバフチェ | シュペルリガ | 0 | 0 | |||||||
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2004 | アトレチコ-PR | セリエA | 38 | 34 | |||||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2005 | 東京V | 9 | J1 | 33 | 22 | 5 | 5 | 1 | 0 | 39 | 27 |
| 2006 | 浦和 | 21 | J1 | 26 | 26 | 6 | 9 | 2 | 3 | 34 | 38 |
| 2007 | 浦和 | 21 | J1 | 26 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 26 | 16 |
| ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
| 2008 | フルミネンセFC | 9 | セリエA | 28 | 21 | ||||||
| 2009 | サンパウロFC | 9 | セリエA | 33 | 17 | ||||||
| 2010 | サンパウロFC | 9 | セリエA | 6 | 2 | ||||||
| 2010 | フルミネンセFC | 9 | セリエA | 26 | 8 | ||||||
| 通算 | ブラジル | セリエA | 198 | 126 | |||||||
| トルコ | シュペルリガ | 12 | 9 | ||||||||
| 日本 | J1 | 85 | 64 | 11 | 14 | 3 | 3 | 99 | 81 | ||
| 総通算 | 295 | 199 | |||||||||
その他の公式戦
- 2005年
- スーパーカップ 1試合2得点
- 2006年
- スーパーカップ 1試合1得点
- 2007年
- スーパーカップ 1試合0得点
| 国際大会個人成績 | FIFA | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
| 2007年 | 浦和 | 21 | 10 | 1 | 3 | 3 |
| 通算 | AFC | 10 | 1 | 3 | 3 | |
その他の国際公式戦
- 2007年
- A3チャンピオンズカップ 3試合3得点
[編集] 脚注
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