ロリー・フィッツパトリック

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ロリー・フィッツパトリック
生誕 1975年11月1日(39歳)
アメリカ合衆国ニューヨーク州ロチェスター
身長
体重
6 ft 2 in (1.88 m)
210 lb (95 kg; 15 st 0 lb)
ポジション ディフェンス
シュート 右利き
NHLチーム モントリオール・カナディアンズ
セントルイス・ブルース
ナッシュビル・プレデターズ
バッファロー・セイバーズ
バンクーバー・カナックス
フィラデルフィア・フライヤーズ
NHLドラフト 全体47位指名(1993年)
モントリオール・カナディアンズ
現役期間 1994年 – 2010年

ロリー・フィッツパトリック(Rory B. Fitzpatrick、1975年1月11日 — )は、ニューヨーク州ロチェスター出身の引退した元NHL選手。ポジションはディフェンス。チームを転々とするジャーニーマンとして知られている。最終所属球団は、AHLロチェスター・アメリカンズ

経歴[編集]

ジュニア時代[編集]

ジュニア時代はOHLサドバリー・ウルブルズでプレーし、1993年NHLドラフトで、2巡目(全体47位)でモントリオール・カナディアンズに指名され、入団した。

NHL時代[編集]

フィッツパトリックは1994-1995シーズンをAHLのフレデリクトン・カナディアンズで過ごし、1995-1996シーズン途中にモントリオール・カナディアンズに加わり、42試合でプレーした。

翌1996-1997シーズン、フィッツパトリックは6試合をモントリオールでプレーした後、ピエール・タージョンと共に、トレードで、セントルイス・ブルースに移籍し、AHLに送られるまでに2試合プレーした。

1998-1999シーズン、フィッツパトリックは1試合だけブルースでプレーし、残りはAHLのロチェスター・アメリカンズでプレーし、シーズン終盤にナッシュビル・プレデターズにトレードされた。 プレデターズでも出場機会に恵まれず、僅か2試合プレーしただけでAHLのハミルトン・ブルドッグスに送られた。また、プレデターズがエキスパンションで創設されたばかりの弱いチームだったことも、ある意味では不運であった。 ブルドッグスで過ごす間、フィッツパトリックはNHLの試合を見なかったという。 しかし、フィッツパトリックはブルドッグスにはなくてはならない重要な戦力だった。

2001-2002シーズン、FAになったフィッツパトリックは、バッファロー・セイバーズと契約し、5試合でプレーしたものの、シーズンの大半は、出身地のロチェスターの、ロチェスター・アメリカンズで過ごした。アメリカンズでは、ジュニア時代にチームメイトだった、ジェイ・マッキーと再会した。

2002-2003シーズン、フィッツパトリックは開幕を再びロチェスターで迎えた。 しかし、シーズン中に4回セイバーズに呼び出され、4回目の2月12日に昇格してからは、そのまま2003-2004シーズンまで、ずっとセイバーズで過ごした。

しかし、2003-2004シーズン途中、フィッツパトリックは足首を故障し、チームを褫奪してしまった。 2004年7月4日、フィッツパトリックはNHLに年俸調停を申請したが、調停の結果が出る前にセイバーズと合意に達し、契約した。

2004年から2005年のNHLロックアウトの間、フィッツパトリックはロチェスターで20試合プレーしたほか、ロックアウトを受けて創設されたOSHL(Original State Hockey League)でリーグの崩壊までプレーし、ホッケー教室にも講師として参加した。

ロックアウトの明けた2005-2006シーズン、セイバーズに復帰したフィッツパトリックは56試合に出場。オフにはバンクーバー・カナックスに移籍し、ディフェンスのレギュラーを奪取、2006-2007シーズンにはプレーオフに初出場するなど、大きく活躍の機会を増やした。

オフにFAとなったフィッツパトリックは、1年契約でフィラデルフィア・フライヤーズと契約。19試合に出場したが、残りシーズンはAHLのフィラデルフィア・ファントムズで過ごした。

2008-2009シーズン、若手の見本となるベテラン選手を欲していた古巣、ロチェスター・アメリカンズに復帰。地元出身選手として高い人気を誇るとともに、ディフェンス陣のリーダーとして活躍し、2009-2010シーズンをもって現役を引退した。

2007年のオールスターファン投票[編集]

2006-2007シーズン、カナックスは18試合もの完封負けを喫したにもかかわらず、フィッツパトリックはオールスターのファン投票において、ウェスタンカンファレンスのディフェンス部門で、最優秀ディフェンスマンに与えられるノリス・トロフィーを4回、リーグチャンピオン3回を誇るベテラン、ニコラス・リドストロムに次ぐ3位になった。

この現象は、あるファンが提案したもので、一人で何回でも投票ができるというNHLのインターネット投票のシステムの不備を指摘するため、本来オールスターに出るような選手ではないフィッツパトリックを、この不備を利用してオールスターに選出させ、不備を改めさせようという一種のキャンペーンであった。

いくつかの動画がYouTubeにアップロードされ、専用のウェブサイトが作られ、フィッツパトリックのチームメイトがキャンペーンのTシャツを着てチーム練習に出るなど、キャンペーンはかなりの広がりを見せ、一時は2位まで順位を上げたものの、結局3位に終わり、フィッツパトリックはオールスターには出場できずに終わった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]