ロベルト・ボッレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ロイヤル・バレエ団ラ・バヤデール』 にソロル役で出演したボッレ (2007年10月)

ロベルト・ボッレRoberto Bolle1975年3月26日 - )は、イタリアバレエダンサーミラノスカラ座バレエ団エトワール、アメリカン・バレエ・シアター プリンシパル

略歴[編集]

イタリア北西部、ピエモンテ州カザーレ・モンフェッラート生まれ。テレビで見たバレエに魅せられて5、6歳の頃からダンスへの興味を示し始め、本人の強い希望で7歳から地元ヴェルチェッリのバレエ教室に通う。11歳でミラノ・スカラ座バレエ学校のオーディションに合格し、同校へ入学。バレエ学校在学中の1990年、当時15歳のボッレの稽古を偶然見たルドルフ・ヌレエフがその才能を見いだし「ヴェニスに死す」の美少年タジオ役に抜擢するが、バレエ団の規約等が障壁となり、出演は実現しなかった。

1994年、スカラ座バレエ学校卒業と同時にスカラ座バレエ団に入団。入団2年目の1996年「ロミオとジュリエット」のロミオ役を演じて認められ、当時のバレエ監督エリザベッタ・テラブストにより、21歳でプリモ・バレリーノ(プリンシパル)に任命される。この昇進をきっかけにイタリア国外で踊る機会が増え、国際的バレエダンサーとしての活躍が始まる。それとほぼ同時にスカラ座バレエ団を退団。以降はフリーランス・ダンサーとして、活動拠点のスカラ座へ出演するほか、各国の名だたるバレエ団に招かれて客演し世界中の劇場で踊っている。1998年12月からスカラ座のレジデンシャル・ゲストアーティスト、2003-04年シーズンよりエトワール。

その美貌と鍛え上げられた肉体、高い芸術性によってしばしば「踊るギリシャ彫刻」に例えられる。完璧なテクニック、エレガントな表現力に加え、麗しい容姿で特に本国イタリアでは絶大な人気を誇る。

国際的ダンサーとしての活躍[編集]

代表的な海外公演/客演歴[編集]

活躍の場は世界に広がり、頻繁に各国の主要バレエ団にゲスト出演している。

1997年イングリッシュ・ナショナル・バレエ「白鳥の湖」への出演で英国デビュー。同バレエ団のディレクター、デレク・ディーンはボッレの為に「白鳥の湖」と「ロミオとジュリエット」を制作し、いずれもロンドンロイヤル・アルバート・ホールで上演された。英国ロイヤル・バレエへの初出演は1999年ロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)改修後再オープニング時の上演作品「くるみ割り人形」でダーシー・バッセルのパートナーをつとめた。その後2000年10月ロイヤル・オペラ・ハウスのシーズン開幕を飾ったアンソニー・ダウエル版「白鳥の湖」や、2003年3月ナタリア・マカロワの新作「眠れる森の美女」の初日(コヴェント・ガーデン)など注目される演目を含むロイヤル・バレエ団の数多くの公演にゲストプリンシパルとして出演している。

ロシアでは、2000年2002年ボリショイ劇場2003年マリインスキー劇場へ出演。マリインスキー劇場で開催の国際バレエフェスティヴァルには、第3回(2004年マノン」「エクセルシオール(ガラ)」「夏(ガラ)」)、第4回(2005年アポロ」)と連続して出演した。

2004年5月ヌレエフ版「ドン・キホーテ」でアニエス・ルテステュのパートナーとしてパリオペラ座へ初出演。同年12月には「眠れる森の美女」にも招かれる。

2004年7月ロイヤル・バレエ団アメリカ公演への出演で米国での初舞台を踏む。2007年6月にはアレッサンドラ・フェリ引退公演のパートナーとしてアメリカン・バレエ・シアター (ABT) に招かれ、ニューヨークメトロポリタン歌劇場で「マノン」「ロミオとジュリエット」を踊った。2009年からはプリンシパル・ダンサーとしてABTに加わる。

その他、カナダ国立バレエ、フィンランド国立バレエ、シュトゥットガルト・バレエ、ベルリン国立歌劇場、ミュンヘン歌劇場、ドレスデン国立歌劇場、ウィスバーデン・フェスティヴァルなどにも出演している。

来日公演[編集]

1995年の初来日以来、日本の舞台にもたびたび出演している。

各種記念行事への出演[編集]

国際的、社会的に重要なイベントへの出演や、各国元首らを前にして踊る機会も多い。

ガラ「ロベルト・ボッレ アンド フレンズ」[編集]

様々なバレエ公演への出演スケジュールの合間に、ガラ公演「ロベルト・ボッレ アンド フレンズ」を主催し、世界中のバレエ団から招いたダンサーたちと共演している。 2000年8月の初演以来、イタリア各地の歌劇場の他、ローマコロッセオ(円形闘技場)やシチリアの古代神殿といった世界遺産や、古城や庭園などの名所旧跡がその会場に選ばれて来た。ドゥオーモ広場(ミラノ)やサン・マルコ広場ヴェネツィア)などでも開催されている。2005年7月17日愛知万国博覧会(愛・地球博EXPOドーム)で、また2006年7月5日には北京でも公演した。

主なレパートリー[編集]

クラシックから、ネオ・クラシック、コンテンポラリーまでレパートリーは幅広い。(作品名の後は振付家演出家名)

など

2007年には引退を目前にしたアレッサンドラ・フェリとジョン・ノイマイヤーの「椿姫」をミラノ、ハンブルクで踊り、アルマン役を新たなレパートリーに加えた。その後ノイマイヤーは、ボッレの為に新たなバレエ作品「オルフェウス」(全2幕)を創作。2009年12月のハンブルクでの初演時は、怪我により出演を見合わせたものの、2011年10月14日、バーデン=バーデン祝祭劇場において、待ち望まれていたオルフェウス役のデビューを果たした。 また「アゴン」「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」など新古典の役柄も得意とし、特にバランシンの「アポロ」ではダンス界のアカデミー賞とも言われる「ブノア賞」にノミネート(2000年)され、アポロ役はボッレの代表作のひとつに数えられている。

パートナー[編集]

若くして国際舞台へ出演する機会を得たボッレは、アルティナイ・アスィルムラートワシルヴィ・ギエムら数多くの名プリマバレリーナと共演している。ほかに、ダーシー・バッセルアリーナ・コジョカル、リサ・クルム、ヴィヴィアナ・デュランテアレッサンドラ・フェリカルラ・フラッチ、イザベル・ゲラン、グレタ・ホジキンソン、マーガレット・イルマン、スーザン・ジャフィー、ルシア・ラカッラ、アニエス・ルテステュ、マリアネラ・ヌニェス、イェレーナ・パンコーワ、リサ・パヴァーヌ、ダリア・パヴレンコ、レティシア・プジョル、タマラ・ロホポリーナ・セミオノワディアナ・ヴィシニョーワ、ゼナイダ・ヤノフスキー、スヴェトラーナ・ザハロワ、ジュリー・ケントなど。

その他の活動[編集]

1999年に24歳で国際連合児童基金(UNICEF)のイタリア親善大使に就任以来、チャリティー公演や募金キャンペーンなどを通じてユニセフの活動に積極的に貢献している。2006年7月、紛争後の混乱が残るスーダンを視察訪問した。この派遣任務については2008年2月25日ミラノ大学において「スーダンの不安定な平和について」と題する講演を行っている。2010年11月には2度目の視察として中央アフリカ共和国を訪問し、極度の栄養不良のため危機的状態におかれている子供たちの様子を伝えた。 また2009年には、世界経済フォーラム (ダボス会議)が選考する「2009 Young Global Leaders」に世界の若手リーダーのひとりとして選出されている。

ファッションデザイナーや写真家らによってモデルとして起用され、ファッションショーやファッション誌、広告などへ登場することも多い。アルマーニドルチェ・ガッバーナ、スイス時計ロンジンフェラガモなどのイメージモデルをこれまでつとめ、キャンペーンや記念イベントに参加している。 また、ファッション写真家ブルース・ウェーバーが3年の月日をかけ、ロベルト・ボッレだけを追った写真集『Roberto Bolle: An Athlete in Tights』(192ページ)が、2009年、7,000部限定で出版された。

受賞[編集]

  • 1995年「ダンツァ・エ・ダンツァ賞」「ポジターノ賞」
  • 1999年「ジーノ・ターニ賞」
  • 2000年「ガリレオ2000賞」
  • 2001年「バロッコ賞」「ダンツァ・エ・ダンツァ賞」「ポジターノ賞」
  • 2005年「アックイダンツァ賞」
  • 2006年「ダンツァ・エ・ダンツァ賞」
  • 2008年「デ・シーカ文化賞(ダンス部門)」
  • 2009年「外国におけるイタリア文化普及による金のメダル」
  • 2012年イタリア共和国功労勲章」〈カヴァリエーレ章 (騎士勲章) 〉

など

外部リンク[編集]