ロフタス・ベッカー

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ロフタス・ユージーン・ベッカー(Loftus Eugene Becker、1911年4月29日 - )は、アメリカ合衆国ドイツ系アメリカ人弁護士

生涯[編集]

1911年4月29日、ベッカーはニューヨーク州バッファローにおいて、ルーベン・エズラ・ベッカー (Reuben Ezra Becker) とエレン・ギルマーティン (Ellen Gilmartin) の息子として誕生した[1]。ベッカーはハーバード大学で学び、法科大学院を卒業した。

ベッカーはニューヨーク市内で弁護士業を営んだ。第二次世界大戦後は自身のルーツであるドイツ国内のニュルンベルク裁判軍事顧問を務めた。1951年11月29日、ベッカーは中央情報副長官ウィリアム・ジャクソンとのコネクションにより、アメリカ中央情報局に参加した。ベッカーは1952年1月に中央情報局において初代情報担当次官となり、続いて中央情報長官補佐官と工作担当次官に就任した。ベッカーは1953年2月に中央情報局を辞職した[2]

中央情報局退職後、ベッカーはワシントンD.C.で弁護士業を営んだ。ベッカーは法律事務所カーヒル・ゴードン・レインデル・オールで共同経営者となった。1957年5月、ベッカーはドワイト・アイゼンハワー大統領から国務省法律顧問に指名された。ベッカーはこれを受諾し、1959年8月まで国務省法律顧問を務めた[3]

家族[編集]

1933年12月25日、ベッカーはペンシルベニア州ピッツバーグにおいて、エレン・ヴァンダーヴォート (Ellen VanderVoort) と結婚した。2人の間には子供が2人生まれた。

参考文献[編集]

公職
先代
-
アメリカ中央情報局情報担当次官
1952年1月1日 - 1953年4月30日
次代
ロバート・エイモリー
先代
ハーマン・フレガー
アメリカ合衆国国務省法律顧問
1957年6月13日 - 1959年8月15日
次代
エリック・ヘイガー