ロック・アラウンド・ザ・クロック

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ロック・アラウンド・ザ・クロック」(Rock Around The Clock)は、1954年4月にアメリカで発表された、ビル・ヘイリー・アンド・ヒズ・コメッツのシングルレコード

目次

概要[編集]

「ロックンロールの最初で最大のヒット曲」[編集]

映画暴力教室』のオープニングに使用され、1955年のアメリカのビルボードホット100チャートで8週連続1位という大ヒットを記録した。「ロックンロールの最初で最大のヒット曲」とされ、ギネス・ワールド・レコーズの認定によれば、世界中で通算2500万枚(推定)を売り上げたとされる[1]

この曲のヒットをきっかけに、それまでポピュラー音楽の中でもマイナーな存在だったロックンロールがブレイクし、アメリカをはじめ世界中の若者の間に大ブームを巻き起こした。

明快な12小節のブルース進行、バックビートのリズムという当時のR&Bの基本要素を備えているが、演奏はまだジャズの色が抜けていない。しかしそれが白人による黒人音楽の解釈・融合という目新しい音楽「ロックンロール」であり、アメリカの多数派である白人のリスナーを引きつける要因にもなった。

「ロック時代」[編集]

チャート評論家のフレッド・ブロンソン(Fred Bronson)は、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」がビルボードホット100チャートで1位を記録した1955年7月9日以後を「ロック時代」(Rock Era)と呼んでいる。ロック時代の終わりがいつ頃なのかは諸説あり、はっきりしない。

その他[編集]

「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を最初にレコーディングしたのは「サニー・デイ・アンド・ヒズ・ナイツ」(Sonny Dae And His Knights)であり、厳密にはビル・ヘイリーの音源はカバーである。

ビル・ヘイリー盤がヒットしていた1955年に、日本では早くも江利チエミダーク・ダックスによる競作で、日本語歌詞でカバーされている。

日本において「『ロック・アラウンド・ザ・クロック』がロックンロールのルーツで、ロックンロールの語源ともなった」と半ば定説のように語られていた事があったが、前述のとおりこの曲は「最初のヒット曲」であり、それ以前にもロックンロール自体は存在している。

脚注[編集]

  1. ^ 『ギネス世界記録 2010』ゴマブックス、2009年、29頁。ISBN 9784777115297

関連項目[編集]