ロシア帝国独立国境警備団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
実権ある(現任)枢密議官, 国務長官 — ロシア帝国独立国境警備団の名誉連隊長 (財務大臣). 1901-1917年数の肩章. ロシア帝国独立国境警備団, 大蔵省, ロシア帝国.

ロシア帝国独立国境警備団(ろしあていこくどくりつこっきょうけいびだん。Отдельный корпус пограничной стражи;略称:ОКПС)は、ロシア帝国国境警備隊。財務省に所属したが、構成員の大部分は軍人であった。

歴史[編集]

1893年10月15日、財務相セルゲイ・ヴィッテ伯爵の提案により、アレクサンドル3世が独立国境警備団の創設を命令した。国境警備団総裁にはウィッテがなり、警備団長にはアレクサンドル・スヴィニン砲兵大将が任命された。国境警備団の編成には、軍事的アプローチが取られ、管区-旅団-分遣隊-支隊-哨所の建制が確立された。

独立国境警備団は、財務省に所属し、国境警備団総裁(1914年7月13日から独立国境警備団総司令官)が指導した。国境警備団の直接の指揮は、国境警備団長が行い、軍管区長又は国防省の総局長と同格の地位を有した。国境警備団本部は、隊列局、国境監視局、兵器局、経済局の4局から成った。

1899年2月1日少将を長とする7個国境警備管区が設置された。1900年、国境警備団の編成下には、31個旅団、2個特別分遣隊、1個小艦隊が存在し、総員36,709人(内、将校1033人)を数えた。

国境勤務は、隊列勤務(国境線の監視と監督)と諜報勤務(エージェントと部隊偵察)に分かれた。1910年には「独立国境警備団規則」、1912年には「独立国境警備団官吏勤務通達」が採択された。

第一次世界大戦勃発と共に、ザカフカーズと中央アジアの部隊を除き、全国境旅団が戦時編成に移り、国防省所属に移管された。1917年1月1日ニコライ2世の勅令により、独立国境警備団は、独立国境団に改称された。

1917年2月革命時、国境団本部は、革命派の兵士達によって占拠された。同年3月、国境団兵士の復員が始まり、国境団長のN.プイハチェフを含めて、二月革命に参加しなかった全将校が解任された。

1918年3月30日、財務人民委員部に国境警備総局が創設されたが、総局長のG.モカセイ=シビンスキー中将は、革命前と同じように業務を続けた。1918年7月には、元将校の9割が局に復帰し、ロシア共産党ボリシェヴィキ党)党員は1人もいなかった。このような態度は共産党指導部の不興を招き、国境警備総局の国境警備会議軍事委員は、彼を解任すべきとの結論を下した。その結果、1918年9月6日、モカセイ=シビンスキーは解任された。また、国境団の解散も決定され、多くの将校は白衛軍に身を投じるか、外国に亡命することとなった。

歴代国境警備団長[編集]

  1. アレクサンドル・スヴィニン砲兵大将(1893年 - 1908年)
  2. N.プイハチェフ歩兵大将(1908年 - 1917年)
  3. G.モカセイ=シビンスキー中将(1917年 - 1918年)

色別章[編集]

1904—1909年数
肩章 1898-1917 1898-1917 1898-1917
階級 実権ある(現任)枢密議官,
国務長官
(Действительный
тайный советник)
中将
(Генерал-
лейтенант)
少将
(Генерал-
майор)
大佐
(Полковник)
中佐
(Подполковник)
騎兵大尉 (ドイツ)
(Ротмистр)
騎兵大尉 (ドイツ) 参謀
(Штабс-ротмистр)
中尉
(Поручик)
騎兵少尉 (コルネット)
(Корнет)
軍集団 将官
(Генералы)
佐官
(Штаб-офицеры)
准士官
(Обер-офицеры)
1904—1909年数
肩章
軍隊の階級 軍曹 (一等軍曹)
(Старший
вахмистр)
軍曹 (二等軍曹)
(Младший
вахмистр)
伍長 (下士官)
(Унтер-офицер)
上等兵
(Ефрейтор)
二等兵
(Рядовой)
軍集団 尉官
(Унтер-офицеры)

(Рядовые)

関連項目[編集]