レネ・イギータ
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| レネ・イギータ | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| 本名 | ホセ・レネ・イギータ・サパタ | |
| 愛称 | ロッコ | |
| カタカナ | レネ・イギータ | |
| ラテン文字 | José René Higuita Zapata | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1966年8月28日(42歳) | |
| 出身地 | メデジン | |
| 身長 | 175cm | |
| 体重 | 80kg | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | GK | |
| 利き足 | 右足 | |
| 代表歴 | ||
| 1987-1999 | 68 (25) | |
| ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||
レネ・イギータ(José René Higuita Zapata、1966年8月28日 - )は、コロンビア・メデリン出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。
長髪に髭をたくわえた独特の風貌でカルロス・バルデラマとともに長らくコロンビア代表のシンボルともいえる存在だった。
目次 |
[編集] プレースタイル
プレースタイルの特徴はペナルティエリア外への大胆な飛び出し。イギータは自陣ゴールを空けエリア外へ飛び出し相手のスルーパスをカットするスイーパー的な役割を果たした。これによってDFラインは大胆に押し上げ、プレスやオフサイドトラップを積極的に仕掛けることが出来た。
守備面だけでなく、時にはドリブルで敵陣深く攻め上がり、センタリングを上げることもあった。このようなプレースタイルから「21世紀のキーパー」とも言われた。イギータの後に登場したホルヘ・カンポスやホセ・ルイス・チラベルトといった攻撃的なゴールキーパーの先駆けとなった。
キーパーとしては小柄で技術も凡庸なものだが、動物的な反応と勘の鋭さとでそれを補った。またPKを蹴るキーパーの元祖とも言われており、逆にPKを守る場面でも絶対の強さを誇り、PKに関してはレフ・ヤシン以上とさえ言われた。
[編集] 経歴
1989年にはアトレチコ・ナシオナルの一員としてコパ・リベルタドーレス優勝。同年12月のトヨタカップに出場し、当時世界最強と言われたACミランと対戦し延長戦の末に0-1で敗れた。
コロンビア代表では前述のプレースタイルが諸刃の剣となり、1990年に行われたワールドカップ・イタリア大会決勝トーナメント1回戦、カメルーン戦ではロジェ・ミラをドリブルでかわそうとして逆にボールを奪われ、そのままゴールされるという大失態を犯した[1]。
そのサッカー人生もプレースタイル同様浮き沈みが激しく、1994年のワールドカップアメリカ大会でも活躍を期待されたが、大会直前にマフィアがらみの誘拐事件に巻き込まれ逮捕された。これは後に冤罪であったことが認められたが、代表メンバーからは落選した。南米予選においてアルゼンチンに圧勝したことなどからコロンビアは優勝候補に挙げられていたが、イギータを失った同国はグループリーグで敗退した。
1995年9月、イングランド代表との親善試合で見せたセービングは今も語り草となっている。イングランド代表MFジェイミー・レドナップが放ったループシュートに対しイギータは両足を揃えて飛び上がり、海老反りになってかかとで蹴り出したのだ。まるでサソリの尾のようなその形状から自ら「スコーピオン」と名付けご満悦のイギータだったが、イングランドの監督に「うちには手でセーブするキーパーがいるからイギータのような選手は必要ない」と言われた。
2004年にコカイン使用でクラブを解雇され、浪人生活に入った。その間テレビ番組の企画で整形手術を施すなど話題を振り撒いていたが、2007年に、ベネズエラのグアロス・デ・ララと契約を結び、40歳で現役復帰した[2]。現在は、コロンビアのデポルティーボ・ペレイラに所属している。
[編集] 所属クラブ
ミジョナリオス 1985
アトレチコ・ナシオナル 1986-1992
レアル・バリャドリード 1991-1992
アトレチコ・ナシオナル 1994-1997
ベラクルス 1997-1998
インデペンディエンテ・メデジン 1999-2000
レアル・カルタヘナ 2000-2001
アトレティコ・フニオール 2001-2002
アウカス 2004
グアロス・デ・ララ 2007
デポルティーボ・リオネグロ 2008
デポルティーボ・ペレイラ 2008-
[編集] 脚注
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