レックス (客船)
| 船歴 | |
|---|---|
| 船籍 | |
| 所有 | イタリアン・ライン |
| 建造 | G. Ansaldo & Co. |
| 進水 | 1931年 |
| 就航 | 1932年9月27日 |
| その後 | 1944年に撃沈 |
| 性能諸元 | |
| 総トン数 | 51,062トン |
| 全長 | 880フィート(268.8m) |
| 全幅 | 96フィート(29.3m) |
| 機関 | 蒸気タービン 石油燃焼 スクリュー4軸 |
| 速力 | 28ノット |
| 乗客定員 | 2,258名 |
| 1等客 | 604名 |
| 2等客 | 378名 |
| 観光客用 特別クラス |
410名 |
| 3等客 | 866名 |
レックス(SS Rex)は、1931年に進水した、イタリア船籍のオーシャン・ライナーである。[1]1933年~1935年まで西回り航路のブルーリボン賞を保持していた。レックスを所有していたイタリアン・ラインは、イタリアのNGI社とLS社が合併してできた新会社であった。
1938年5月、レックスはアメリカ陸軍航空隊のB-17爆撃機と共に航行するデモンストレーションを行ったが、これは宣伝のうえで非常に効果のあったイベントであった。
その後、レックスは大西洋横断定期便として姉妹船Conte di Savoiaと共に運航されたが、1944年9月8日、コペル沖でイギリス空軍機によって123発のロケット弾を打ち込まれ、左舷に転覆し浅瀬に沈没した。残骸は海底に沈んでいたが、1947年頃から崩壊が始まっている。
目次 |
歴史 [編集]
ドイツの海運企業「北ドイツ・ロイド社」は、客船ブレーメンとオイローパによってブルーリボン賞を獲得していた。これに対抗するため、イタリアン・ラインは、豪華で魅力的な客船を2隻建造することを決定した。この客船が、レックスと姉妹船Conte di Savoiaの2隻である。
2隻は"海上の避寒地"と呼ばれていた。屋外にスイミングプールが作られ、パラソルも設置されていたので、船上はまるで砂浜のような雰囲気となっていた。[2]内装では、クラシックなスタイルにアール・デコを取り入れ、長い船体と2本の低い煙突、オリンピックやアキタニアに取り入れられた昔ながらの突き出た船尾が特徴的であった。
2隻が完成した当時は、この姉妹船は世界最大・最速であった。1931年8月にヴィットーリオ・エマヌエーレ3世とエレナ王妃による洗礼を受け、その後処女航海を行ったが、この航海で問題が発生した。
処女航海でレックスは1932年9月にジェノヴァから出港していた。この日は政治家ベニート・ムッソリーニに会うため、乗客のほとんどは国際的な有名人ばかりであった。しかしレックスがジブラルタル沖にさしかかった時、機械的なトラブルが発生し、修理に3日を費やした。このため、半分以上の乗客が途中下船し、さらに、大掛かりな修理を行うために、ニューヨークへ引き返さなければならなくなった。[3]
1933年8月、レックスは4日13時間、平均速力28.92ノットを記録し、長年の課題だったブルーリボン賞の西回り航路を受賞した。[4] この記録は1935年、客船ノルマンディーが破るまで続いた。
第二次世界大戦の勃発に伴い、レックスとConte di Savoiaは地中海に移され、徴用はされずに民間船として使用され続けた。地域が地中海だったことも幸いし、北ヨーロッパで起こっていた混乱の影響を受けることはなかった。この地中海での運航は1940年の春に終了し、レックスはイタリアの港で保管されることとなった。しかし結局、トリエステ港の封鎖に逆利用されるのを恐れて、1944年にロケット弾を撃ち込まれ沈没した。[5]
関連項目 [編集]
脚注 [編集]
- ^ Time Magazine - report on Rex Blue Riband capture, 1933
- ^ Classic Liners of Long Ago
- ^ Great Luxury Liners 1927-1954, A Photographic Record by William H. Miller, Jr.
- ^ greatoceanliners.net - rex
- ^ Great Luxury Liners 1927-1954, A Photographic Record by William H. Miller, Jr.
外部リンク [編集]
| 記録 | ||
|---|---|---|
| 先代: オイローパ |
ブルーリボン賞 (船舶)(西回り航路)保持船舶 1933年~1935年 |
次代: ノルマンディー |