レゴ

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レゴと1ユーロ硬貨

レゴ(LEGO)は、デンマークの玩具会社、若しくはプラスチック製の組み立てブロック玩具(商標の項で示すが会社側はこの呼称を良しとしない)。1934年に「よく遊べ」を意味するデンマーク語"Leg Godt"から社名をLEGOとした。最初は木製玩具を作っていたが、1949年からプラスチック製玩具を作り始めた。

レゴの歴史[編集]

現在のレゴ社の製品は、洗練されたシステムを持つプラスチック製の上質な組み立てブロックだが、同社は創業当時は家具店であった。レゴ社の歴史は、デンマークのビルンにオーレ・キアク・クリスチャンセンが作った木工所から慎ましやかに始まった。家族経営の創造的なこの会社は、後に世界中で人気の玩具会社へと成長する。

始まり[編集]

1916年にビルンに開いた木工所で、オーレ・キアク・クリスチャンセンは地域の農家向けに家と家具を作って生活していた。助けは、少数の見習い社員だけだった。1924年、2人の幼い息子が木の削り屑に火を着けたために木工所が火事で焼失したが、オーレ・キアクは災難にもめげず、木工所を大きくする機会だと捉えて更に仕事に励んだ。しかし間も無く世界恐慌が生活に影を落とすようになった。制作費を切り詰める方法を探す内、設計支援として製品の縮小模型を作り始めた。この時作った梯子やアイロン台の模型が、後に玩具を作る切っ掛けとなる。

オーレ・キアクは、引き廻して遊ぶ木製玩具や、豚の形の貯金箱や、自動車やトラックの玩具を作り始めた。ささやかな成功を手にしたオーレ・キアクであったが、当時多くの家庭は貧しくて玩具を買う余裕がなく、地域の農民達の中には食物と引き換えに玩具を買う者さえいた。このような情勢の中では、収益を得る為には玩具だけでなく実用的な家具も作り続ける必要があった。1930年中頃、ヨーヨーが流行したお蔭で一時的に仕事が活発になったが、流行はあっという間に過ぎ去ってしまった。ここでオーレ・キアクは再び不利を利点に変える。ヨーヨーの未使用部品を玩具のトラックに流用したのだ。この頃息子のゴッドフレッドが一緒に働き始める。

1934年、社名を、デンマーク語で「よく遊べ」を意味する"Leg Godt"からオーレ・キアクが考えた造語LEGOとした。LEGOにはラテン語で「組み立てる」の意味があるとレゴ社は主張するが、この動詞の形態は通常「読む」もしくは「集める」と訳すため「組み立てる」とするのは幾分都合の良い解釈である。

プラスチックの使用が広がる時代の流れに合わせ、オーレ・キアクはプラスチック製の玩具を作り始めた。最初の組み立て式玩具の一つは、部品を組み替えられるトラックだった。

1947年、オーレ・キアクとゴッドフレッドは、キッディクラフト(Kiddicraft) 社が制作したプラスチック製結合ブロックの型見本を入手した。これは自動結合組み立てブロック(Kiddicraft Self-Locking Building Bricks)といって、イギリス人のハリー・フィッシャー・ページがデザインし特許を取得したものであった[1]1949年、レゴ社はこれに似たブロックを、自動結合ブロック(Automatic Binding Bricks)と名付けて発売した。このアセチルセルロース製のブロックは、積み上げて遊ぶ伝統的な木製ブロック(積み木)の精神で開発された相互に結合するプラスチック製ブロックである。ブロックの上部には数個の突起(スタッド又はポッチという)が、底は長方形の空洞になっており、互いにくっつくが、外す事が出来ない程きつくはない。1953年、ブロックに新しい名前が与えられた。LEGO Mursten即ちLEGO Bricks(レゴブロック)である。しかし玩具にプラスチックを採用する試みは、当時の小売り業者や消費者には受け入れられず、売れ行き不振で返品の山となった。「プラスチック製玩具が木製玩具と置き換わる事はない」という批判もあったが、オーレ・キアクは気を変える事なくやり通した。

1954年までにゴッドフレッドはレゴ社の常務取締役になっていた。彼は海外の玩具業者と話し合いをした際に、玩具システムの改良案を考え出した。ゴッドフレッドは、創造的な遊びのシステムになる大きな可能性をレゴブロックに見ていたが、ブロックには結合力に限界があり、作れる形に限りがある技術的な面の問題があった。1958年、今日見られるブロックのデザインが出来上がった。ブロックの裏側に改良を加え、空洞部分に円筒を配置することにより底面の結合力が増し、色々な形を作れるようになった。同年、オーレ・キアクが死去し、ゴッドフレッドが会社を引き継いだ。

成長[編集]

レゴ社は年々着実に成熟して来た。1959年、社内に「フーツラ(Futura)」と呼ばれる製品開発部門が設立され、少数の社員が配置された。1960年、倉庫が火事になり木製玩具の在庫が殆ど失われたが、幸運にもレゴブロックの製造設備は火災に耐えた。レゴ社はこれを期に木製玩具の生産中止を決定する。その年の末までにレゴ社の社員は450人にまで増えていた。

1961年から1962年に掛けて新しい部品としてタイヤが登場し、自動車、トラック、バス等の乗り物をレゴブロックで作れるようになった。この時までに、レゴのシステム・オブ・プレイ(遊びのシステム)には50以上のセットが出来ていた。1962年、販売代理店となった朝日通商が日本でレゴブロックの販売を開始する。

レゴブロックは少しずつ改良されている。古いブロックは歪んでいる場合がある。

1963年、ブロック素材をアセチルセルロースから、より安定したABS樹脂に変更した。ABS樹脂には毒性がない他[要出典][1]、 アセチルセルロースに比べ変色・変形が少なく、熱、酸、塩、その他の薬品に強いという特性があった。ABS樹脂は2013年現在も採用されており、1963年にABS樹脂で作られたレゴブロックと、50年の年月を経ても正常に結合させられる。

1964年、レゴセットに初めて組み立て説明書が同梱された。

1966年、最も成功したシリーズの一つとなるトレインシステムが発売された。トレインセットには4.5Vモーターとレールが同梱され、2年後には12Vモーターが登場した。

1968年6月7日レゴランドがビルンで開園した。このテーマパークの目玉は、全てレゴブロックで作られた、町の精巧な縮小模型である。広さは3エーカー(12,000 m2)で、初年度だけで62万5千人の入場者があった。その後の20年間で面積は8倍以上になり、1年あたりの有料入場者数は百万人近くになった。1968年には1800万個以上のレゴセットが売れた。

1969年、1歳半以上の子供向けの新システム、デュプロの販売が始まった。デュプロブロックは、幼児が飲み込まないようにレゴブロックより大きくなっているが、従来のレゴブロックと結合できるように設計されている。子供が成長してデュプロブロックを卒業しても、それらを捨てることなく新しいレゴブロックと一緒に遊ぶことができる。

拡大[編集]

レゴには多種多様な部品が存在する。
  • 1970年 従業員数は900人を超えた。その後の数十年は玩具作りにおいても、市場においても、未開拓分野に大きく進出した。
  • 1971年 女の子向けに家具部品とドールハウスを発表。
  • 1972年 実際に水に浮かべて遊べるボートと船のセットを出し、レゴ世界の交通分野の可能性を広げた。

この間、ゴッドフレッドの息子 ケル・キアク・クリスチャンセン(Kjeld Kirk Kristiansen)が、スイスとデンマークで経営学の学位を取得後、会社の管理職に就いた(ケルの姓が親と違うのは、出生証明書で Ch を K と書き間違えたのをそのまま使い続けた為である)。会社でのケルの最初の業績は、製造法を最新の状態にし続ける為の研究開発部門の設立と製造工場の建設だった。

  • 1974年 腕が可動する人形を同梱した「ホームメーカー」シリーズが初登場し、当時最も売れたセットになった。
    • この頃からレゴ世界のミニチュア人間が登場しているが、現在の「ミニフィグ」とは違って何処も可動せず、頭部には顔が印刷されていなかった。
    • レゴの生産工場がアメリカ合衆国コネチカット州エンフィールドに建設された。
  • 1975年 対象年齢を高く設定し、細かい部品が多くリアルな車やバイクを作ることのできるホビーセットシリーズが発表される。
  • 1977年 1970年から販売されていたギアーセットをより精緻にしたエキスパートビルダーセットが登場する。これは、歯車差動歯車、レバー、車軸、自在継ぎ手といった動く部品が特徴で、機能するラック&ピニオン式のステアリングや本物そっくりなエンジンの動きを備えた自動車、といった精巧な構造模型を作ることが出来た。
  • 1978年 レゴの世界に「ミニフィグ」が追加された。手足が可動し、顔には笑顔が印刷されている人形である。以降、ミニフィグに大きさを合わせた建物や道路、乗り物、鉄道、ボート等を揃えて、笑顔の市民が住んでいる精巧な町を作れるようになった。
    • 試作段階のミニフィグは肌の色や表情が多様だったが、採用されたのは黄色い肌と標準的な笑顔のみであった。黄色が選ばれた理由は人種差別などないニュートラルと幸せ感とを表現するためとのこと。後のスター・ウォーズやハリー・ポッター等の版権商品では特定の登場人物を現すミニフィグが登場するようになり、2003年のレゴ・バスケットボールの登場と共に、肌の色が増えた。
    • 日本法人の日本レゴが設立された。
  • 1979年 宇宙シリーズが発表された。宇宙飛行士のミニフィグ、ロケット、月面探査車、宇宙船が登場し、人気シリーズとなった。また、低年齢層を対象にしたファビュランド(FABULAND)と、小さな女児を対象に宝石要素を取り入れた SCALA シリーズが登場した。
    • ケルがレゴ社の社長になり、引き続きレゴ社の強さが維持された。
  • 1980年 レゴブロックは有益な教材と成り得ると判断した教師達は、1960年代からレゴブロックを様々な形で授業に採り入れて来た。その結果、この年に教育製品部門(後のLEGO DACTA)が設立された。
    • 梱包・組み立て用の工場がスイスに、タイヤ部品を製造する工場がデンマークのユトランド半島に建設された。
  • 1981年 レゴトレインの第2世代が登場。従来通りの4.5V(電池式)と12V(コンセント式)の他に、作業灯や、リモコン式のポイント、信号機、連結解放器等、様々な小物が追加された。
  • 1982年 エキスパートビルダーシリーズが発達してテクニックシリーズとなる。
    • 8月13日、レゴ社は50周年を迎える。これを記念して、『遊びの50年(50 Years of Play)』という本を出版した。
  • 1983年 デュプロに、更に対象年齢を下げた幼児向けセット(Primo)が加わる。ガラガラと手足が可動する人形付きのセットである。
  • 1984年 レゴ・お城シリーズが登場し、ミニフィグに騎士や馬が加わった。
  • 1986年 ライトやブザーなど、新たな遊びを提供する「ライト & サウンド」登場。
    • レゴ社の教育部門から、テクニック・コンピューター・コントロールが発表された。これはテクニックシリーズのロボットやトラック等のモーター付きモデルをコンピューターで制御出来る教育システムである。
    • ブラジルマナウスにレゴの工場が建設された。
    • テクニックシリーズに、空気圧シリンダーが追加された。
  • 1988年8月 第一回レゴ・ワールドカップ・ビルディング・コンテストがビルンで開催され、17ヶ国から38人の子供が参加した。
  • 1989年 レゴ・南海の勇者シリーズとして海賊が登場した。海賊船・総督軍との戦い・絶海の孤島や財宝を主題にしたシリーズで、ミニフィグの表情が海賊風になっている。標準の笑顔ではないミニフィグが採用されたのはこれが初めてである。
    • レゴ社の教育製品部門が、 レゴ・ダクタ(LEGO DACTA)と名を変えた。名前の由来はギリシャ語の"Didactic"で、大まかに言えば「学習過程の研究」という様な意味の言葉である。
    • MIT (マサチューセッツ工科大学)のコンピュータ学習研究所のセイモア・パパート(Seymour Papert)博士が、プログラミング言語 Logo とレゴ製品を連動させる研究に因んで、レゴの学習研究教授(LEGO Professor of Learning Research)に任命された。
    • 日本法人の日本レゴがレゴジャパンに社名変更。
  • 1990年 上級者向けの新シリーズとしてモデルチームシリーズが登場した。レーシングカーやオフロードカーなどを、それまでのレゴシリーズには無かった微細さと写実性で再現しているのが特徴である。テクニックシリーズが機械的精密さを追求したシリーズだとすれば、モデルチームシリーズは見た目・造形の精密さを追求したシリーズであると言える。
    • この年レゴ社は、ヨーロッパで唯一の、世界10大玩具会社の一つになった。
    • ビルンのレゴランドの入場者数が100万人を超えた。
    • 初のレゴの経営力学教授(LEGO Professor of Business Dynamics)であるザビエル・ギルバート(Xavier Gilbert)が、 スイスのローザンヌにある経営開発国際研究所(International Institute for Management Development)で冠講座を任された。
  • 1991年 電気部品と電気システムの標準化を行う。トレインシリーズのモーターをテクニックシリーズと同様に9Vにして、他のレゴシリーズにも合うようにした。
  • 1992年 デュプロに螺旋回し、レンチ、ナット、ボルトが特徴のツーロ(Toolo)シリーズが追加。また、女の子向けにふんだんにパステルカラーを用いたパラディサ(Paradisa)シリーズが登場。
  • 1993年 デュプロトレインと、レゴブロックを床から回収するブロック掃除機(Brickvac)が登場した。
MINDSTORMS RCX
  • 1998年 プログラム可能なブロック「RCX」をシステムの中心に据えたマインドストーム(MINDSTORMS)シリーズが発売された。RCXは光センサ等の入力端子とモータ等を動かす出力端子を持ち、内蔵するマイコンに由る制御が可能で、自立的なロボットを作る事も出来る。RCXのプログラムはパソコンを使用し赤外線を使って転送する。
  • 1999年 レゴブロック初のライセンス商品としてレゴ・スター・ウォーズ・シリーズが登場、デュプロからはくまのプーさんが登場した。
  • 2000年 テクニックシリーズから男の子向けアイテム「バイオニクル(BIONICLE)」が発売。それまで導入されてきた「スライザー」「ロボライダー」といったテクニックシリーズ規格のニューアイデアをより洗練させたもので、主に人型の機械生命体を主人公とし、球体関節を用いた様々なポーズでの固定が最大の特徴だった。バイオニクルシリーズが大きなヒットとなったことを受け、DVDや漫画、ゲーム、文庫本など様々なメディアでも展開された。
  • 2002年 ベビーとデュプロの統合新ブランドとしてレゴ・エクスプロアの展開を開始。
  • 2004年 レゴ・エクスプロアを終了し従来のベビー、デュプロにブランドを戻した。またデュプロシリーズより低年齢層向けのクワトロ(Quatro)シリーズが追加された。このブロックは乳幼児向けの為素材も通常製品より柔らかく、デュプロシリーズより一回り大きくなっている。従来製品よりも外れ易い反面怪我をし難いように改良されている。またデュプロシリーズとは互換性があり混在可能となっている。
  • 2010年ミニフィグ同士をスピナーにセットし回転させバトルする、レゴ・ニンジャゴーが登場。同時に、レゴ社初のアニメーションテレビ番組 スピン術の使い手 レゴ・ニンジャゴーも制作された。
    • Working Mothers magazine 誌において、「働く女性の為の会社上位100」にレゴ社が選ばれた。
  • 2012年 女の子向けの新シリーズ、レゴフレンズが登場。

レゴの現在[編集]

プラスチックのブロックが世に出て以来、数千ものセット商品が販売されて来た。その題材は多岐に亘り、宇宙ロボット海賊中世の城、恐竜郊外西部開拓時代北極調査隊船艇レーシングカー鉄道スター・ウォーズ・シリーズハリー・ポッタースパイダーマンバットマンインディ・ジョーンズトイ・ストーリーパイレーツ・オブ・カリビアン等様々である。

こうしたテーマの広がりの中、1990年代中盤以降の一時期、製品の部品構成の簡素化が進み、車なら車の形状がある程度できあがっているようなセットすら登場したこともあったが、2000年代に入ってからはこうした製品は影をひそめ、きちんと段取りを踏んで形を作る製品が復活している。また、ミニフィグ基準のスケールでできた製品にとどまらず、小さく精密なセットやかつてのモデルチームシリーズの流れを汲むような複雑なセットが多くラインナップされるようになった。

日本のレゴブロック愛好者のなかには、年々増えるブロックの種類によって写実性のある表現が可能になる満足感を持つ一方で、過去の製品の現実的過ぎない記号性への憧憬という相反する思いを持つ者もいる。

造形に用いられるブロック部品以外にも、モーター、歯車、ライト、音が出る装置、カメラ等の部品があり、他のレゴ部品と一緒に使う事が出来る。前述のようにMINDSTORMSでは、パソコンプログラミングを行えば、非常に複雑な動作をさせる事も出来る様になった。

女の子向けの路線もいくつか強化を受け、旧来のレゴ部品の範囲で、テクニックシリーズの様な大きな可動人形が特徴の女の子向けのシリーズのBelville、 様々なパーツの付け替えが楽しめるアクセサリーセットのClikitsなどが発売された。

日本でのレゴを巡る動き[編集]

レゴブロックは、1962年から貿易商社の朝日通商が窓口となって日本市場にも導入され始めた。しかし、当初は都市部のデパートや、大きな玩具店などにしか出回ることがなかったうえ、その価格も当時で数百円から数千円と非常に高価であり、裕福な家庭の親が買い与える知育玩具というイメージが強かった。

その後、レゴブロックが広く知れ渡るにつれ、似たアイデアのものや、寸法まで同一の商品が1960年代を中心に日本市場にも出回った。このうち特に有名なものは河田ダイヤブロック任天堂N&Bブロックである。ダイヤブロックは「複数の突起を持った表側とこれをはめ込む裏側のある直方体形状」という構造は似ているが、規格寸法は異なる。N&Bブロックは、基本となる直方体の形状と寸法がレゴブロックと寸分たがわず、訴訟にもなった。

  • 1969年からは知育玩具輸入販売会社「不二商」がレゴブロックの販売を担当していた[2]が、1978年、レゴ社は現地法人「日本レゴ株式会社」を設立し直接輸入販売を手掛け始めた[3]。レゴブロックはまだ国産品に比して高価な印象があったうえ、ヨーロッパから非常に遠いアジアの市場規模では需要も決して多いとはいえず、発売されるアイテム数も本国に比べると非常に見劣りするものであったが、徐々に日本市場へ浸透していった。
  • 1989年 - 「日本レゴ株式会社」から「レゴジャパン株式会社」へと組織変更[4]
  • 1990年代 - 千葉県千葉市の幕張地区にレゴランドを誘致する計画が浮上した。しかし日本のバブル崩壊の影響などもあって最終的に計画は断念された。
  • 1998年 - レゴお城シリーズに「忍者」テーマが登場。以後3年ほど継続された。内容的には「外国から見た日本趣味」的な色が濃いものの、服装や小物などの造形は比較的正確なものといえた。カバヤ食品が、レゴブロックのミニセットとガムをパッケージにした玩具菓子の販売を始める。テーマはお城、テクニック、バイオニクルなど多岐に渡った。今上天皇皇后がレゴランドビルンを訪問。
  • 1999年 - 1990年代末より、レゴブロックをサブカルチャー的なアイテムとして捉える動きが多くなる。渋谷パルコにて「レゴ・マニアックス展」が開催されたのに続いて、翌2000年にも「レゴ・デラックス展」が開催されている。また、同年より「スター・ウォーズ・シリーズ」が発売されたことで、従来あまりレゴブロックに縁がなかったファン層の獲得に成功した。
  • 2000年 - 前年の松屋銀座における小規模な展覧会「建築家とレゴ展」を踏み台に青山スパイラルで「レゴと建築展」が開催された。日本初のレゴ専門店「クリックブリック」の展開が始まった。
  • 2002年 - コカ・コーラ社のプロモーションとして、「サッカー」テーマのミニセットが飲料のオマケに付いていた。コカ・コーラ社からは、これ以外にも「スタジオ」シリーズのプロモーションセットがリリースされた。
  • 2003年 - 渋谷パルコにて「レゴで作った世界遺産展」が開催された。これは全国各地を巡回した後、さらに新作を加えて2008年にも同所で開催された。
  • 2004年 - 栃木県那須郡那須町にある遊園地「那須ハイランドパーク」で、「レゴ博」が開催された。これを契機として、2006年より常設展示の「レゴスタジアム」がオープン。東京タワー渋谷浅草などの日本の風景を総数約150万個のレゴブロックで再現している。レゴモデルビルダーの仕事場を忠実に再現した「レゴビルダー工房」や、限定商品や新製品を扱うショッピングエリア、自由に遊べるプレイエリア「ふあふあ&プレイエリア」なども設置されている。
  • 2005年 - テレビ東京系の番組「TVチャンピオン」にて、レゴブロックをテーマにした対決が放映された。これは2008年の第3回まで続き、2010年2011年には復活特番として開催されている。第2回では決勝をデンマークレゴランドにまで遠征して行った。なお、第2回までは、レゴという商標は表立っては使用されず、「ブロック玩具王選手権」として放映された。
  • 2006年 - 人型ロボットを製品ラインの主役に据えた「エクソ・フォース」テーマの展開が始まった。日本的な人物名とカラフルなツンツン髪などアニメ的な容姿のキャラクター、パッケージやロボットのボディに配された漢字などが、日本のロボットアニメを強く意識していることを伺わせている。このシリーズの日本における販売プロモーションには「超時空要塞マクロス」などのアニメ作品のメカデザイナーとして知られる河森正治が関わっており、その影響もあってシリーズ最後期にはよりアニメ的センスを加えた製品がリリースされるに至っている。なお、河森は以前より、ロボットの変形システムの検討にレゴブロックを多用していることを公言している。
  • 2008年 - 王子ネピアとのコラボレーションにより、フィギュアスケーター・浅田真央をかたどったジャンボフィグ(ミニフィグを店頭販促用にスケールアップしたもの)を1体制作、応募者に抽選でプレゼントするキャンペーンが実施された。彼女はレゴ好きとして知られ、スケートの大会では演技後に花束などとともにレゴ製品の入った袋を渡されたりするシーンが見られる。
  • 2009年 - 那須ハイランドパークにおいて「レゴタワー(レゴブロックを塔状に積み上げる)」を製作するイベントが開催され、世界新記録(当時)となる高さ29.7mのタワーを作ることに成功した。このタワーには43万個ものブロックが使われたという。また、同年11月には無印良品とのコラボレーションで「紙とあそぶレゴブロック」が展開された。
  • 2010年 - ミニフィギュアシリーズを発売。日本ではタカラトミーアーツからガチャガチャで同年7月に第1弾(SIDE A・B各8種の計16種)が発売された。海外ではブラインドによる一般的な販売方法で展開しているが、日本では唯一カプセルトイとしてガチャガチャで発売している。以降のシリーズもガチャガチャで展開している。同年12月には忍者をテーマにした「NINJAGO」を2011年の新シリーズとして発売した。
  • 2011年 - 2009年頃から有人潜水調査船しんかい6500」をレゴにしようという試みが、レゴ社公認の商品化サイト「LEGO CUUSOO」で行われ、商品化に必要な1000票以上を獲得、商品化が実現した。この商品は日本限定販売であり、パッケージに日本語の解説文を書き込み、日本語の解説ブックレットが封入されるという初めての試みがなされている。同年1月からは商品の宣伝や一般の子供たちの作品を紹介する『レゴスタ』をコロコロコミックテレビ東京(関東ローカル)にて開始した。同年7月には戦艦大和などの大作を制作したことで知られる三井淳平が日本人で初めてのレゴブロックのプロビルダーに認定された。

レゴの製造[編集]

レゴブロックにおける一般的な基本色は、赤、黄、青、黒、白、灰色である。1990年代から徐々に他の色も多用されるようになり、現在では濃灰色や緑色、砂色、茶色なども多く見ることができ、透明のブロックもある。レゴ社は長年、戦車や軍用機を作るのに使用されて、レゴ社自らが戦争を推奨しているかのように見られてしまうのを恐れ、緑色のブロックを作らなかった[要出典]。しかし、さまざまな中間色のブロックや近世の銃器がセットに含まれている現在では、こうした懸念は過去のものとなっている。

レゴブロックのデザインはどれも単純明快で、使い方の説明を要する部品は少ない。 子供向け玩具なので、説明書を読まなくてもそのブロックの機能が分かるようアフォーダンスデザインが取り入れられている。

レゴブロックには時代やシリーズを超越して共通する互換性という大きな特徴があり、 例えば10歳の子供が1歳の頃に遊んだデュプロをテクニックシリーズに混ぜて遊ぶという事も出来る。 このように利用者の年齢に柔軟に対応できる為、レゴブロックは他の積み木や流行玩具の様に、利用者が成長すると今までの玩具がゴミに変わるという無駄が起きない。経済的にも環境にも優しい玩具と言える。

レゴブロックは世界各地で製造されており、2003年現在、成形はデンマークとスイスの2つの工場のうちのひとつで行われている。ブロックの装飾と梱包をする工場は、デンマークスイスアメリカ合衆国大韓民国チェコにある。レゴブロックの平均生産量は、一年間におよそ200億個、一時間におよそ230万個である。

ブロック、車軸、ミニフィグなど、レゴシステムの全部品は、製造時に厳しい許容誤差を定められている。部品同士がバラバラにならないよう適度に結合し、分解も容易であるのに丁度良い結合力を持たせるため、製造誤差の許容範囲が0.002mm以内、或いは0.00008インチ以内とされている。

高い品質を維持する為の技術として、金型の容量の小ささが挙げられる。玩具会社によっては、製造費を抑える為に同時に60個の部品を扱える金型を使う事があるが、レゴの金型は一般的に容量がもっと小さく、精密に機械加工されていて、数万ドルの費用が掛かる例も多い。この射出成形金型にはセンサーが付いており、質を下げる原因となる圧力や温度の変動を検出できる(金型内部でABS樹脂にかけられる圧力は25~150トン、温度は摂氏232度にも及ぶ)。金型で成形された製品は人間が慎重に検査し、色や形に目立ったばらつきがないように確認する。使い古した金型は、他社の手に渡らないように建物の基礎に入れられる。成形処理は非常に精密なので、標準規格に適合しない数は、100万個中たった18個である。このような製造への気遣いにより、レゴ社は何十年にも渡って高い品質を維持し、この品質の拘りのおかげで、30年前に製造された部品と現在の部品はしっかり結合させることが可能になっている。

商標[編集]

レゴという名前は、レゴ社の玩具を指す言葉としても使われるようになっている。多くの人がレゴブロック自体をレゴと呼び、更には類似のプラスチック製ブロックもレゴと呼ばれることがある(商標の普通名称化)。レゴ社としては、商品自体をレゴという商標で呼ぶことに反対しており、1970年代と1980年代のレゴのカタログには、レゴはブランド名であり特別な言葉にし続けたいこと、レゴ社のブロックはレゴブロックと呼んで欲しいという希望が書かれている。

なお、 LEGO は全て大文字で書くのが正式である。

レゴの特許が切れた1988年以来、Tycoメガブロック(日本ではバンダイから発売)、COKO 等多くの会社がレゴブロックに似た結合ブロックを販売している。これら他社製品の多くは、レゴブロックと互換性があり、レゴセットより価格が安く設定されており、本物のレゴ製品と混同する可能性がありレゴ社の悩みの種となっている。

問題としているブロックの一つに、中国の天津 COKO 玩具有限公司が製造している COKO がある。2002年、スイスにあるレゴの子会社インターレゴAGが著作権侵害を理由に同社を提訴した。多数の COKO ブロックが権利を侵害している事実が第一審で分かり、著作権を侵害しているブロックの製造中止と、北京日報紙上での公開謝罪、賠償金の支払いを命じる判決が出た[2]

販売において自社の製品との混同を意図的に用いたとして、COKO 製品を販売する Biltema 社に対するノルウェーでの訴訟で2003年にレゴ社は勝訴した[3]

2003年、レゴに似た "Enlighten" という製品の大きな積み荷がフィンランド税関で押収された。 Enlighten の外箱は、レゴブロックの外箱と類似していた。中国の製造業社が法廷に姿を現さなかった為、レゴ社は積み荷の破棄を命じる欠席判決を勝ち取った。レゴ社はブランド名の混同を防止し消費者を潜在的な粗悪品から守りたいとして、54000セットの廃棄処分の費用を請け負った[4]

レゴ社はメガブロックの生産中止を期待して、レゴブロックの凸部のある外観を "LEGO Indicia" として商標登録しようと試みた事がある。カナダの連邦裁判所は2002年5月24日、レゴブロックのデザインは機能的な要素なので商標保護の対象に成らない、として退けた[5]。レゴ社は控訴したが、連邦裁判所は2003年7月14日、これを退けた。

レゴランド[編集]

レゴランドはレゴのテーマパークで、デンマークイギリス等世界の数箇所にある。世界の有名なランドマークをレゴブロックで再現した巨大モデル等が展示されている他、様々なアミューズメント施設を備える。詳しくはレゴランドを参照。

レゴ街シリーズ[編集]

1960年代から1980年代にかけ多数発売され、警察署・消防署やガソリンスタンドなど町の代表的な建物や乗り物など多数商品化された。

レゴトレイン[編集]

1966年に発売された。根強い愛好家がいて海外には愛好家団体も複数存在する。近年はラジオコントロールで操作する。

表現のツールとして[編集]

アメリカ・ミネアポリス郊外のモール・オブ・アメリカにある巨大なレゴの展示物

レゴブロックの使用目的は「おもちゃ」の域に留まらず、これで彫像を作ったり、モザイクで巨大な絵を作ったり、複雑な機械を作ったりするような、熱狂的な愛好者が多く存在する。なかには、数十万個の部品を使った重さ数十kgの彫像作品もある。実際に機能する南京錠振り子時計、更にハープシコードエアコンまでもがレゴで作られている。また、ルービックキューブを解くという難しい技を、レゴのモーターとカメラを使って行う作品もある。

ポーランドの芸術家 Zbigniew Libera は、アウシュビッツを題材にした架空のレゴシリーズ「レゴ強制収容所(LEGO Concentration Camp)」という作品を発表した[6]

アメリカのロックバンドホワイト・ストライプスの歌「フェル・イン・ラブ・ウィズ・ア・ガール」(Fell in Love with a Girl)のミュージック・ビデオにもレゴが使われている。監督のミシェル・ゴンドリーは、まず実演をビデオに撮影し、それをデジタル化した動画を、全てレゴブロックで再現してコマ撮りアニメにした。この作品は2002年にMTVのビデオミュージック賞を受賞した。 モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイルのDVDには、レゴのミニフィグで『キャメロット』のミュージカル場面を再現した作品が収録されている。

レゴは色々な予想外の使い方もされている。例えばブレンダン・ポウエル・スミス牧師はレゴの聖書を作った。 The Brick Testament には、そのレゴ聖書の写真が2000枚以上掲載されている。大学教授デーヴィット・ガントレットによる theory.org.uk には、社会理論家のレゴ版がある。 LDraw というソフトウェアを使えば、レゴの3DCGを作ることができる。ブロックの高い精度を利用して、物体の正確な寸法と相対位置を認識させるコンピュータビジョンの研究でも、テストデータの作成に使われている。

レゴブロックを使った自作のデジタル動画は、「レゴスタジオ」という製品を使って作ることもできる。これには、レゴウェブカム( Logitech の USB Quickcam のOEM)や、コンピューターに録画するソフトウェア、カメラに写らない場所からミニフィグを操作する為の透明なプラスチックの棒、スティーヴン・スピルバーグに似たミニフィグが付属している。

1992年ギネスブックにレゴ製品で作った物が2件登録された。一つは、4.45m ×5.22m の世界最大の城で、スウェーデンテレビ局が40万個のレゴブロックで作ったもので、もう一つは、545m の長さの線路と機関車3両である。

レゴ製の家

レゴブロックで実際に人間が居住可能な家を建築した例もある。2009年9月にはBBCのテレビ番組『James May's Toy Stories』において、約330万個のレゴブロックを使って一軒家を建設し、番組の司会者であるジェームズ・メイがその家で数日間生活するという企画を行ったことがある[5]。番組ではこの家の買い手を募集したが購入希望者は現れず、結局9月下旬には家は取り壊され、使用されたレゴブロックはチャリティーオークションにかけられた[6]

テレビゲーム[編集]

スター・ウォーズ・シリーズ」「インディ・ジョーンズ シリーズ」「バットマン」でおなじみのキャラクターがレゴブロックになっただけではなく、アクションや映画の名シーンを忠実に再現している。「レゴ」の世界観で、子供から大人まで誰にでも簡単に楽しめる内容となっている。 イギリスのゲームメーカーのTTゲームズ(Traveller's Tales)が開発し、エレクトロニック・アーツアクティビジョン、近年ではワーナー・ブラザーズが販売している。

レゴ スター・ウォーズシリーズ[編集]

レゴ インディ・ジョーンズ[編集]

レゴ バットマン[編集]

レゴ ハリー・ポッター[編集]

レゴシティ[編集]

その他[編集]

テレビアニメ[編集]

  • レゴ・ニンジャゴー
  • レゴ チーマ ~アニマル戦士たちの伝説~
  • レゴ・フレンズ

映画[編集]

類似玩具[編集]

ミニフィグの類似玩具[編集]

  • 働く人シリーズ ハーペーインターナショナル(スイス)
  • プレイモービル ジオブラ・ブランドスタッター(ドイツ)
  • Minimates Art Asylum(アメリカ)
  • KUBRICK、BE@RBRICK、BABEKUB、B@WBRICK MEDICOM TOY
  • Qee Toy2R(香港)

参考文献[編集]

  • Henry Wiencek, The World of LEGO Toys. Harry N. Abrams, Inc., Publishers, New York. ISBN 0-8109-2362-9.
    (訳書)ヘンリー・ヴィンセック 『レゴの本』 成川善継訳、ブッキング、2004年、ISBN 4835441346

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ABS樹脂(ABS):原料モノマーのアクリロ二トリルはABS樹脂に微量であるが残存することがある。アクリロ二トリルの毒性は発ガン性、催奇形性などの報告がある。また、大量摂取の場合、青酸と同じような中毒症状を示すといわれている。
  2. ^ 「玩具の歴史 1965-1969年」社団法人日本玩具協会。
  3. ^ 「平成12年(行ケ)第101号 審決取消請求事件 判決」 (PDF) 、4頁。
  4. ^ レゴ本社サイトの社史では1992年との記述あり。
  5. ^ Who lives in a house like this? James May to stay in the world's first house made entirely from Lego - MailOnline・2009年9月2日
  6. ^ Demolished! James May's Lego house is knocked down after no-one came forward to save it - MailOnline・2009年9月24日

外部リンク[編集]

  • LUGNET – ユーザーコミュニティ(英語)
  • Brickshelf – レゴ画像投稿サイト。全種類ではないが組み立て説明書の閲覧も出来る。(英語)
  • A LEGO Counting problem – 2×4ポッチのブロックを6個使うと、その組み合わせは約1億通りになるとレゴ社は言うが、本当は約9億通りだと主張するサイト。


レゴ認定プロビルダーの創作物

  • yamato – 旧日本海軍の戦艦『大和』


レゴファンの創作物